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マホメットとムハンマド - イスタンブールの絨毯屋にて
↑"写ルンです"の使い捨てカメラで撮った写真。加工一切なしだけど光がドバーと映り驚きました。イスタンブールのブルーモスクにて。(以下の写真も全部"写ルンです"で撮ったもの😆)
「ほお、ほぅ、ほぉおお...」
イスタンブールの某カーペット屋に来ていた。
エジプトで私が組んだ添乗員さんたちからさんざん噂には聞いていたが、百聞は一見に如かず。
本当だ、彼女らの言っていたとおりじゃないか。まさにエジプトのカーペット屋とは全然違う。あんぐりしてほぉ、しか言葉が出ない。
↑これだけはイメージ画像
どういうことかといえば、まずカーペットのレベルが、クオリティーが全然違う。
素人目でも一発で分かる。
トルコの絨毯はなんてデザインが凝っていてシックで繊細なのだろう。
何も分かっていなかった私は、エジプトで観光ガイドをしツアーグループをサッカラ(カイロ近郊)の絨毯屋にご案内する時、
「皆さん、トルコよりエジプト絨毯の方が全然安いんですよ。エジプトで買った方がお得ですよ!」
なんていつも言っていた。穴があったら入りたい。もうあまりにも出来が違い過ぎる...
その後一応、専門家的から見た『エジプト絨毯とトルコ絨毯の違い』は何かな、と検索してみたが、フッ...
そもそも"比較"という同じ土俵にすら上がっていないらしい。
トルコ絨毯vs ペルシャ絨毯のサイトはいっぱい出てくるものの、エジプト絨毯はそれらの比較相手にすらされてもいない...
「日本人は車にはお金をかけるけれど、車は使えば使うほどポンコツになるだけでしょ。
ところがトルコ絨毯はそうじゃない。踏んで踏んで、使えば使うほどいい味が出てきて、むしろ価値が高まるんだ。
日本人も消耗品だけでなく、こういう芸術作品にお金を使わないと。車と違って一生の財産になるよ。
そして絨毯一枚一枚にはstoryがあるんだ。例えばね- 」。
絨毯屋のトルコ人の店員は流暢な日本語ですらすら話しながら、自分のロン毛を指でかき分けた。
「...」
あっけに取られる。だってさらさらヘアーのロン毛のモスリム男なんて今まで出会ったことがないから。しかもstoryとか言っちゃってなんかトルコ地方の民話とか神話なども話し始める。びっくりだ。
私が絨毯ではなくじいっとロン毛君を見ていると、ロン毛君不審そうに
「なに?」
「いえあの、ヴァン・ヘイレンのファンなんですか。似てますね」
「...ちょっとあのさ、キムタクって言ってくんないかな?」。
🐎
エジプトから日本に一時帰国するとき、トルコ航空が最安値だったことがあり、一度イスタンブール経由を利用した。
せっかくなのでトルコにストップオーバーで数泊し、いろいろ買い物と観光でもしようと思った。
話は突然に変わるが、エジプトに住み始めてから私がずっと首を傾げていた疑問があった。
それは何かといえば、
マホメットなのかムハンマドなのか-
世界史でちょろっと出てきたイスラム教の開祖の名前はマホメットだった。だからずっとマホメットで暗記をしていた。
ボクサーでムハンマド・アリという人がいたが、あれは別の名前だと私は思い込んでいた。
ところがだ!
エジプトに来ると、マホメットの名前をどこにも見かけない。イスラム教開祖はマホメットではなく、ムハンマドだという。
あれれ?と思った。
「あの、マホメットじゃないんですか?」
などとエジプト人に尋ねるものなら、総じて怖い顔をして
「そんなわけないだろっ!ムハンマドに決まっているじゃないか!」と真顔で叱られた。
ぬぬ? はて、これいかに、どういうこと?
エジプトではイスラム教の開祖はムハンマドと呼ばれるのはよく分かった。
でもじゃあマホメットはなんなんだ?
その後、日本から送ってもらった『イスラム事典』(平凡社)の索引で"マホメット"で引いてみた。
するとなんとこれしか明記されていない。
↓
マホメット ⇒ ムハンマド...
ますます分からない。どういうこと?
🐎
イスタンブールのカーペット屋に寄ったのは、日本に戻る前に母親への土産を何か買って行こうと思ったからだった。
「予算は五万円以内で小さなカーペットをお願いします」
と言っているのに、ロン毛トルコ人店員はずっと十万円以上のクラスのものばかり出してくる。
「せっかくだから見せてあげているだけだから」
と言って、いくら私が「いいです、いいです」と制しても全然聞いてくれやしない。
さらにカーペットの見せ方が大したもので、一枚一枚を華麗サッと広げて、説明はまるで詩を詠むようにシュバシュバ囁いてくる。
そしていちいちロン毛をサラっとなびかせたり手でかき分けしなを作る。
エジプトのカーペット屋の店員たちの「バザールでござーる!」の大声と「You are my best friend!」の脳天気なセールストークとは何たる違い...
