見出し画像

!اجازة سعيدة

前:


ノートを始めて、4か月。

90年代~2004年頃までの、エジプト日記など読んでくれる人はいないに違いない、

と思いつつも、自分の思い出整理や文章修業で書き始めました。


始める前は、エジプト編は10投稿ぐらいで終わるかな、と思っていました。

が、いざ書いてみると、まるでアスワンハイダムが決壊したごとく、次から次に一気にドバっと激しく思い出されました。


当時、ちょっと日記をつけたり、友達に手紙を書いたり、観光ガイドでお客さんにいつも同じエピソードをしていたので、それで多くのことをよく憶えているというのはあります。

そして何よりも、やはり若い時の経験というのは絶対忘れられない、そしてエジプトで起きたこと全てが強烈だった、というのも大きいでしょう。


エジプト編は本当は年内に終わるはずだったのですが、もう少し続きます。

ちなみに、2021年最後の、エジプト編記事が"女子割礼"ネタになってしまったのはしくじりました😰..

(ただエジプトを語るなら避けて通れないトピック、かつエジプト留学/駐在の男性は、おそらく直接知ることもないであろう問題なので、女性しか書けないだろうな、と思いました)

エジプト編が終わったら、ほかの国々のことを、と思っていますが、でもエジプトほど強烈な出来事がないかも..😅

でも、もしかして新たなエジプト編がいずれ生まれるかもしれません。またエジプトに戻ることもすこーし考えているので😂(←懲りない)


なんにせよ、全てインシャアラー。

このノートで、世界中/日本中の同じ日本人の方々、いろいろな分野の方々と知り合いになれて、とてもとても感激して感謝です😆✨。

本当に仲良くしてくださってありがとうございます。来年もよろしくお願いします。

                                               (Happy Holidays!)      ! ,,اجازة سعيدة

画像1

↑通学の帰り。街中に地べたに座っているオッサンだらけでだったので、街角で写真を撮ったら絶対、写りこみました。

画像2

↑授業で使った初級者用のアラビア語テキスト。英語文字版とアラビア語文字版に分かれていました。各38ギニー(当時約1100円くらい。紙媒体は高かった)

画像3

↑左がアラビア語版のページ、右が英語版テキストのページ

画像9

画像4

↑Spoken Arabic of Cairoの本は常に持ち歩いていました。ちなみに、どれも紙の質と印刷が総じて悪かったなあ。

イスラム事典の本も、エジプトで生活する上でとても役立ちました。(ちなみに神保町の古本屋で500円で買いました...)

画像7

画像5

↑初めての授業のノート。

だから見返すと、間違いアラビア語だらけで、我ながらひどい...オレンジ色ノートの表紙にピエールカルダンと文字がありますが、もちろんウソ。

そもそも、バッグも靴も、コピー版のブランドしか売っていませんでした。

画像6

↑スヌーピーもウソものです。ちなみに最初の授業で、アラビア語で書かされた単語はالكوكا كولا

意味は"コカコーラ"です。なんやかんやで"アメリカ"(!)のカルチャー入りまくりだった..💧

画像9

↑ギザのクフ王ピラミッドの前にて。

話している相手は、絵はがき売り屋。

(印刷のわるい)絵はがき10枚1米ドルで売っていました。よく協力して、私のツアー客に奨めてあげていました。

その代わりに、観光バス駐車の場所を押さえてくれていたり、テロが起きた時も、いち早くそのことを教えてくれました。

上の写真は、真剣に話し込んでいるように見えますが、

「今度はいつツアーグループを連れて(ピラミッドに)来るんだ? ビッググループ、連れて来いよ、その方がいっぱい売れて儲かるからな」

と言われているところ...








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?