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僕の住まいはナイル川河岸テントなんだ!-エジプトのイケメン青年警察官

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初めてエジプトに到着した日ー

なんとタイミング悪く、たまたま犠牲祭の真っ最中だった!

(犠牲祭シーズンとは全く知らなかった。東京のエジプト大使館もエジプト国営旅行社も教えてくれていなかった)


一言で言えば、マイッタ!

至るところで山羊を殺しているのだ、しかも一気に一思いで殺すのではなく、ジワジワ殺している。

街中、山羊の叫び声が響き渡り、方々から血の匂いが充満し道路も血で染まっていた。

初カイロ- 最初に目に飛び込んできた光景が、山羊を殺す現場..

何の心構えも全くなかったので、強烈なトラウマになった。


街の中心地区に相乗りタクシーで到着した後、山羊の血だらけの道にスーツケースをごろごろ引っ張り、事前に予約をしていた三ツ星ホテルにチェックインした。

そこに数泊した後(事実上は星があるのがありえないくらい、不衛生でサービスも悪いボロボロホテル)、今度は一泊5ドルの安い宿に移った。


ところで、私のエジプトに来た目的は留学だ。

アメリカン大学アラビア語コースからは事前に入学許可を得ていた。しかし授業開始までまだまだ日にちはあった。

現地に馴れるために、私はかなり早めにカイロに入っていたのだが、後で思えば失敗だった。笑

外国人女性がひとりで出歩ける場所はそうもなく、結局時間を持て余すことになったのだ。

だから、滞在していた安宿の目と鼻の先にあったアホワ(茶店)で、いつも私は時間を潰していた。

エジプト人のオッサンしかいない、小汚い茶店だったが、オーナー(8人の子持ち!)が情の深い人だった。

淋しそうに安宿周辺ほっつき回っていた私を見て、声をかけ呼んでくれたのが最初だった。

本来、茶店はオッサン...もとい男の社交場だ。 女が出入りする所じゃない。だけど私は外国人なので、女だけど特別に出入りを許された。

(※観光地や繁華街といった、ツーリストの多い茶店には女もいるが、コテコテのローカルな店は男しかいなかった)

ここではバックギャモン(ボードゲーム)を覚え、エジプト人のオッサンたち相手に一日中、シーシャを吸いながらバックギャモンばかりやっていた。

余談だが、この茶店でずいぶんアラビア語のスラングや卑猥な単語も覚えた。

オッサンたちは一日中、下ネタ話ばかりしていたので(ほとんど自分の精力自慢だった...)、自然と下品な単語を耳で覚えてしまったのだ!

中でも一番に覚えたアラビア語が「エシタ」。

直訳すると「脂肪」という意味だ。

お尻の大きい女性が茶店の前を通ると、オッサンたちは一斉に注視してプスプス、口を鳴らした。

エシタ(脂肪)イコール「いい女」の意味もあるのだ!あと、ズッカル(砂糖)、アーサル(蜂蜜)。これらも女性を見て褒める単語だ。

つまり、脂肪とか砂糖、蜂蜜という単語が女性を美人だね!と褒め讃える言葉なのだ。

デブ...じゃなくて、ふくよかな女性こそ美女、という発想が根本にあるからだろうな。

実際、日本の雑誌に載っていたオペラ歌手の森久美子の写真を見たエジプト人は全員、

「すごいガミーラ(美女)だ! エシタ(脂肪)、ズッカル(砂糖)、アーサル(蜂蜜)、素晴らしい!」と目を輝かし、興奮して絶賛しまくりだった!

やっぱり言語はそこの国の人々の思考や感性、文化など表していると思う。


この茶店で、私はエジプト人の若者警察官と一番親しくなった。同じ年齢だった。

エジプト方言アラビア語で警察官をショルタと言うので、以後彼をショルタ君と呼ぼう。

ショルタ君は電気もまともに通っておらず、車よりも馬車やろばが多いへんぴな田舎から上京していた。

「カイロでの住まいは、警察官の独身寮とか?」。英語ができるオッサンもいた時、私は家のことを聞いてみた。

「いや、警察は何もしてくれない。

僕の家は、ナイル川の河岸だよ。

河岸にテントを張って、そこで暮らしているよ」。

実際、一回目撃したが、本当にただのテントだった。びっくりだ、ホームレスじゃなく警察官なのに!

