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ナイルの『洗礼』、そしてエジプトでホームステイ
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ナイルの洗礼を受ける、と言えば『お腹をくだす』ことを指した。
エジプトでは、いくら口に入れる水や食べ物に気をつけていても、異邦人はみんなお腹を壊し下痢になった。
そう、エジプトに来る外国人は下痢にやられる。日本人だけじゃない、アメリカ人もヨーロッパ人も、そして(お腹が強そうな!)インド人までもが!!
それも、普通のレベルの下痢じゃなかった。
エジプトの下痢は特殊で、死ぬかと思うほどの拷問レベルの激痛だった。
パターンは何となくあって、多くがエジプト到着二日目か三日目の夜遅くに、唐突にお腹がギュルッと鳴る。
水道水を一切口に入れていない、歯磨きもミネラルウォーターでやっている。野菜も果物も何も食べていない。
屋台にも行かず、食事は全て五つ星レストランのレストランの、火を通した料理のみ。それなのに、お腹をやられるのだ。
症状はまず突然に、かすかなギュルという音と重い感じのズシッが下腹部の奥の方から気配がする。
んんん?気のせいかなと油断していると、その15分後には、一気にお腹の中で『関所』が破裂!! ドカーンと怒涛のごとく、ギュルギュルギュル音が急降下してくる。
もうこうなったら地獄の始まり、朝までずっとトイレ、トイレ、トイレ!!!!
ちなみに日本の市販胃腸薬なんて全く効かない。エジプトの下痢はあまりにも最強なので、上品な日本の薬なんて歯が立たないのだ。
私もむろんナイルの洗礼を受けた。エジプトに到着して、最初の数泊は、名ばかりの三つ星ホテルに滞在。
その後、ダウンタウンの安宿に移ったが、その初日の夜にいきなりドカーンと荒れ狂う腹痛と下痢に苦しんだ!
安宿オーナー(エジプト人のオッサン)が、医者(ドクトール)を呼んでくれた。ナイルの洗礼(エジプトの下痢)は抗生物質注射を打たないとすぐには治らないからだ。
宿に来たエジプト人医者は、魔法使いサリーちゃんのパパにそっくりだった。サリーパパはまず私の体温を測った。38.1度あった。
「38度超えか、やはり熱もあるなあ」。
だけどサリーパパは「うん、38.1度なら大した熱じゃないな」。
はっ!? 我が耳を疑った。
よくよく聞けば、エジプト人の基礎体温は37度台が普通だから、38度なんて微熱に過ぎない、と言われた!ええ"~!!!!エジプト人は基礎体温からして違うんだ!
サリーパパそっくり医者は、二百ドルも請求。エジプトでは超高額治療費だ。
だけど日本人は海外旅行保険に入っているもので、保険会社から全額下りるのも何故か知っていた。
それで日本人には高額治療費を請求しているんだ、と悪びれずシレッと言っていた...
体温測って抗生物質注射を一本打ち、処方箋を書いただけなのに。(薬局で買った薬はどれもひと箱数十円とかでした)
エジプト人は医者までぼったくるのだな、と呆れたがその時サリーパパに言われたアドバイスは、なかなか役立った。
「ハチミツをたっぷり入れたブラックコーヒーを飲むようにしろ。
お腹を壊したら、ハチミツ入りのストロングコーヒーに限る。あとは、乳製品は一切摂るな」。
チーズやヨーグルトを食べるな、は理解できたけどハチミツ入りコーヒー...半信半疑だったが、本当にお腹によかったのでびっくりした!
ところで、医者を呼んでくれた安宿は、当時のガイドブック『地球の歩き方』でも紹介されていた宿だった。
その宿について、「オーナーも従業員もみんなフレンドリーでオススメ」という口コミが多数書いてあった。
だから、私もその宿にしたのだが、実際はフレンドリーどころかとんでもない!
