アンゴラ語かポルトガル語か!? (Shiominさんご紹介✨)
大使館が点在する都内にいると、日常生活で"embassy people"が何となく身近になり、自然とお付き合いが生まれてくることもある。
例えば、私が十代の時。
すぐ近くにスリランカ人外交官一家(仏教徒)が引っ越して来た。ここの子供達(兄妹)と私は年齢が近かったので、よく一緒に遊んだ。
仲良くディズニーランドにも出かけた時は、夢の国にはお弁当持ち込みできない、と事前に伝えていたのにも関わらず、スリランカ人兄妹はカレーとナンの弁当を持ち込んだ。
当然、夢の国のスタッフに注意されたものの、兄妹は英語を分からないふりをし平気でミッキーマウスの真横でカレーとナンを手で完食していたとか 笑、
そのお兄ちゃんの方が「雅子様が綺麗綺麗」とうっとりしてため息ばかりついていたとか(ちょうどご成婚された頃でした)、妹の方はヒンズー教徒の男の子を好きになってしまい悩んでいる苦しい、と涙こぼしていた。
さて、大使館/領事館がいろいろある地域では、ちょっと道を歩くと、当たり前だがそれらのブルーナンバー車も次々横を通り抜ける。
だからそのうちそれぞれのナンバーを覚え、どこの国(大使館/領事館)ナンバー車が交通マナーのいいのか悪いのも分かってくる。
そして駐禁やスピード違反をする○○数字のブルーナンバー車を見かけると
「ああまたあそこの○○大使館(の車)だ」。
特に某国の大使館は巨大なので職員(外交官)の人数が多く、だからそれだけそこのブルーナンバー車もたくさん見かけるのだが、いつもちょっと交通マナーがアレだなとか...
某キウイ国大使館の外交官ファミリーがいつもあるカフェでブランチを食べているのだけども、子供達が非常に品行方正。
例えば同じ店内で私がコーヒーを飲んでいて、うっかり床にそれをこぼしてしまった時、
どう見ても4、5歳にしか見えない外交官の子どもがなんと自発的にサッと飛んできて、紙ナプキンで床を拭いてくれた。これには心底驚き感心した。
かたや別の某国の外交官の子供らは、道路のど真ん中で傍若無人でキックボードで暴走しまくり。しかし親は何も注意しない。そこの国の政治のあり方もトップも暴君に見えるので、「国民性かね...」と思ったりとか..
コロナが流行り出してから、もしかして渡航禁止/自粛などの関係で大使館や領事館の業務が暇になったのだろうか。犬を飼いだす各国職員が増えたと思う。
おいおい、ずっと日本に留まるわけでもないのに、飛行機に乗せるのが難しいパグやフレンチブルドックを飼ってどうするんだ、
それに次の赴任国が犬を持ち込めない国だったらどうするのだ。思うことはいろいろある。
しかし、中には一緒に犬散歩もし親しくなって、例えばアメリカ大使館の職員にニュー山王ホテルのちょっとしたイベントにも招いてもらったことがある。
そう、ニュー山王はアメリカのテリトリーなので、銃を構えた警備員が入口の所で立っているホテルだ。ちなみに日本人は中に入るのにパスポート提示が必要。(もしかして運転免許証でもオッケーかも)
ハーバード大卒の駐日米大使は、同じハーバード卒の人々を公邸に招待し食事会も開かれていた。当時妃殿下だった雅子様もハーバードをお出になられているので、皇太子殿下と共にやはりご出席されていたらしい。
(私とこれっぽっちもハーバードは関係ないので、近所のハーバード卒の方に聞いた話です)
ずっと前の話だが、中国大使館の中国人女性職員とも、犬散歩で親しくなった。
その女性は中国に一時帰国した際に、向こうの松茸30個をもお土産で持って来て私にプレゼントしてくれた。中国でも松茸は高級品だそうで、それを30個もだ。しかも桐のケースだった。さすが中国人はお土産ですらも豪快なんだなとびっくりした。笑
ちなみに日本で保護犬の多さに感心したとかで、中国帰国後、彼女は二匹めとして繁殖屋(ブリーダー)保護の繁殖酷使されたトイプードルを引き取ったそうだ。
余談だが、動物愛護先進国(北米/西ヨーロッパ)のembassy peopleは、日本でもたいがいちゃんと保護団体から犬を引き取っている上、見ているとやはりしつけが上手いし散歩も上手だ。さすがだなとこちらは勉強になる。
昔のエジプト領事(オッサン)とはよく大勢で、多国籍料理屋に行った。東京で(同じエジプト人)大使の住まいの家賃と自分の住まいの家賃が全然違う、などしかも金額まで教えてくれて、ほかにもいろいろ内情の愚痴をこぼしていた。苦笑