日本の国家公務員となんたる違い! でも給料が悪すぎるため、部屋を借りる余裕など全くなかったらしい。

だから河岸暮らしで、川で身体を洗い洗濯もしていた。(その間は拳銃は放置だと...!!)

夏は蚊が多い上、冬はとても寒い。

大変だったと思うが、とにかく警察の給料は最低だったので、彼は私の行きつけの茶店でウェイターのアルバイトもしていた。

ウ~ン、国家公務員の警察官が茶店でウェイターのバイト!日本じゃあ考えられませんな。


ショルタ君は、いずれ田舎に戻り父親が決めた許婚(遠縁の娘)と結婚しなくてはならなかった。田舎ではそういうものらしい。

そして所帯を持つ前の独身のうちに、一度都会に出てくることは、田舎の若者にはよくあることだった。

しかし、ショルタ君は茶店ではいじられキャラだった。

というのも彼には強いアクセント(訛り)があって、如何せん『カッペ』。

垢抜けおらず街にもまだ疎い。だから茶店の常連や同僚みんなに下に見られ笑われ、よくからかわれていた。

そこに現れたのが、外国人の私。ショルタ君よりも全然カイロの街に疎く、訛りがあるどころかアラビア語を全く話せない。

もっとヒドイいじられキャラ(私!)の登場だ。彼は大喜びした。笑

実際、やっと後輩!を持てたぞ、と言わんばかりにショルタ君は張り切り、先輩風を吹かしてきた。笑

でも同時にとても面倒見もよかった。

例えば、下品なオッサン連中が、私に卑猥なアラビア語単語を教えようとするものなら、顔を真っ赤にして激怒して追い払ってくれた。

また、茶店で甘いシャイ(紅茶)を何杯もおかわりしながら、アラビア語のワンツーマンレッスンも熱心にやってくれた。田舎訛りだったけれどネ!

余談だが、ショルタ君からは『草』についてもいろいろ教わった。

道端やナイル川ほとりに生えているその辺の雑草を見て、

「これは食べられる」「これはお腹を下した時に煎じるといい」など、物知り雑草博士だった。ウ~ン本当に詳しかった!

オシャレに表現するなら、さしずめハーブ王子ということか!


その頃、ショルタ君はノーベル文学賞受賞エジプト人作家、ナギブ・マフフーズの家の警備に当たっていた。

マフフーズ氏はアグーザ地区のマンションに住んでいたが、

イスラム原理主義者を刺激する何かを書いたため、テロリスト集団に襲撃されていた。

これは日本でも報道されていたのを記憶している。

余談だが、私もエジプト在住中、英語翻訳でマフフーズの小説は片っ端から読んだ。

一番印象に残ったのは、売春婦のことを描いた「ミダックアレー(アレー地区)」。貧しい家庭で生まれ、不本意ながら身体を売ることになった女性の可哀相な人生のお話だった。

イスラムの庶民生活を決して美化し過ぎることもなく、鋭い視点でうまくメスを入れながらよく描いておられた。

マフフーズ氏のマンションはすぐ近くだったが、如何せんテロリストに命を狙われている氏は、絶対出歩かない。だから全くお目にかかれることもなかった。残念といえば残念だ!


ショルタ君は一日中、マフフーズ氏のマンションの前で立っていた。

ポーランド製(だったかな?)の機関銃は装備していたけど、テロリスト集団に襲われたら、あっという間にやられただろう。

だってそもそも素人といおうか、実戦の経験はないし、対テロリスト抗戦の訓練など全く受けていなかったから。

つまり見方を変えれば、政府も本気でマフフーズ氏を守る気がなかったのではないかな。

ムバラク大統領も、素人の下っ端警察官には決して自分の住まいの護衛をさせず、エキスパートのみを揃えていたらしいし。


実際、案の定といおうかなんと本当にある日、銃を武装したテロリスト集団がマフフーズ氏のマンション前にまた現れたのだ!

