スカラベはどこへ"戦い"(テロ)を転がすのか
↑前
エジプト神話によれば、羊の頭をした創造神クヌム(上の壁画の真ん中)は粘土からすべてのもの(人間も神々)を創造した。
ところで、スカラベ(ふんころがし)はフンを丸め、そこに卵を生み付ける。
スカラベが卵付きフンを転がす姿は、まるで粘土で"生命"を作りあげるクヌム神のようだった。
さらにスカラベは雄であり、土壌から直接生まれたと信じられていた。
さらに、だ。
太陽は東から西に沈む。
西に位置するモロッコは、アラビア語でマグレブといい、『日の沈む場所』という意味を持つ。
エジプト神話では、この太陽の動きはスカラベによるものだ、と見なされた。
スカラベが空を横切る。西の地 (マグレブ) から、東の方向へ、フンのように太陽を空上で転がしながら横切る。
そして、フンに付着した卵が太陽に生まれ変わり、空高々に上がり、この地に光をもたらす...
だから、スカラベ="新しい生命と復活"のシンボルになり、この昆虫は古代エジプト人の信仰の対象になった。
しかしもし、スカラベが太陽を転がす方向や、空の位置を間違えたらどうなるのだろう-
エジプト航空が急にフライトキャンセルしてしまった時、
テロリストに目を付けられないよう、おんぼろなローカル乗り合いバスに乗せられ、アスワンからルクソールまで陸路移動になった。
が、言わんこっちゃない。案の定、襲撃された。だから、特に南部のバス移動は嫌なのだ。
ひとり旅でエジプトに来たドイツ人年配女性、ハイディさん(仮名)は私の真横で屈んでしゃがみ、がくがくわなわな震えていた。
気持ちを少しでも落ち着かせてあげようと思い、何かお守りを渡そうと思った。
が私の胸元の十字架はさすがに貸せないし、そうだ!
ミニチュアの"ホルスの目"か"ファティマの目"でもないかな、と暗いバス車内の中、自分のかばんやポケットをガサガサ探ってみた。
↑太陽の昇る東岸はミクロポリス(生者の街)。王宮/神殿があった。太陽の沈む西岸はネクロポリス(死者の街)。葬祭殿/墓があった。
ルクソール西岸に行くと、必ずクルナ村という小さな村の石工房にツアーグループを連れて行っていた。
谷々の傾斜の集落であるクルナ村は、貴族/王妃/王家の谷そしてハトシェプスト女王葬祭殿のすぐ近くにある村だった。
彼らの先祖はもともと墓泥棒で、王家の谷などの墓に忍び込んでは、副葬品を盗み生計を立てていた。
しかし現代では、この村の住人は全員モスリムで、それぞれの石工房(バザール)に立ち寄る観光客に、石の類いの土産物を売って生活をしている。
(ちなみにルクソールは、東岸にクリスチャンが多かった。
エジプト南部にコプト(クリスチャン)が多いのは、もともとエジプトは古代エジプト時代の後、コプト国家になった。
がアラブ侵攻により、イスラム教国家へ。その際に、カイロなどの北部のコプトのエジプト人たちが南部に逃れてきた影響もあるからである)
クルナ村の石工房に寄るのも、別に好きでしているわけではない。
クルナ村の連中がルクソール西岸一帯を牛耳っていたため、実際に買い物するしないは置いておき、絶対に"寄らねば"ならなかったのだ。
でもまあ、石工房(バザール)では、カルカデジュース(ハイビスカスジュース)やコーラが無料で出てきて、
トイレも無料で使わせてもらえ(←チップを請求する怖いトイレおばさんがいないのはありがたい)、
また古代エジプト人の石作りデモンストレーションの実演してもらえ、休憩がてらちょっと覗いてみるのも、悪くはなかった。
イスラムの教えでは、客人(旅人)をおもてしをしなければならない。
だから、例え全く買い物をしなくても、石工房の人々(男のみが接客)は友好的で感じがよかった。
そして、必ず人数分"ホルスの目"か"ファティマの手"そして"スカラベ"などの小さな、とても小さなミニチュアをお土産としグループ全員に配ってくれた。
(全く売り上げがなくても、文句言われるというのは全くなかった。それはそれでアラーの思し召し...)