「あの、もういいです」
いくら私がそう言ってもロン毛君は、おそらく私が十、二十万円までは出せるに違いないと踏んでいるのだろう。
絶対五万円以下で済まさせてたまるものか、もっと買わせてやると決め込んでいるようだった。
だから
「別に急いでいないでしょ」
と彼はニッコリ笑って、そしてちょっと待っててと下っ端の少年に命じてアップルティーを持って来させた。
「トルコのファミリーの家にお茶しに来たとでも思って、ゆっくりしていって」
と満面の笑顔を見せた。
「ああこりゃあ、百万ボルトの自分の笑顔が女にはイチコロと分かっているな」。
でもチャーミング笑顔に騙されてたまるものか。絶対五万円以上出さないぞ...
そうして目の前にアップルティーを出された。
アップルティー!!
エジプトにはアップルティーなんぞない。そもそも暑い国なのでりんご🍎自体が...というのもあるのだが、
角砂糖にも驚いた。エジプトで角砂糖なんぞ見たこともない。
といおうかその頃(1996-97年)はちょうど、エジプトでは砂糖不足で五つ星ホテルのティーラウンジでも砂糖は足りていなかった。
だから今ここで、カーペット屋の無料サービスとして(角)砂糖がついてきたことにもびっくり。
このアップルティーと角砂糖で、私の中では「トルコ、凄いな。都会だな」。笑
それにしてもロン毛君の日本語はべらぼうにうまい。
トルコでは日本語が流暢なトルコ人日本語ガイドが大勢いるので、日本人ガイドは必要とされていないと聞いていたがなるほど...
やっぱりバブル時代に大勢のトルコ人が出稼ぎに来日していたことと、
トルコ語と日本語は同じ言語グループに属しているので、双方の言語は似ている。
だからトルコ人にとって日本語は習得しやすく、べらべらが多いのだろう。
🐎
「トルコの初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルク(在任1923-1938 年) は頭がおかしい人で、
アラビア語文字を全部ローマ字に変えちゃったんです。本当にクレイジーでした」。
エジプトで私の出会った大学の先生などは、そんなことを言っていた。
エジプトはオスマン帝国(トルコ)に支配されて長いこと属州になっていた上、
トルコはイスラエルと共同軍事演習など行っているので、エジプト人の多くはトルコを嫌っていた。第一、民族が異なる。トルコ人はアラブ民族ではない。
同じモスリムなのだが、見ていて思ったのが民族が異なると宗教が一緒でも同胞意識など全然ないようだった。
だからカイロにはマレーシア人のモスリムの留学生も多かったが、彼らはアジア人なのでエジプト人からは完全に外国人としか見なされていない。
そういう意味ではパレスチナ人は同じアラブ人のモスリムだ。だからこそなおさら、イスラエル問題における彼らには肩入れをしたのだろうと思う。
ちなみに前述のとおり、エジプト人の名前の大半が"ムハンマド"。
もし公共の場で「ムハンマド!」と叫んだらそこにいる大多数のエジプト人が「俺か?」と顔を上げるものだった。
イスラム教開祖の名前はムハンマドなので、この名前を持つモスリムが多いのは当たり前といえば当たり前なのだが、
じゃあ私が日本で習った『イスラム教の開祖はマホメット』のマホメットとは一体誰?
🐎
角砂糖を二つ入れたアップルティーはとても美味しい。
ちらっと目の前のロン毛トルコ人店員君を見た。確かに顔が綺麗だった。
ふと以前、エジプトで私がツアーを組んだある添乗員さんのことを思い出した。
その添乗員の女性はやたらとモスリムの男性との結婚のことを質問してくるので、何だろうと思いきや案の定、
「トルコ添乗で知り合ったトルコ人のカーペット屋の店員と婚約したんです」。
写真をみせてもらったら、どえらく美形でびっくりした。このロン毛君よりずっと綺麗なトルコ人だった。
思わず「モテる人でしょうね。ちょっと心配でしょう」と私が大きなお世話を言ってしまうと、
「ええ、そうなんです。だから結婚後は日本で一緒に住む予定なのですが、彼には主夫をお願いし家にいてもらうつもりです。(顔がいいので)心配だから外に出せませんから」
ときっぱり真顔で言っていた。
聞けば、その添乗員さんは某地方の大きな家に住む豪族のお嬢様。実家では夫ひとりぐらい囲えるのかな。その後どうなったか知らないが、だいたい想像はできるちゃうかな...