オーナーにしつこく夜ばいを迫れて(深夜に部屋のドアをしつこくノック。合鍵も持っているだろうと、それは怖かった)、ゾッとした。
この時、つくづく思ったのは男の人たちが書いた(と思われる)口コミや感想は、そっくりそのまま女の人にも当てはまるとは限らない、ということ...
そのオーナーは確かに、男性宿泊客には気さくでいい奴だった。だけど女性客にはセクハラし放題だったのだ。
二軒目の安宿は、オーナーが爺さんだった上、非常に敬虔なモスリムのジェントルマンだった。
ただ今度は従業員が酷かった。ナイジェリアからの出稼ぎ若者従業員たちのセクハラが、やりたい放題だった。
部屋にいると、用もないのにナイジェリア人従業員が交互にドアをノックしてくる。そして何か口実を作っては、こっちの部屋の中に無理矢理入って来ようとした。
お爺ちゃんオーナーにクレームを出しても、如何せんお爺ちゃんだからのんびりだ。
強く拒否すればそれ以上無理には言ってはこなかったが、やはりウザイ...なので私はなるべく宿の部屋にいないようにし、目の前にある茶店に入り浸るようにした。
茶店は茶店で、常連オッサン連中に下ネタ話ばかり聞かされた。だけど基本的にみんな親切で、人情があったなあ。
ちなみに二軒目の安宿には、なんと!
20年もこの宿に滞在しているという、(セクハラにも無縁な風貌の)ドイツ人オバチャンがいた。(女性だけど、ガタイががっしりして口ヒゲもうっすら生えていた)
「20年前、トランジットでカイロには一泊だけするはずだったのだけど、気づいたらもう20年よ!」。
一泊の予定が、ズルズル20年! 恐ろしい! もしまだあの宿にいたらウケる!!
また、アラビアのローレンスこと、T.E.ローレンスそっくりの格好をしたイギリス人男もいた。
確かに顔がローレンスによく似ていた。
本人もすっかりローレンス気取りで、本物のローレンスのようにバイクにまたがりよく砂漠の方に出かけていた。話す英語も古めかしい気取ったものだった。住んでいるのは小汚い安宿だったくせに...
やはりエジプトといおうか、アフリカ大陸まで来ると、遭遇する外国人も変人が多いなと自分をよそにつくづくそう思った!
日本大使館に在留届を出しに行った時、なにげにホームステイ情報を尋ねた。
本当は渡航前にホームステイ先も見つけておくものだが、イギリスやアメリカ等への留学と違い、エジプトのホームステイ斡旋業者など、日本には存在していなかった。
なので、元来呑気でマイペースな私は、「行ってからホームステイの家も探そう」と思っていた。
「たまたま、こういう家庭が日本人の女性限定で、ホストファミリーとして手を挙げている募集がありますよ」。
大使館の窓口でそう紹介されたのは、ガーデンシティの高級住宅街が住所で、カイロ大学で日本語を専攻している娘もいる家庭だった。理想的なホストファミリーに思えた。
「やっとまともな環境になる!」と心底ホッとした。
実際、迎えてくれたホストマザーは初対面で大きなハグをしてくれ、初日の夜、豪勢なエジプト料理をもてなしてくれた。
その初めての食事の席で、ホストマザーは
「ローロー(私)はもう私の娘。私はあなたのエジプトのママよ」とアラビア語で言ってくれた。(娘が全部英語通訳してくれていた)
ホストファーザーは湾岸(クウェート)に出稼ぎに行っていた。もう何年もエジプトには帰国していないという。でも十分な仕送りがあったので、この家族は裕福のようだった。
温かそうなホストマザーと、片言だけど日本語を話す大学生の娘、そして年が離れた可愛い幼い弟もいた。いい家庭だと思った。
ホームステイ開始数日後、またナイルの洗礼がやってきた。
またもやあの恐ろしい破壊力が半端じゃない下痢に襲われたのだ。
一度すでに下痢になっていたので、もうなることはないと思っていた。食べ物にはむろん、とても気をつけている。
それなのにまた唐突に激しい腹痛と下痢になるとは勘弁してくれ、トホホだった...
