カイロの新しい家はお屋敷!
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カイロ留学生活を始め、まずエジプト人ファミリーの家にホームステイ。
だけどホストマザーにお金を盗まれ(!)、急遽その家を出る。(海外ホームステイ=ほのぼのアットホームではない見本、とほほ...)
今度はドイツ人子と同居。
が、このドイツ子、なかなかの不良娘で素行が悪く、隣近所から苦情が入り、大家に追い出される。
で、ベッドルームが三つもあるアパートにひとり残された私は、新たに同居人二名を募集。留学生の日本人女性たちが連絡をしてきた。
ひとりは国費留学生で、日本の某国立大学に在籍。留学先のこの街カイロでは、五つ星ホテルに住んでいた。
でも、とあるエジプト人男性の子どもを身ごもってしまい、カイロの病院で中絶。そのため身も心も弱まり、賑やかなルームシェア生活をしてみたい、と言ってきた。
初対面でこの話をされた時、同世代の私でもア然...とても難しい大学に入り、国のお金で留学に来ているのに、そうかぁ中絶かぁ...
でもその後も、ほかの日本人留学生女子の中絶話は2,3回は耳にした。今思えば、90年代の日本人女性は、まだ女性側の避妊薬使用は一般的ではなかったし、強く避妊の主張を男性にしようという風潮ではなかったせいもあったからだろうなぁ...。
もうひとりの同居人は、以前パックツアーでエジプトに来て、この国がとても気に入ったので、仕事を辞めて語学留学に来たという女性だった。
彼女たちとの同居は、心休まるものだった。笑
というのも、勝手に人の食べ物を食べない、勝手に人の寝室にも入ってこない。深夜に大勢人を招いたり音楽を大音量でかけない。
キッチンや浴室は綺麗に使い、共有スペースも常にきちんと片付けてくれる。前の同居人、荒くれドイツ子とは何たる違い!
ただ、問題がないわけでもなく、そのうちの一つをあげるとするならば『入浴』。
カイロのフラット(アパート)も、欧米と同じでバスタブとトイレと洗面台が同じ空間にある。
ところが、国費留学生子さんはKYなところがあり、朝っぱらから長々と風呂桶にお湯を溜め長い時間、入浴に浸かる。
しかし再度言うが、同じ浴室にトイレも、歯磨きや顔を洗う洗面台もあるのだ。忙しい朝に、ほかの人が長湯...同じ浴室にあるトイレも使えやしない!!
それでも、たいていのことは問題なく平和にうまくやっていたが、ある日突然現れたエジプト人年寄り大家(の息子)に全てを台なしにされた。
というのも、いきなり大幅な家賃値上げを一方的に告げてきたのだ。
住人が(とてもお金持ちと思われている)日本人が三人になったので、いきなり家賃をもっと払え、日本人なら払えるだろ、払え払え払え!とやくざのように凄んできた...。(ちなみに賃貸契約書はあってないようなものなので、役に立たない...)
当然、揉めに揉めたが口が達者なエジプト人とディベートしても、敵わない。
結局、国費留学生子さんは(自分で宿代を払うわけではない)五つ星ホテル生活にあっさり戻り、
元OL子さんは、いつの間にか婚約していたエジプト人男性と結婚するとかでいそいそと去って行った。
残るのは私だ。
参ったな今度はどこに住もう...
ちなみに引越し自体はそんなに厄介ではない。
なぜなら、エジプトの賃貸物件は、ヨーロッパの多くの賃貸と同じ。
家具、食器、電化製品、毛布やシーツまで全て備え付きだから、自分の身の回りのものだけをタクシーで何往復かして運べばいいだけ。
でもまた住まいを探す、という行為自体がしんどい...