多分、そんなに本格的な襲撃ではなかったのだろう。ショルタ君は軽傷のみで済んだ。

しかしまあ、ゴミみたいな最低給料しか貰っていないのに、よくまあこんな危険な任務をさせられていたものだ。

ショルタ君に限らず、例え妻子持ちの警察官がテロリストに殺されても、警察も国も遺族に何も補償しないのだろう。


怪我を負ったショルタ君はさすがに異動になった。すると地獄から天国へ、というのはまさにこのことだ。

だって、今度の配属先はなんと! 女子校の警備だった!!

カイロ市内にある何とかという女子校に、のぞきや不法侵入を試みる野郎が続出している、だから警察官が護衛しろということになったらしい。

それでショルタ君はその女子校の門番になった。

すると、女子校の女子高生というのは、どこの国も同じなのかな、学校の門の所に立つ、若い警察官の青年チェックしないわけがない。

ここで打ち明けると、何を隠そう実はショルタ君はイケメンだった!

雰囲気や私服は野暮ったい。全体的に田舎くさくもっさりしている。だけども、よくよく冷静にちゃんと見ると、背も高くて筋肉質で、小顔かつ整った綺麗な顔立ちだった。笑

生まれたところが、エジプトのど田舎ではなく、ローマや東京だったらモデルにスカウトされていたかもしれない!

敏感な十代の少女たちがそんな(隠れ)イケメンに気づかないわけがない。

スキー場のスキープレーヤーが素敵に見えるのと同様、警察官のカッコイイ制服マジック(!) もあってか、ショルタ君は山のようなラブレターを彼女たちから貰った。

恋に恋をする女子高生たちから受け取ったラブレターの山の段ボールを、ショルタ君はよく茶店に持ってきていた。

自慢っていうやつだ。茶店のオッサンたちに見せびらかして喜んでいた。笑

私もそれらを手に取って見てみたが、まあびっくり! 読めなくても分かった、 エジプト人の女子高生が書いたラブレターはどれもこれもなんて情熱的なこと!

大半はポエム(詩)だった。

そもそも、エジプト人の男女は、ラブレターにポエムを相手に送るのが普通だった。

「あなたは私の月であり太陽である」「君を想うと胸の高まりが大地を揺るがす」などなど、総じて大袈裟ですな。


ショルタ君は女子校警備になってから、時間に余裕が出来た。なので方々に私を連れて行ってくれた。

砂漠の遊園地(アリババという名前だったかな。かなりショボかった!)、サッカースタジアム(女の観客は私だけだった)、ナイル川のヨット乗り(ワニに追いかけられた。ちなみにワニは速い!)...

ちなみに二人の外出には必ず『お目つけ役』も同行した。それは茶店のオーナーの指示だった。

絶対間違いが起きないように、そして周りの噂も考慮したのだろう。私たち二人の外出には、必ず茶店の常連の誰かも付き添いで行かせた。

エジプトの庶民の世界では、婚約をしていない男女がたった二人で出歩く、というのはありえなかった。(実際は、親の目を盗んでデートする若者男女は多かったけれど)

お目付役の分はともかく、ショルタ君は私と一緒に出かけるときは必ず私の分の交通費、何かチケット代金、飲食代を払った。

割り勘や女がご馳走する、というのは全くなかった。

イランもそうだが、エジプトのようなアラブでも「お金は男が出さねばならない」という文化が根強いからだ。

もっとも、後で知るのだが男に全くお金がない場合は、レストランではテーブルの下で女がこっそりお金を手渡す。それを男は受け取り、お会計するのだけどネ。


ショルタ君は何度も言うように、牛や馬が当たり前の田舎から上京してきた、純朴な青年だった。

女性といえば、母親とお姉さんたちしか接したことがないようだったし、そもそも貧しい若者だったこともあり、カイロでも唯一話す女性は私だけだった。


そんな彼がしまいに私に恋愛感情を抱いてきたのは、当然の成り行きだっただろうなと思う。

ある日、突然面と向かい、しっかり目を見て力強く「アナバヘバック(アイラブユー)」と告白してきた。

後で思えば、エジプト人は惚れっぽい人種で、案外簡単にアイラブユーと口にする。笑

でもこの時は、私は素直に感動した!! こんなさっぱり気持ちの良い堂々とした愛の告白を受けたのは初めてだったから!