全く立てずベッド上でウンウン唸って苦しむ私をみて、ホストマザーは脂っこい肉料理を部屋まで運んで来た。
「お腹を壊し弱ったら、力がつく肉が一番。お肉をたくさん食べなさい」。
腹痛と下痢の患者に対して、お粥でもスープでもなく、こってり油で焼いた肉を食べなさいとは!
結局、この時も医者を呼び、また抗生物質注射を打ってもらいすぐに治した。(むろんまたもや二百ドル請求されました)
私が完治するまで、ホストマザーはずっとオロオロ心配してくれ、何かと部屋まで様子を見に来てくれた。本当にいい人だなあ、ととても嬉しかった。
ところでエジプトに来てもうひと月は過ぎていたが、すでに私は5、6kg痩せていた。
二度にわたる強力な下痢と、心労(不安、ストレス、ショックなど)でげっそり痩せたというより、実際はやつれていた。
一気にこれだけ体重が減ったので、持っている服が全てだぶだぶになっていた。
新たにサイズが合う服を買いに行かないとなあ -
とクローゼットに閉まっていたスーツケースの中に隠していた大きなお金を出そうと思った。
ところが、スーツケースの鍵を開けようとしたら、えっ!? 鍵の箇所が壊されていた。
どういうこと?
中を見ると、実際にお金が減っている。どう考えても犯人はホストファミリーだ。私はショックのあまり、わなわな震えた。
まず大学生の娘に話した。娘と私はすでに結構仲良しになっていた。
彼女は勉強している日本語のことだけでなく、親に交際を反対されているけど、陰でこっそり交際をしている従兄弟君との恋愛話を私に打ち明けたり、
いかに自分はトム・クルーズのファンであるか熱く語ったり、また私にベリーダンスを教えてくれたりしていた。
「クローゼットに閉まっていたスーツケースの鍵が壊されていて、中にいれていた現金が半分に減っているのだけど」
私がそう言うと、彼女は顔が真っ青になり黙った。そしてすぐに母親の所にすっ飛んで行き、母親に大声で怒鳴り出した。
内容は全然分からなかったけれども、
「ママ! あれほど言ったのに、また盗みの癖が出たわね!」というようなことをわめいているようだった。
私は、ははんとぴーんときた。
以前にも外国人留学生を何度かホームステイさせたことがある、と言っていた。おそらく以前にも、ホストマザーは盗んだのだ。前科があるのだ。
娘に罵倒され、ホストマザーは大声で言い返したわめき出した。ものすごい剣幕でごちゃごちゃ騒いだ。だけども、謝罪や返金はいっこうにない。
こりゃあダメだと思い、私はすでに知り合っていた日本人の女性(エジプトに嫁ぎ歴うん十年のベテラン!)に来てもらった。
その方に流暢なアラビア語で「盗んだお金を返しなさい。返さないなら大使館に報告し、大使館側からエジプトの司法に訴えますよ」と言って貰った。
すると、ホストマザーはなんと!突然、コーランを唱えだした。
もともと一日に五回、しっかりお祈りをし人前では必ずヒガーブ(スカーフ)で髪の毛も隠す、真面目なモスレマだった。
でも、盗んだお金を返せ、と言われてそれに対するリアクションが、まさかのお経!!