激しいスピードを上げる、暗闇のバスに揺られながら、かばんやポケットをゴソゴソ探った。
すると、ズボンポケットから、小さな花崗岩のスカラベが出てきた。空の青色で塗られた、スカラベ(ふんころがし!)だ。
「おっ!」
私はそれを取りだし、ハイディさんに握らせた。
「スカラベの神様があなたを守る、エジプトにいる間は守るから大丈夫よ」。
むろん、ただの出まかせだった。本当は"ホルスの目"や"ファティマの手"が魔よけや護身のお守りで、スカラベは意味がちょっと違う。
ただの偶然だったが、私がドイツ子さんにスカラベを渡した後、どうもテロリストは退散したらしく、ピタッと静かになった。
だから結局、この時の襲撃は二回、弾丸を撃ち込まれただけで済んだ。
(なお、こういう襲撃は決して"しょっちゅう"ではなかった、ことも付け加えておきます。)
ルクソールに着いたのは、予定より大幅オーバーで、もう深夜だった。アメリカ資本の五つ星ホテルに到着すると、ホテル玄関のセキュリティーは
「ヤバーニー(ジャパニーズ)か。ノーセキュリティー!」
と言い、手荷物も何も一切チェックされず、さあさあと手招きで、ホテル入口のセキュリティチェックが、ビービー鳴り続ける中を通してくれた。
かたや、ちらっと見ると、同じ護衛パトカー先導の下、他のバスでアスワンからやってきたエジプト人グループ。
彼らは北部出身で、旅行で南部に旅行しに来ているようだったが、全員一人一人、徹底的に細かい、気の遠くなるような身体検査と手荷物検査を実施されていた。
彼らももちろん疲労困憊している。早くチェックインしたいだろうに、気の毒だ。
ホテルに限ったことではなかったが、どこでもかしこでもたいてい、日本人は正面玄関から入れて、時にはノーセキュリティチェックだった。
白人も全員、例えどんなにヨレヨレの恰好でも、正面玄関から堂々と入れ、ほとんどセキュリティーチェックは無いに等しかった。
以前、私が投稿で書いた、私の同居人の、下品極まりないアバズレおデブさんだったドイツ子も、
エジプトが今だにギリシャのもの、と言って、エジプト人を見下しまくっていたギリシャ大使館の人々も、
東欧出身のフランス亡命移民に 「お前はいつ東欧に帰るんだい?」とねちねち言い続けていたフランスアンティークなんとか庁のお偉いフランス人オッサンも、
アラビアのローレンス気取りで、エジプトをまだイギリスの支配下のような態度だったダニエルも、
子供時からロサンジェルスで育ち、アメリカ国籍も持っていた、白人にしか見えなかった元ナイル川船長(←サラっと書きますが、実は王室のメンバーだったことが最近発覚)も
(↑全員、すでに登場した面々。ああ自分で懐かしい!)どんなホテルの正面玄関でもうやうやしく入れてもらえていた。
"草履"(ビーサン)の湾岸人たちも、むろん正面玄関オッケー。ほとんどノーチェック。
それなのに、お手伝いのフィリピン人とアフリカ人(元同じ国だった、スーダン人含む)そしてエジプト人庶民(←服装で見極める)は、そもそも正面玄関から入れないことが多く、裏口に回されていた。
明らかに見た目、人種国籍で差別をしており、やるせない。
だから正面玄関で、エジプト人ドアマンに邪険な態度取られ、嫌がらせのようなしつこい荷物チェックをされる、ナイジェリア人サッカー選手たちがぶちギレたり
(しかも、エジプトチームからはギャラも支払われない。ちなみにナイジェリア人サッカー選手たちの、エジプト悪口は最高!抱腹絶倒ものでああ、録音しておけばよかった!)、
またフィリピン人女性たちがカチンとくるのも当たり前だ。
「同じアジア人なのに、あなたたちはずるい」
と、簡単に正面玄関から入れてもらっている日本人女性たちを見て、悪態をついてこられたこともあった。
気持ちは分かる。こんな露骨な差別は間違っている。私が向こうの立場なら、やっぱりズルイと思うだろう。
自分たちがさんざんフランスとイギリスに差別を受けて嫌な思いをした同じ差別を、
エジプト人よ、あんたたちは今度は同じエジプト人や外国人にやるのかね、というのは本当に本当に思った。
ルクソールに夜遅くに到着した後、もう深夜なのにホテルのレストランで夕食を取った。
私たちの到着を待って、店を開き続けていた従業員たちも気の毒だ。
むろん、残業手当てなど出ないのは知っているので、この時も私がポケットマネーで、結構な金額のチップを、彼らに直接渡した。
(以前、バザール(土産店)のマージンの話を書きましたが、このように↑結構、皆さんからのマージンの還元..方々で自腹を切っていました。)
実際、レストラン側も待ちくたびれてヘロヘロ。ツアーグループの方も精神的にも体力的にもふらふら。
本当は、各部屋での食事がいいと私は思ったのだが、ランチもランチボックスだったということで、
「何が何でもレストランで"深夜食"しましょう」と添乗員さん...チト融通が利カナイ..!