ショルタ君はそのうち毎日一輪の薔薇をプレゼントしてくれるようになり、ラブレター代わりのカードも毎日よこすようになった。

私が体調を崩した時は、私が泊まる安宿の前でずぶ濡れになりながらずっと立っていた。

これは恋だと思い込んでいて、そんな自分に酔っている典型的な純朴な青年、という感じだった。

だけど、その警察官君との甘酸っぱくて爽やかな関係は、思いがけない出来事であっさり幕を引いた。


前々から、一緒に出かけると何かと「ローロー(私)のバッグを持ってあげるよ」と言ってくれていた。

ちょいちょいおかしいな、とは感じてはいた。ショルタ君に会うと、私の財布の中身がなぜか減っているのだ。

彼はいつもあれこれ理由をつけては、私のバッグを持ちたがっていた。

が、ついにあるとき、ショルタ君が私のバッグの中の財布を取りだし、お札を抜き取る現場を私は目撃してしまったのだ。

警察官なのに私のお金を抜き取っていた!

毎回私に奢ってくれていたのに、私のお金を盗んでいた!

あれだけアイラブユーアイラブユー言っていたのに泥棒だった!!!


非常に大きな衝撃を受けながらも、ちゃんと本人に問いたださねばならない、とショルタ君に詰問した。

「見たよ、私のお金を盗んでいたよね?どうしてそんなことをするの?裏切りだよ、犯罪だよ」。

すると、ショルタ君はドキッとした顔になり黙った。彼の心臓バクバクがこっちにまで聞こえてきていたぐらいだ。

そして何を思ったのか、彼はいきなり「い、息が出来ない!」と窒息しそうな素振りを見せ、地べたの上で寝っ転がりもがきだした。

そして「マ、マイヤ、マイヤ(水、水)」と言いながら、どこかへ逃げてしまった。

この直後、私はショルタ君のバイト先の茶店に出入りするのを一切止めた。


大学アラビア語コースの授業が始まる直前、日本大使館の紹介でホームステイ先が見つかった。いろいろな意味でいいタイミングだった。

私がタクシーに荷物を積め安宿を去る時、向かいの茶店にいたショルタ君は店を飛び出してきた。

私の名前を大声で叫びながら、走り去るタクシーを追いかけてきた。

なかなかドラマチックだったが、でも彼はお金を盗んでいる。自分のお金を盗んだ相手とは縁を切るしかない。

なので、私はタクシーを止めることはしなかった。

彼の一件はとにかく傷ついた。本当に傷ついた。私は右も左も分からないカイロに来たばかりで、大学を出たばかりでまだ繊細な22歳そこらだった。

ショルタ君を正直でまっすぐな青年と見ていたし、エジプトで出来た初めての友達と思っていた。またアイラブユーといってくれていた気持ちは嘘ではなかったはずだ。

だからなおさらこのお金を抜き取る現場目撃の件では、私はかなり混乱したしとてもショックだった。今でもそのことを思い出すと、何となく胸がズキッと痛む。

なお、だいぶん後で知ったが、ショルタ君は茶店のレジのお金も抜き取って盗んでいた。それがオーナーにばれて、茶店アルバイトは首になったという。

やはり、大都会カイロに出てきて、見栄と物欲がモラルを上回ってしまったのだろう。お金が欲しくなったんだろうな..


ちなみに冒頭に犠牲祭のことを書いた。

エジプト到着初日がちょうど犠牲祭の真っ只中で、街中で殺される山羊をみて、それはもうトラウマレベルの驚きをうけた、と..

だけども、人間って大したものだ。その数年後には私は犠牲祭を見るたびに

「ああ、もう羊毛セーターが安くなるシーズンだな!」と思うようになった...

(犠牲祭では大量に山羊を殺すので、この時期羊毛セーターが大量生産できる)

ショルタ君の件だけは、ずっとしこりに残ったけれど、犠牲祭だけは馴れちゃったなあ..

もっともどうせ殺すにしろ、山羊が苦しまないように一瞬で殺せばいいのにな、というのは今でも思わないわけではないけど..

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