エジプト航空に突然スカウトされる②
「まあ、エジプトでガイドをなさっているの? だけどまあガイドライセンスはないの?
いいわねぇ、あたくしもエジプトに行ってガイドしようかしら。何しろヨーロッパでは、死ぬほど勉強し資格を取った優秀な日本人しかガイドになれませんのよ、おほほ」。
「...」
話がとっ散らかるので、省略してきたが、私がアルバイトをしていた、カイロのオフィスはヨーロッパに本社を構える、大きな旅行会社の支店だった。
それで、海外駐在/海外旅行中の日本人たちを、海外から海外へ添乗する業務もたまに行っていた。地中海クルーズが多かったかな。
(肝心な学業はどうなっているんだ、という感じですが、留学後半は休学ばかりデシタ...)
ちなみに一旦帰国した時に、一応海外添乗員の資格も取得している。
今でも覚えているのが、資格試験に『この湾の名前は?』の質問が出され、
"イラン人はペルシャ湾、アラブ人はアラビア湾、そしてトルコ人の視点ではバスラ湾"と私は答えた。バツ×だった。正解はペルシャ湾だ、と。
えっ!? とても驚いた。だってエジプトではニュースでもアラビア湾と呼んでいた。だからバツ×だったことに、ちょっと今でも納得していない。
それはさておき、何気に添乗もいろいろやっており、ヨーロッパにも何度も飛んだ。
だけど、ローマ、ロンドン、パリの、数名のベテラン日本人マダムのガイドさんには、必ず皮肉を言われたものだった。
「ふうん、ガイドの資格無しでガイドしているのね。じゃあ誰でもなれるわねぇ」。
その度にカチンときて
「じゃあエジプト人ガイドに体当たりされるとか、猛暑の中延々と歩き続けるとか、
必ずグループからは病人が出る、でも医者も信用ならないとか、
飛行機が飛ばない、でも旅程をこなさなければならないとか、テロに狙われるとか、労働基準がないからオーバーワーク当たり前だとか、
そもそもエジプトの歴史は、フランスやイギリスより遥かに長いんだぞ! その歴史を全部暗記してみろやっ、あんたもやってみろや」
と毎回思った。黙っていたけど。
とにかく、エジプトツアーも添乗員の立場の場合もあって、いろいろ経緯は省くが、この時も新規旅行会社、ニュートラベル(仮称)の初のエジプトツアーの添乗だった。
だからガイドは別におり(新人の大人しいエジプト人日本語ガイド君だった、すごくいい若者だった)、私が"旅程管理主任者"だった。
空港アシスタントのターメルおじさんが
「Bad newsとGood news がある」と言ってきた。(←エジプト人もアメリカンドラマの影響で、こういう言い方をよくしていた)
「悪いニュースは、アブシンベル行き飛行機に乗れないこと。
いいニュースは、今からカイロのホテルに戻っても、(一旦チェックアウトした)部屋をまだ使えること」。
!!!!
オーバーブッキングになっていて、アブシンベル行きエジプト航空の席がもう満席。
だから手元に間違いなく発券済みの航空券はあるけど、搭乗券に引き換えられない、という事態だった。
新参者の旅行会社のツアーだったことと、ターメルおじさんに覇気がないため、私のツアーグループだけ、座席を貰えなかったのだ。(くどいが航空券は持っている)
これに乗らないと、ツアーの残りの観光全体に影響を及ぼす。
次のフライトは何時間も後で、しかも空席はない。翌日もアブシンベル行きのフライトはすでに予約で一杯。
完全にエジプト航空の責任で、ニュートラベルや現地旅行会社には非がない。よってこのまま退散してもいいのだが、お客さんたちが気の毒だと私は思った。
おそらく皆さんにとっては、一生に一度のエジプト旅行。
20時間も時間をかけてサービスで機内食もまずいエジプト航空に我慢して乗って、はるばるエジプトまで飛んで来た。
すでにお腹を壊して苦しんだお客さんもいる。でも夢のエジプトに来て、頑張って観光を続けている。
それなのに、ギザのピラミッドと並んで、エジプトツアーのハイライトであるアブシンベル神殿に行けない!