翌日、予定通りルクソール観光をした。
ルクソール市内観光には、護衛は付かなかった。
理由は、テログループは農村部におり、ルクソール市内にはいない。警官も多く配備されているルクソール市内を観光する分には、安全の脅威は全くない、と思われていた。(←重要箇所です)
そうそう前日のバス襲撃の件...
旅行会社のアシスタントを通し、警察の回答を得た;
「あれはテロではない。子供のいたずらで"石"鉄砲を当てられただけだ」。
...
いつだってこうだった。飛行機がハイジャックされても、
「精神異常者による単独犯」だけの声明だったし、観光バスが狙撃されても、なんと!
「飛んでいる鳩がぶつかっただけ」「子供の投げた石だった」「ただの何らかのアクシデント」...
当時、スマホはない時代だったが、ハンディビデオカメラはあった。しかし実際には、現場で撮影などできない。そんな心の余裕もないし、緊迫感漂う中で、一般観光客がホームビデオカメラなど出せる状況ではない。
ルクソール観光中、例のバスで一緒だったハイディさんと、カルナック大神殿でばったり会った。
「あなたに貰ったスカラベ、肌身離さず持っているわ!」
と満面の笑顔でニッコリ笑った。本当は"安全祈願"のお守りではないのだけど..
午後、ルクソール西岸に渡った。まず、メムノンの巨象という大きな石の像のところで、バスを停めた。
グループの皆さんが下車して、巨象の前で記念撮影をしていると、ハトシェプスト女王葬祭殿か貴族の谷か王家の谷から、機関銃の連射音が聞こえてきた。
「そんな遠くの音が聞こえるわけがない」
と思われるかもしれないが、valley谷ばかりなので、反響がありよく聞こえるのだ。
機関銃連射音と共に、いつも穏やかでピーナッツだがひまわりの種(に見える)をクチャクチャ食べている、ほんわかしたおじいちゃんドライバーの顔つきが、いきなりがらっと怖くなった。
「早く乗れ!」
すぐに全員、バスに乗った。
「人数はカウントしたか!?」
この時の添乗員さんは、あまりとっさの判断や行動を取れない新人だった。(←バスでも震えているだけだった上、深夜なのに、レストランでの食事にはこだわったし)
でも、これは日本の旅行会社の無知に問題がある。添乗員個人のせいではない。
エジプトとトルコは日本語(日本人)スルーガイドがつきっきりでずっと同行する。
だから1997年頃には、この二ヵ国にそれぞれツアーを出すのに、いくつかの日本の旅行会社は、日当も安い新人添乗員をアサインすることが多くなっていた。
中には全く英語のできない、海外渡航経験のない添乗員までも寄越していた。
(エジプトに比べると)先進国トルコはまだしも、このエジプトに、英語もできない海外経験のない新米を送り込むのか。
テロをなめている上、"必ず"複数のお客さんたちがお腹を壊し、ホテルに医者を呼ぶことも多々あるのに、アッチョンブリケ!
バスの点呼も本来は添乗員の仕事なのだが、私がババッと数え、
「みんないる!」と運転手に返事をした。
「よしっ!」
おじいちゃん運転手は、敢えてマニアックな裏道隠れ道ルートを選び、出るだけのぎりぎりのハイスピードを出し、船着き場に戻った。
いつもなら、どんな細かいルート変更や、次の目的地の確認など必ずしてくるのだが、この時は彼は全て自分の判断でバスをUターンさせた。
結局、あの機関銃音は具体的にどこから聞こえたものなのか、何だったのなさっぱり分からないままだった。
確か、エジプト人が1,2人(←おそらくクリスチャン。ルクソールはクリスチャンが多い街)が"マグヌーン"(crazy guy)に殺された、というようなことだけを聞いた。
「じゃあ、いよいよルクソール市内観光も危険なんじゃないの?」
私が旅行会社アシスタントにそう聞くと
「マグヌーンの衝動的な単独犯で、しかもすぐに逮捕されたから問題ないよ」
と彼は答えた。
彼も、その公式発表を信じているわけではない。狭い街なので、むしろ真相をすでに全て聞いていただろう。
ただ、ツーリズムの人間が真相を言うわけがない。仕事を失いたくないからだ。
だから、本当なら日本から飛んでくる添乗員たちが、まずそれぞれの日本の旅行会社に、実際に何が起きたか報告をせねばならない。