話しかけても全く反応しないし、身体を揺さぶっても動じない。とにかくずっとぶつぶつお祈りを唱えている。
最終的に、ひたすら詫びを言う娘を通して、盗んだお金の半分だけ返してもらった。残りはもう使ってしまった、とのことで半分しか返金がなかった。
ウ~ン...警察に被害届を出すことも考えた。
だけど、エジプトに来てまだそんなに経っていないのにも関わらず、次々にいろいろな問題が起きて、私はもうすでにへとへと、疲れきっていた。
当時、ホームシックも激しく毎晩トイレットペーパーをワンロール使い果たすほどしくしく朝まで泣いていた。
枕が涙でびしょびしょになるたびに、タオルで枕を包んだものだ。
結局、こういう事件があったということは、紹介者の日本大使館に報告するだけに留まった。そしてすぐにホストファミリーの家を出た。
大学生の娘は目に涙をいっぱい浮かべて、
「ママのことは本当にごめんなさい、ごめんなさい。ローローさん、どうかうちにいてください。あなたはもう私の実の姉妹です!」と大泣きしながら引き止めてきた。
でも一度こういうことがあると、貴重品を部屋に置いたまま、手ぶらでトイレにも行けやしない。家を出るしかない。
その後、アメリカン大学の掲示板で同居人求ム、の貼り紙を見つけ、個性的なドイツ人女性とイタリア人女性と一緒に暮らし始めた。
また、なにしろ用意していた現金の半分も盗まれているので、バイトをする必要に迫れた。
それで、未来の東京都知事のご両親が経営する日本食レストランの事務所で働かせてもらい、同時にようやく大学のアラビア語コースも始まった。
ここでやっとのこと、住まい、授業、仕事(バイト)と、私のエジプト留学の生活が軌道に乗った。二ヶ月かかった!
もっとも、カイロの街を歩けば、相変わらずセクハラといおうか、痴漢は多かった。通行人だけでなく、交通警察官も痴漢してくるという恐るべし!
後で知ったが、中東の中でも特にエジプトとモロッコは痴漢が多い地域で有名だった!
でもそのうち、私もツワモノになり、相手が例え少年(子ども)でも、お尻でも触られるものならキッと睨み、
「アラーバシュファック!」。アラー(神)がお前を見ている!
と怒鳴った! するとどの痴漢もびっくりして、すっ飛んで逃げて行った。何かあればとにかくコーランの一節を口に出したりするようにしていた。だいぶんこれで身を守れたかな。
何度かは痴漢を警察に突き出したが、
「マーレッシュ、マーレッシュ」(まあまあ)と警察が全く真面目に取り合ってくれなかった...
ただ、誤解がないように言えば自分の周りにいたエジプト人はみんな紳士的だった。ただね、やはり繁華街や下町歩きや、公共の乗り物の中だけは痴漢が多かったデスナ。
『ナイルの洗礼』(派手な下痢)はその後、マクドナルドで(!) 食中毒になった時を除き、もう大丈夫だった。
(世界中にあるマクドナルドの中でも、食中毒を出していたマクドナルドはエジプトだけだったと思う)
慣れって本当に凄い!
そのうち、ナイル川の水を手ですくって直接飲んでも、小汚い屋台の生マンゴージュースを飲んでもお腹を全然壊さなくなった!
ところで、エジプト在住数年目のとき、エジプトからスイスに飛んだ。そのスイスで凄まじい下痢に襲われた。
その時に診察をしたスイス人の医者いわく
「エジプトから来たって?
なるほど、君の下痢の原因が分かったよ。
君はね、スイスで久しぶりに清潔な水を飲んだだろ。
だからお腹がびっくりして、逆に下痢になったんだろうねえ」。
....
もう何も言えませんでした...
ちなみに、
ナイルの水を飲んだ者は、またナイルに戻る、とも言われているが、
えっ!? ラッ、ショックラン! ノーサンキューですな 笑
(追記:
エジプトに観光旅行に来ても、絶対お腹を壊さない日本人観光客の人々もいた。それは、
戦争経験の年寄りと農協ツアー!
戦争時中にいろんな物を食べて生き抜いた世代と、体力がある農協の皆さんだけは、見事にお腹をやられなかった。あっぱれだったなあ!)
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