他の日本人ツアーは、次々に立ち上がり、滑走路バスに乗り込んで行って、どんどんいなくなっている。
だけど、ニュートラベルのグループだけ取り残され、ぽつん。
14人のお客さんは全員、不安そうな顔をしていた。
だから何が起きたのか、全員に私は正直に説明をした。予想通り、皆さん、ショックを受けた顔をし、悲鳴を上げブーイング。そりゃそうだ...
その時、私は以前デートしていた、アメリカ人軍人(スナイパー)の言っていたことを思い出した。
「エジプトの刑務所はね、実は世界一最高の刑務所なんだよ。だってどんな罪で投獄されても、賄賂とコネですぐに出られるからね。
エジプトは全てにおいて賄賂とコネがまかり通るから、なにげになんでも要求が通るやりやすい国なんだよ」。
「添乗員さん(イコール私)、お願いします、なんとかしてください、お願いします!」。
「...」
よし! スナイパー氏の言っていたことを信じよう! コネと賄賂さえ揃えば、エジプトでは何でもできる! 信じようじゃないか。
「ターメル! 大至急、エジプト航空のマネージャーを呼んで! いいから早く呼んで来て」
そして、自分のグループに振り返り、数名のお客さんを手招きした。
実はこのグループには、日本の大手エアラインに属する現役客室乗務員の女性数名が参加していた。
ポピュラーな旅行会社ツアーだと、添乗員さんに身バレするかもしれない、ということで、それまで海外ツアー飛ばした実績のない、
マイナーなニュートラベルのエジプトツアーをわざわざ選び、参加していた。それを私はすでに知っていた。(ツアー参加申込書の、職業欄を見ている)
「航空会社の客室乗務員身分証明書を、今持っていますか?」
彼女たちは一瞬たじろいだが全員、持っている、財布に入れていると答えた。
「ではそれを手元に用意してください。そしてこれから紹介する、エジプト航空マネージャーに笑顔を見せ、愛想を振りまいてください、いいですね?」。
ターメルおじさんに連れられ、不機嫌顔のエジプト航空マネージャーが、巨漢の身体を揺さぶりながらのしのし現れた。
「なんだ? 緊急だのVIPだの、何の話だ? さっさと用件を言え、俺は忙しい。飛行機に乗れない件はやむを得ない、諦めろ」。
「いいからいいから、さあ、こちらに来てください」
私は背後にいた、その日本の航空会社の客室乗務員の女性たちを、巨漢氏に紹介した。
巨漢マネージャーは、とても驚いた顔をした。
なぜなら、言うまでもなく全員"美女"だったからだ。
飲み込み良い彼女たちは、私に言われなくても自ら、とびっきりのほほえを見せ、そしてあえて死語を使うが、"スッチー"立ちでポージング。(←実話です)
「...」
巨漢氏、鼻血が出そうなほどの、歓喜興奮顔になった。
ツアー初日から、アシスタントのターメルおじさんも、日本語ガイドさんも、レストランのマネージャーも、至るところで全てのエジプト人が、彼女たちにうっとりしているのには、私も気がついていた。
エジプトに来る日本人は、"冥土の土産"としてピラミッドを最後に見たい、というお年寄りが圧倒的に多かった。普通の綺麗な若い女性はヨーロッパやビーチ方面に旅行に出るものだった。
だから、こんなに綺麗な日本人の若い女性たちを、多くのエジプト人は見たことがなかった。笑
若い美人の日本人女性たちを見慣れていない、エジプト航空マネージャーも、絶対にデレデレになると私は予想していた。
ただ、これは賭けでもあった。万が一、オバチャンマネージャーだったら失敗だったから...