ところが、現地のガイド(特にエジプト人日本語ガイド)も真相を隠す。添乗員に詰問されても、誤魔化す。ツアーが途絶えると、自分たちの生活が困るから。
また添乗員もほとんど派遣ばかりだった。さらに前述のとおり、この頃はエジプトに飛んでくる添乗員も、新人が多くなっていた。このへんにももしかして、問題があったのかもしれない。
それにしても、一度のツアーで二回もこんなに危険な目の遭うのはとても珍しい。この時のグループはとても不運だった..結局ルクソール西岸観光を出来なかったわけだし。
この次の新しいツアーは何も問題がなかった。エジプト航空も予定通り飛び、なにもかもが予定通り進んだ。
だからルクソール西岸観光で、クルナ村にも予定どおりバスを着けた。
ルクソール西岸のクルナ村には、石屋はいくつもあるが、どこの店でも、ガラベーヤ(民族衣装)のオッサンたちが
「我々は古代エジプト人のやり方を継承し、伝統的で原始的な古代の方法で手で壺や皿、アクセサリーを手作業で作っています」。
そして下の画像のような、(例えば)壺作りのデモンストレーションを見せる。
ちゃんちゃんですぐに終わるデモンストレーション(パフォーマンス)の披露の後、狭い工房の中に通され、いきなりセールスが始まる。
ベテラン添乗員と違い、エジプトのような国のルールを分かっていない新人添乗員の中には、
無料のトイレを借りて無料サービスドリンクを飲み、無料デモンストレーションだけを見終わると、すぐにグループを立ち去らせようとした。
買い物するしないじゃなく、ちゃんと添乗員もガイドも工房の協力をしましたよ、という姿勢を見せるのが重要なのに。
エジプト人はとてもプライドが高い。しかも彼らは石の土産品を売って生計を立てている。無料サービスだけ利用してはいさ、さようならはどこの国でも非常識だ。
この時も、新人添乗員君は、
「さあさあ皆さん、もう行きましょう」と工房の中に入る前にそう言った。
おいおい!びっくりした私と軽く口論。
「じゃあ5分だけですよ。なんでこんな汚い所に...」新人君はぶつぶつ。
工房の中ではトルコ石やタイガーアイ、ムーンストーン、ガーネット、アメジストのネックレスがたった2,30ドルで買えるだとか、
アラバスター製の灰皿、食器皿、ピラミッドそしてスカラベの置物を売っていた。
ところで冒頭にも書いたが、スカラベはふんころがしの虫だ。
しかし、(お尻を吊り上げて太陽の方向に)フンを転がすその姿が太陽(神)を転がしている姿に見えることから、古代エジプトでは天体の神様であり、そして"renewal and rebirth"(復活と再生)のシンボルだった。
だから、ルクソールのカルナック神殿では、かつて妊娠を望む女性たちが、巨大なスカラベ石像をの周りをぐるぐる回っていた。
(古代エジプト教の言い伝えなので、モスリムやクリスチャンの女性はやっていません)
また、古代エジプト人は、人が死ぬと、その遺体の心臓を取り除いた。なぜなら、心臓に含まれる人間の資質(恐怖、弱さ、欲望など)を除去するためだ。
遺体から心臓を摘出すると、心臓のあった部分に空洞ができる。そこに、スカラベ(カブトムシ)の小さな石のお守り(kheper)を埋め込む。
それは前述のとおり、スカラベは復活と再生(生まれ変わり)のシンボルだからだ。
彫刻でも壁画でも、心臓の姿に似せるため、スカラベがうずくまった体勢でいることが多いのも、それがゆえんにだ。
(余談だが、エジプト神話はとにかく日本創世神話にあまりにも似ていることに、フランス人のエジプト考古学者たちも口に出して言っていました。)
グループの皆さんが中で商品を見ている間、私はバックヤードの電話を借りに裏に回った。
すると、工房裏口に、"漢字"の文字が印刷された段ボールがいくつも無造作に置かれているのに、気がついた。
"漢字"文字には当然、漢字圏日本人の私の意識が向く。蓋が開いていたので、思わず中を覗いた。
えっ!!?! ひぇー!
「数千年前の石製造のやり方を継承し、何もかもハンドメイド、手作りしています」
毎回彼らがデモンストレーションをちょこっと実演する、石壺や石アクセサリーが、段ボールの中にぎっしり入っていたのだ。
しかも"made in China"のシールが一個一個に貼られている。
「やっぱり、ハンドメイドでもなんでもない上、石もエジプトの石ではなかったんだ!
