“Sphinxの濁声”(ルクソールから)
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エジプトのツーリズム編!?に行くつもりなのですが、
あえてここで、私がガイドをしている楽しそうな様子の写真ばかり(全てルクソール)を、先に見てもらいたいと思いました。
なぜなのか、この後に続く怒涛の展開とのコンスラントを強調したかったからです。(←大袈裟😅)
タイトルの“Sphinxの濁声”は、noteの中の、高貴なる仙人様の浮世雲さんから、以前コメントでいただいたものです。
素敵✨で気に入っているので、タイトルに入れさせてもらいました😆(本文とは関係ない😅)
さて、ルクソールをガイドした時の、写真アレコレです📷
↑カルナック大神殿の参道。右の、座っている人は、神殿の番人(バワーブ)。彼はいつも昼寝していました。
↑最初の頃は持ち歩いていました。
↑右がお客さん。左のピンクが私。へそ出しが流行っていた時代です。この写真のお客さんが、日本で出産された時は、私もお祝いに駆けつけました。(後ろの壁画は、二輪馬車で弓を放つラムセス二世)
↑ツタンカーメン夫婦の像の前。左が私。
↑オベリスクの前で。ちなみにルクソール神殿の方では👻の出る"間"がありました。しょっちゅう、そこでお客さんが突如、具合悪化、カメラ壊れる/心霊写真写るなど起きました。だから、私はそこは足を踏み入れないようにしていました。
↑カルナック大神殿の大列柱室。柱は全部で134本。真夏でもとても涼しい"柱の森"。映画『ナイル殺人事件』の、上から落石で命が狙われるシーンは、ここで撮影。世界遺産だろうと、大金積めばどこでも撮影可でした。
↑どこもかしこも見るものいっぱいのカルナック大神殿&ルクソール神殿。でも日本のツアーは観光時間が短く、いかに時間以内で終わらせるか、大変厳しかった。
↑カルナック大神殿の聖なる池。王家の人間のみ、ここで舟遊びができました。(『王家の紋章』ではキャロルとメンフィスはここで結婚の儀式を行っています😆)。写真は姑さん(右)&新婚旅行ご夫婦!。日本で、新居にご招待してもらい、また私は赤ちゃん誕生の時は、病院まで新生児を見に行かせてもらいました。
↑すっかりエジプト人化していて、激しい身振り手振りでガイドする私
↑番人にチップ払えば、立入禁止の高台に侵入できました。
↑真ん中の、一番ノリノリのピンクがガイドの私。両横はお客さん。その後右の水色ターバンさんの、結婚式にも呼んでもらいました。
↑ルクソールの早稲田ハウスの前
↑お客さんのお嬢さんと。右はコブラ使い。むろん、毒抜きのコブラです。インドでもコブラ使いはいたなあ。
↑ルクソールの馬車。後ろにはお客さんが乗っています。隣の御者は「ムバラクは最低だ。ナセル(大統領)の時は、みんな平等でよかった。ムバラクのせいで、貧富の格差が急激になった。革命は必ず起きる」と愚痴ってばかりでした。本当にそうなった!
↑王家の谷。ガイドの私だけ、脚を出しています...
↑上、三枚も王家の谷
↑メムノンの巨像。右のお客さんとは東京で飲みに行きました。
↑↓新人日本人ガイドのために、書いてあげたあんちょこ😅
↓パソコン(ウインドウズ95かmeで書いた、新人さんのための、私の説明)
↑全て泊まったホテルの部屋にあった、レターセット✉📝の紙の裏を使用😆
私が好きだった一節。神殿を訪れる際には、お客さんの前で必ずこれを暗唱していました:
崩れた神殿の中に立って、
その柱に、その足元の石一つ一つに、
古代の人々の息吹を感じ、
その歴史の中に我入るイメージがなければ、
遺跡はただの崩れた石に過ぎない。
(※肝心な、誰の言葉だったのか、忘れました。著名なヨーロッパ人の考古学者か詩人だったはず..漫画『王家の紋章』で紹介されていたのを、メモりました😆)
~エジプト観光地の写真の大半は、私が担当した日本人ツアーの皆さんに、撮っていただき(フィルム)送って貰ったものです。
中には、「お嬢さんは元気でやられていますので、ご安心くださいね」と日本の私の両親に、写真同封の手紙を出してくれたお客様もいらっしゃいました。
また、ツアー後、エジプトまで定期的に食べ物や本などを送ってくれた方、
私の帰国の際には、成田空港まで駆けつけてくれた32名の元お客様方。
自宅にご招待してくださった方々も大勢いました。
今でも感謝していますし、グループツアーを馬鹿にする風潮もありますが、とんでもない!
とにかくいい経験でした。
ショックランゲジーラ!ありがとう!!!
(※さて次の投稿で、リアルなエジプト観光ツアーの"裏側"どろどろ事情暴露に向かいます...)
追伸
⛄ちなみに、今日は都心も雪...外の雪❄を眺めながら、暑いルクソールの投稿☀..
↑よおく見ると、奥にバワーブ(番人)が寝ている
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