愛とは
最近愛について考える。
愛と言っても男と女の恋愛の話ではなく、
人間としての愛の話。
そこに愛はあるのか
新年度だから、新入社員を例にして考えると、
新人教育を手取り足取り、過保護のように行うとする。
そうすると、全員が全員一人前になれるかといったらそうではない。
何故ならば、分からないことが有れば何でも聞けばなんでも教えてくれる、とか与えられたことだけこなしていればいいと考える人も出てくるからだ。
じゃあ放任主義で新人の自主性に任せればいいのかというとそれもまた難しい。
それで伸びる人間もいるとは思うが、そういう人間は過保護でもちゃんと伸びるはずだ。
だから、少し過保護でもいいからしっかり基本を学ばせる必要がある。
ここで教える側が間違えてはいけないことは、過保護と言っても、何でもかんでも教えることが是ではないということだ。教えるのではなく、考えさせること、一緒に考えること、そういったことをめんどくさがらずにやるということが大切だ。
優しい先輩と思われたければ、いくらでも過保護にすればいい。でもそこに愛はあるのだろうか。本当の優しさは、厳しさの中にあり、愛があるから厳しいことも言える。
愛とは
愛とは何だろうか。
厳しさの中に愛がある、そう思っていても、
実際に出来ているかと言えば、そうでないことが多い。
特に、嫌われたくないというエゴが生まれた時には、自分を守る方に意識が向いてしまう。
そうすると、厳しいことなんて言えなくなってしまう。
愛されたい、幸せになりたいという気持ちから愛は生まれるものではなく、
自分というエゴがなくなった時に、生まれるのではないか。そう感じることもある。
つまり、自分も他人もないという考えになると、そこに愛が出てくる。
だから仏教の世界には、「自他一如」という言葉があるのかもしれない。
自分と他人とは一緒。自己犠牲も自己中心もないところに、本当の愛があるのだろう。