南エジプト産の石で数千年前と同じ作り方で、手作業で作っているというアクセサリーもツボも置物も全て、なんと! 全部チャイナだったのか!!!!」
薄々といおうか、まあ手作りはありえないなとは思っていた。なぜなら作業員は数名しかいないのに、狭い店内には所狭し、といついっても石のグッズがぎっしりだった。
そもそも、石はたいてい、アスワンから運ぶはずだが、そんな作業のトラックなど一回も見たことすらない。何よりもどの商品も"嘘臭さ"がもろだった。
私がア然としていると、工房のオッサンひとりが何処からか現れ、さっと私の手からmade in Chinaのシールのネックレス(タイガーアイ)を奪い取り、段ボールもそそくさ隠そうとした。
前述したが、クルナ村の人々の先祖はそもそもみんな"墓泥棒"なので、子孫の彼らが小賢しいことをしていても、不思議ではない。
もともと、エジプトで売っているトルコ石やアレキサンドリアライトの石も天然のものではないのは、一目瞭然。でも天然石として、どの店でも売っていた。まあ、そういう国.."おもてなし"は非常に感じいいのだけど...
店を出てバスに戻る時に、工房の親方にちょっと私だけ呼ばれた。
「ああ、あれを目撃した件だな」
と一発で分かった。
だから言われるまでもなく、私ははっきりこう言った。
「何も言わないしもう見たことは忘れた、そもそも何も見ていない」。
鷲のような鋭い目つきの石屋の親方は、私が相棒を組むルクソールのライセンスガイド、ハッジの身内だった。
だから親方も、ハッジにとって私がとても重要(←お金を運ぶ日本人ガイド)というのも分かっていたので、どうのこうのされることはないだろう、と私は特に心配はしていなかった。
これも一応、「見たものについて口外するなよ」の確認をしておきたいのだと思った。
私がとぼけると、石工房の親方は満面の笑顔を見せた。(でも目つきは鋭いまま)
「ドクトーラ(←私)はいい人だ。さっきもツアーリーダー(添乗員)を説得して、工房の中にグループを入れてくれた。ドクトーラはmy ファミリーであり、my best friendであり、my daughterだ」。
(↑エジプト人が言う"best friend 親友”は百人はいる。他にはすぐに"お前は俺のブラザー/シスター" 、(一回一緒に外出しただけで)すぐに"アイラブユー"を口にする。これは知っておいた方がいいでしょう、特に若いヤバニーヤ(日本人女性)は。)
「ありがとうございます、また次よろしくお願いします」
「今度はいつ来るんだい?」
「夏でツアー自体がほとんどないから、次回がいつかはまだ決まっていません。ちょっと外国にも出ようと思っているし」
親方は
「オー、それはそれは!」と明るい声を上げた。
ぬっ!? そんなにホッとするとは! そんなに、made in Chinaシールを見られた件が気になるのか..と私は思った。
「ま、ドクトーラは働き過ぎだ。当分はゆっくり休暇を取って日本に帰ったり、外国旅行でもしてくるといいよ」。
それはまるで、私に居なくなってほしいかのように聞こえた。
そして別れ際に、ツアーグループ人数分の、お土産を寄越した。この時は、小さなアラバスター(雪花石膏)製のスカラベだった。
「あれ、なんだか多いですよ」
「いいんだいいんだ、ムシムシケラ(=no problem)。とにかくドクトーラ、ゆっくり休みなさい」。
「ありがとう。では次回また、インシャアラー」
「インシャアラー、ゆっくり休暇を取りなさい」。
クルナ村を出る時、工房の皆さん (むろん男のみ) が、みんなでバスに笑顔で手を振ってくれた。いつもの通りだ。
これは、1997年8月某日のことだった。
「ゆっくり休暇を取りなさい 」
- 本当に親切心でただそう言っただけなのか。いままでかつて一回もそんなことを言ってきたことはない。
いつもは「またすぐ会おう、インシャアラー」だった。
それとも、ハンドメイドとして売っている石グッズが、実は全てmade in Chinaというのを見られたので、単にルクソールから私を遠ざけたかったのか、
それともそれとも、
「私は何も見ていない、何も他言しない」と言ったお礼に、私に何か"忠告"をしてくれたのか...
真相は一生闇のままだ。でも、明日も明後日もまた世界の至る所で太陽が空に昇る。スカラベが毎日毎日、太陽を転がし東から空へ運んでくれているおかげだ。
つづく
次↓
↑スカラベを神格化した神様のケプリ。太陽の運行を司っており(地上に太陽を持って来る)、太陽の舟にも乗る。