「この美女たちが気の毒だと思いませんか」と私。
「この飛行機に乗れなければ、もう旅程の問題もあるのでアブシンベルはおろか、南エジプト全ての観光ができなくなります。
古代エジプトの全盛期を誇る、ルクソールの遺跡を何ひとつ見れないなんて、あまりにも残念です。
日本の"ネフェルタリ"(エジプト美女)たちが、悲しい気持ちで帰国せねばならないとは、エジプトのジェントルマンとして、あなたはどう感じますか」。
「だけどなあ、席がないしなあ」 巨漢マネージャーは腕を組み考えこんだ。
「あ、彼女たちはの客室乗務員資格も持っているんです!」
私は巨漢氏に、皆さんの身分証明書を見せた。でも冷静に考えれば、客室乗務員の身分証があろうとそれがどうしただ。
だけどそこはエジプト人。気付かない、突っ込まない。
「よし、もう一息だ」と思い、
「乗務員訓練も受けている女性たちなので、ジャンプシートもオッケーですから」。
「しかしなあ」
「しかも見てください、こんなに細い女性たちですよ、三席を四人がけもできます」
「うーん...」
「お願いします!」
「よし、分かった! じゃあこうしよう、いいアイディアがある!」
巨漢氏は手を叩いた。
「先に乗せちゃったJ○Bを降ろそう!」。
グッドアイディアと思ったが 笑、本当にそんなことをされたら、後であの大きな旅行会社から苦情が来るし、そちらの添乗員やガイドに怨まれる。狭い業界だ、まずい。
「あ、それは結構です。とにかくとりあえず乗りますね、ショックランゲジーラ!」
と、とっさに巨漢氏に100ドル札を握らせて、そして私はずっとこちらを見ている、CAではない他の(美人でも若くもない)お客さんたちにも
「さあ今のうちに急ぎましょう!」
と合図をした。
搭乗ゲート(ただのドア)に向かった。
搭乗券を持たない私たちが走ってきたので、もぎり係のマフムードさんは「えっ」。
だから、マフムードさんは慌てて制してきた。
「エジプト航空マネージャーの了承済みだから、ノープロブレム!」
私はそう言って、マフムードさんにも百ドル札を握らせた。すると彼の通せん坊はすっと止んだ。
なんとか、最後のシャトルバスに無理矢理乗り込んだ。
飛行機のタラップを離される直前に、ぎりぎり機内に駆け乗った。お年寄りのお客さんはいなくて助かった...
エジプト人CAたちは驚き、顔をしかめた。そして私たちを追いだそうとしたところ、コクピットから出てきたのが、当時の私のデート相手のパイロット氏だった。
パイロット氏は私が乗るのを知っていたし、私も氏の操縦であることを分かっていた。これが私のもうひとつの勝算確証理由だった。
多分、赤の他人の、堅物のパイロットの操縦飛行機だったら、激怒し追い出されていただろうから。
三つ目の勝算は、この同じ便には、顔見知りの日本人添乗員/ガイドしか乗っていないことを、分かっていたことだった。
特にこの時の添乗員たちは、中国、ロシア、旧ソ連、北朝鮮もさんざん添乗をしてきた、秘境地に長けた変わり者のベテランばかりで、
かつ全員がエジプトにも何十回も来ているので、ここがどんな国なのか、エジプト航空がどんなにクレイジーなのか、非常によく知っていた。
私は急いで彼らに事情を話した。全員、大笑いした。そして
「よっしゃ!協力してやる!」
そう真っ先に言ってくれたのは、ついその先週、ジーンズとヨレヨレのTシャツでパリ添乗をし、
向こう在住の日本人マダムガイドに
「ここはパリですっ、あなた服装を考えなさい!」と発狂されたというオッサン添乗員だった。笑
アクシデントやトラブルに慣れた凄腕添乗員たちは、それぞれ自分たちのツアー客に協力を要請してくれた。
「エジプト航空の手違いのせいで、ニュートラベルの皆さんの座席がないんです。だから三席を四人で座って、座席を余分に作ってあげてください」
「あ、あなたは"太い"からそのままいいです。そこの、細い三名は詰めましょう。もうひとり、そこに座らせてあげてください」。
電車じゃない、飛行機の話だが 笑、実際に他社のツアーグループの皆さんが、協力してくれた。誰ひとりとシートベルトのことに触れなかったのも凄い!