「おかわりも飲む?」
ロン毛君がそう聞いてきたので、私は首を横に振った。
少年にソーサー付きのグラスを返す際、つい「ショックラン」ありがとう、とアラビア語でお礼を言ってしまった。
やはり顔とか人種が似ているので、どうしてもトルコに来てからもどこでも英語ではなくて、アラビア語がうっかり口から出てしまう。
その度にトルコ人に失笑された。
実際、彼らからしたらエジプト人など完全に下に見ているようで、
「えー?アラブなんかに住んでいるのぉ? しかもエジプト~?」
と市場のオッサンたちにもへらへら馬鹿にされた...なのでこの絨毯屋の少年もちょっと小馬鹿にするように笑った...
「じゃあ続きを見せるよ」
ロン毛君はそう言って立ち上がり、華麗なる手さばきで美しいカーペットの数々をひらりひらり"魅せて"きた。何となく日本舞踊に似ているかも。
でも結局やっぱり私は五万円の小さなカーペットしか買わなかった。
「これしか買わなくてすみません」
と謝る必要ないものの、つい私がそう謝るとロン毛君はまた髪の毛を書き上げながら
「君がハッピーなら僕もハッピー」
ととても優しい表情でウィンクをしてきた。
ひぇー!
くどいが 「バザールでござーる」を満面の笑顔で言ってくるエジプトのカーペット屋とは本当に本当に何たる違い!
エジプト人の絨毯屋店員たちがお祭りの綿菓子屋のレベルだとしたら、このトルコ人ロン毛君なんてさしずめ指名数ナンバーワンのホストってとこだろう。
会計の時にロン毛君は自分の名刺を私に渡してきた。それを見ると『サリーム』と書かれていた。
ふうんとだけ思ったその時だった。
私に渡す数十ドルのお札の持ち合わせがなく、ロン毛(サリーム)君は向こうにいた同僚の店員君に声をかけた。
「マホメット!(Mehmet)」
えっ?
私は一瞬耳を疑った。
「マホメット、10ドル札は数枚あるか?」
↑多分こんなことを言ったと思われるが、間違いない。二回もマホメットとはっきり呼んだ。
エジプトでは一回も聞くことのなかった『マホメット』!!
まさかトルコで『マホメット』を耳にするとは!!
「あの、あの人の名前はマホメットなのですか?」
「そうだよ。それがどうしたの?」
「マホメットの名前はトルコでは多いのですか?」
「もちろん、一番多いさ。預言者マホメットから取った名前だからね」
「イスラム教の開祖の名前はマホメットなんですか? ムハンマドじゃないのですか?」
「トルコではマホメット、ムハンマドはアラブ読みだよ」。
「!!!」
マホメットはトルコ語だったのか!
初めて知ったこの事実。なんでもっと早く気がつかなかったのだろう、と自分で思ったが、背中に震えが走ったほど驚いた。
日本に戻ってから調べると、日本トルコは長きに渡り非常に親密で友好関係にあった。
よっておそらくイスラム教もトルコを介して日本にもたらされ、
だからアラビア半島発祥のイスラム教の開祖の名前ですらも、アラビア語のムハンマドではなく、
トルコ語読みのマホメットとして日本に伝わったのだろう。
そして私と全く同じく、ムハンマド/マホメットについてご興味を持っておられた方がなんと他にもいらした!
noteで知り合った 気にし過ぎな日本語 さん。私がカイロに住み始める前に、ご家族と向こうに住んでおられた。
きっと偉いポジションの凄い方に違いないのだが、そんな方でもムハンマド/マホメットに疑問を抱いておられたとのこと。
妙に親近感を抱きめちゃくちゃ嬉しく思った。笑
以下の気にし過ぎな日本語さんの記事では、では他言語ではこのムハンマド/マホメットをなんと呼んでいるか、
など非常にマニアック! な情報を教えてくれています。
もし私のようにムハンマド/マホメットが気になるマニアックな方がおられたら、是非とも気にし過ぎな日本語さんのこの記事は注目です👍
なお、イスタンブールの絨毯屋で購入した五万円の絨毯は、その後飼い猫にゲボゲボゲロを吐かれました。
でもあのロン毛君の言ったとおり、むしろ"使いこんで"(ゲロで)深みのあるいい感じになりました。笑
おまけ: トルコに行ったとき、どこの店でも流れていた当時の大ヒットソング。この数年後にはなんと! この歌はチェコでも流行り、オーストラリアや日本でもカバーされました。