億劫だなあ面倒くさいなあ、とため息をついていると、アメリカン大学のカフェテリアで知り合い仲良くなった、エジプト人のヤスミン(仮名)が
「じゃあ私と同居しない?」と声をかけてくれた。
ヤスミンは90年代当時のエジプトでは、かなり異色なエジプト人女子だった。
幼い時に実のお父さんが他界。お母さんは湾岸の富豪と再婚し、息子を産む。
で、亡くなった前の夫との間にできた娘、ヤスミンの存在が邪魔になったらしく、彼女は幼い時にロンドンの寄宿舎に入れらる。
日本で言うところの高校を出た後、彼女はそのままロンドンの大学に進学。
ところが、イギリス人のクリスチャンの男子学生と同棲始め、それがカイロの母親と義父にばれ、実家に連れ戻される。
そしてカイロのアメリカン大学に転入したが、やはり親とはうまくいかず、彼女はひとり暮らしをしているという。
私がこの話を、旅行会社のエジプト人スタッフにすると誰もが驚いた。
「エジプト人の未婚の女性がひとり暮らし!聞いたこともない!」。
そうだろうな、と私も思った。なぜならエジプトではもともと、男性でも、独身者がひとりで住むというのはまずはないことだった。
だからカイロのアパートは単身者向けという間取りがなく、必ずベッドルームが二つはある物件ばかりだった。ワンルームの賃貸なんて、見たことも聞いたこともない。
男も女も結婚するまでは、親元で暮らすのが常識という文化だったせいだろう。
にもかかわらず、ひとり暮らし専用のアパートすらない、このカイロで、エジプト人の若い女学生が単身生活...よほど、母親と義父とはうまくやっていけないのだろうな、としか言えない。
ヤスミンはずっとロンドンで育ったので、英語は完璧にネイティブだった。
しかもブラウンのストレートヘアーで目の色もライトブラウンで、肌の色も白く体型はほっそりしていた。多分、先祖にヨーロッパ人やギリシャ系がいたんじゃないかな。
またロンドン帰りなので、一般のエジプト人女性のようにどぎついメイクを塗りたくっていなく、ナチュラルメイクだった。
服装も無地のTシャツにジーンズばかりでゴールドをじゃらじゃら身に付けることもなかった。
だから全くエジプト人には見えず、実際エジプト人の店員やタクシー運転手には必ず英語で話しかけられるほどだった。
ヤスミンの義父が何者だったのかは聞いていないので知らないが(家族のことは話したくないそぶりだったので)、
ロンドンの超名門私立のセカンダリースクールの寄宿舎にも入っていたぐらいだ。義父がとても裕福な人物であるのは間違いなかった。
私はすでにさんざんエジプト人にはいろいろお金を盗まれたりぼったくりに遭ったりしていたが、ヤスミンレベルの富裕層ならば、そういう問題が起きないのも分かっていた。
そこで、同居を持ちかけられ、
「お金持ちのエジプト人のお嬢さんとの同居は面白いかも」と興味が沸いた。
ちなみに、彼女がモハンディシーン地区(ナイル川の向こうの西岸側)に住んでいることしか知らなかった。
だけど普通に考えて、高級な部類のマンションに住んでいるのだろうな、と思っていた。
ところが!
ところが下見に訪れ、私は度肝を抜いた。
マンションなどではない、villaだったのだ!
villaというのは大邸宅とか屋敷という意味だが、まさにその文字のとおり、古い大きな屋敷だった。
(✴記事トップの画像は、ネットからの借り物です。私が住んだのも、これによく似たvillaでした。当時の写真は実家の私の部屋のどこかにあるはずなんですが...)
まず大きな立派な美しい門があった。
中に入ると、広い庭にはレモンの木々が鳴っている。エントランスの床は大理石で、重厚なドアを開くと、waiting roomになっており、ソファーと上着と帽子掛けがあった。
一階には、かなり広いサロンがあり、床はかなり上等であろう木床だった。このサロンには本物の暖炉もあったが、カイロで暖炉!?
ダイニングルームには長い長いテーブルがあり、そのテーブルにはきめ細かい美しい彫刻装飾が施されていた。どうみても年代物のアンティークだ。
食器棚もリビングルームのソファーも、寝室のベッドも鏡台も全てアールヌーボー様式のものだった。ところどころに敷かれているカーペットも本格的なペルシャのものばかりだ。
浴室は一階と2階両方にあったが、いずれも大理石の床だった。しかもどちらの階もトイレは別に備えつけられてあった。浴室とトイレが別れているなんて、珍しい!
螺旋階段の中階にベッドルーム一つ(おそらくメイドの部屋だったと思う)、2階にはベッドルームが三つあったが、各部屋には広々としたバルコニーも付いていた。
「ヤスミン、あなたはここにひとり暮らしをしているの!?」
ひっくり返った声で私が尋ねると、彼女はこっくり頷いた。
「もともとイギリス人将校の家族が住んでいたvillaで、その後私のひいおじいさんが買い取ったの。
でも如何せん古いから、実は配管も詰まり気味だしお湯の出も良くないのよ。だから、ママは売りたがっているんだけどね」。
「...」
あまりにも意外だったといおうか、圧倒されてしまって、何も言葉が発することができない。
なんとか口に出たのは
「もし私が住む場合、家賃はいくら払えばいいの?」。
ヤスミンは考えこむ仕種をした。
「ウ~ン、光熱費電話代そしてハウスキーパー、庭師代全て込みで450ドルでどう?」。
!!!
1000ドルぐらい覚悟していたので、びっくりした。由緒ある本物の屋敷に約5万円で住めるの!??
こんな貴重な経験は二度とあるまい、と私はその場で即オッケーした。
ヤスミンは「嬉しい!ありがとう!ああ、同居楽しみ!」と満面の笑顔で私に抱きついてきた。
私もニマニマニコニコ。もともと仲良くしていた、気のおける女友達と、ゴージャスな雰囲気のある屋敷ライフだ。ワクワクしないではいられない。
ところが、やはりうまい話には裏があるわけで、なぜヤスミンが「外国人」の私と同居をしたがったのか、外国人の同居人が必要だったわけをいざ一緒に暮らし始め、その理由を知ることになる..
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