また、日本の航空会社の客室乗務員のライセンスを持っている女性たちは、本当にジャンプシートに腰かけた。
私と他社のオッサン添乗員の二人は、コクピットに入った。(上の画像がそれ)
ま、もともといつもコクピットに座らせてもらっていたし、常日頃(自由操縦の間)ハンドルやいろいろなボタンにも触れさせてもらっていた。
ちなみに、パイロット氏は元空軍なので、腕があり着陸スキルがあった。いつだって、安定ランディングの名操縦士だった。
それも分かっていたので、シートベルトも人数分がないというのを理解しつつ、私もこの強攻策をする気になれた。
実際、全てがうまくいった。
(余談ですが、ロシアのアエロフロートも、かつて元空軍パイロットばかりで、シートベルト無しでもスムーズに着陸できる飛行機でした。)
無事に空港に到着し、グループの点呼を取っていると、突然見知らぬエジプト人に声をかけられた。
地味な身なりで、真面目そうな顔をした中年男性だった。何だろう、誰なんだろう、と思いきや、
「君がカイロの空港でマネージャーに交渉し、飛行機に無理矢理乗り込むまでの一部始終を全て目撃した」と、淡々と言われた。
「...」
心臓がドキッとした。私服警官? 私服軍人? 私服情報局員? まずい、訴えられる!?
ところが予想に反してこう言われた。
「非常に素晴らしい判断力と行動力だった。エジプト航空にうってつけだ」。
そして名刺を見せてきた。
それはエジプト航空の名刺で、肩書きは○○(←一応伏せます)だった。
「エジプト航空では、もともと(日本人の乗客だらけなので)現地のエジプトで日本人を雇いたい、という案も出ていた。どうだい? エジプト航空国内線のキャビンアテンダントとして働いてみないかい?」。
「えっ!? 私が !?」
スカウト氏は胸を張ってこっくりと頷いた。
「やだです」
「はっ?」
「勘弁してください、これ以上エジプト航空には関わりたくありません、命が惜しいしゾッとします。絶対嫌です」。
まさか即答で断らるとは思っていなかったらしく、スカウト氏は慌てて早口でべらべら言ってきた。
「とりあえず、カイロに戻ってからまたちゃんと話し合おうじゃないか、いいね?」
そう言って、スカウトは無理矢理私の手の平に、自分の名刺を握らせた。
「...」
本当に次から次へ色々起きる、それがエジプト。あれま、あらま、あらら、アラー、アッラー! さあどうする!?
追記
この無理矢理飛行機乗り込む作戦決行は、
何が何でもアブシンベル神殿に皆さんをどうしてもお連れしたかった、せねばならないんだという使命感に私は燃えていたことが理由のひとつでした。
帰国後も、この件でニュートラベルのお客さんたちからも、電車のように座席を詰めてくれた、他ツアーのお客さんたちからも一切苦情が来ませんでした。
最大の協力をしてくださった、某日本企業の航空会社客室乗務員のお客さんたちも「楽しかった」(!)と言ってくれました。
おそらく、この件をまだ覚えておられる方々もいると思いますが、改めてお礼を申し上げたいです。
ちなみに、
「そこまでして私のアブシンベル神殿を見せたいと思ったのか!」
と、かのラムセス二世が、私の気持ちを受け止めて、何か力を貸してくれた。そのおかげで、全てスムーズにいったんじゃないか、という気がしてなりません。だから古代エジプトのファラオ、ラムセス二世にも感謝です。
(しかしまあ、元凶はやっぱりエジプト航空...)
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↑しょっちゅう、カイロのラジオで流れていました。アブシンベル神殿移築記念シンフォニー。出だしだけでも壮大なので、よければ聴いてほしいです。
↓おまけ:漢字の"見"の語源もホルスの目!?