中東のお金持ちの国々の大使の娘たちは、犬散歩で会うたびに、私の犬を可愛がってくれた。
私がちょっと和楽器のレッスンに通った時も、そこにも大使館の外国人たちも来ていた。
ま、言いたいのは、住んでいる地域の周りにいくつか国の大使館があれば、それらの皆さんとは自然と何となく交流が生まれたりすることもあるというのと、
犬や子供、習い事を通したりすると、それこそ親しくなる場合もあるということなのだが、しかし一向にどうもよく分からない大使館の人々もいた。
アンゴラ大使館だった。
↑実際の方がずっと大きいです
都内にあるアンゴラ大使館はとても大きい。
だから、最初にアンゴラ大使館の"表札"を見る大抵のが「?」。首をひねる。
なぜならその敷地の広さと建物立派さと、アンゴラという国名のネームバリューが比例していないからだ。普通は巨大な大使館イコール、誰もが知るアメリカか露などの大国なのだ。
アンゴラ大使館職員たちを見ていると、肌の色が黒いのできっとアフリカなんだろうな、というのは見当がつく。
だからアフリカのどこかの国で、話している言語もスワヒリ語なんだろう、とおそらく今でも近所の日本人たちは思っているはずだ。
私は、一応アフリカ大陸(エジプト)に住んでいたが、アンゴラには行ったこともなく何も知らない。大使館門の国章をみると、「きっと社会主義国なんだろうな」と予想がつくぐらいだ。
↑社会主義象徴の、ソビエト連邦の旗の鎌と槌の意匠に似ている。
あくまでも私の視点の話だが、ヨーロッパ諸国の大使館の職員たちは、気軽に地元の日本人たちとコミュニケーションをとるが、アンゴラの職員たちは決して私たちと交流しようとする気配もなかった。
そもそも、アンゴラ人たちはあまり出歩かない(気がする)。ふらっとその辺のカフェに立ち寄ることもなければ、公園を散歩するなど、少なくとも私は目撃したことがない。
彼らはたいてい日本人運転手のブルーナンバー車で移動し、たまに道を歩いているのも見かけても、オフの時でもぱりっとした服装で、姿勢良くきびきび歩く。
余談だが、あの別の赤い国旗の大国がいつか東京を攻めて来るんじゃないか、という噂がたった時(←今でもちょいちょいひそひそ噂されているけど!)、
「その時はどこかの大使館の敷地内に逃げれば安全だ」
と商店街のオッチャンが言い出した。
じゃあ一体どこの国の大使館に逃げるか、と真剣な議論になった。一番人気なのはニュージーランド大使館だった。なぜならそこの職員たちはいつもフレンドリーだからだ。
が、
「うちからはアンゴラ大使館が一番近いわねぇ」
とある奥さんがつぶやいた。
「でも入れてくれるかしら。どうもあの人たちはつかみどころがないものねぇ」。
私が今住む家からアンゴラ大使館もそう遠くないところにあるので、私もアンゴラ人たちをちょくちょく見かけるのだが
前述のとおり、彼らはたいてい目の前を日本人運転手のブルーナンバーの高級車で、サッと過ぎるだけ。だから挨拶すらしたことがない。
一回、私はスマホで"アンゴラ"と検索してみた。
すると、"アンゴラうさぎ🐰"とトルコ原産のアンゴラ猫😽ばかりが出てきた。だから「もういいや」と諦めた。笑
ところが思わぬところでリアルなアンゴラの情報がいろいろ得られることになった。
イラスト こたつぶとんさん
たまたまnoteでつながったShiominさん。Shiominさんプロフィールによると
「ブラジル育ちで長年アフリカで仕事をしていました。」
と書かれている。中の投稿をいくつか拝見すると、ポルトガル語の通訳をされているというのが分かった。
ブラジル育ちでおられるのなら、ポルトガル語を話されるというのは何も不思議じゃない。でもなんでアフリカでも仕事(通訳)?。
恥を忍んで自分の無知と無教養を告白するが、アフリカの言語は大きく言えば、アラビア語とスワヒリ語の他に、様々な現地語、そして英語とフランス語だと思っていた。
言われてみれば、ポルトガルが強かった時代があるわけで、アフリカでもポルトガル語の国々があるのは当たり前なのだが、迂闊にもそのことに全く気づきもしなかった。
大使館のアンゴラ人たちの会話が聞こえたきても、さすがにスワヒリ語じゃないのは私には分かったが、勝手に「アンゴラ語」だと決めつけてきた。
スーダンとの国境に近いエジプトのアスワンに住むヌビア人たちも"ヌビア語"を話していたことだし、アンゴラ人も"アンゴラ語"だと頭から思いこんでいたのだ。
ところが、Shiominさんの投稿で初めて
「アンゴラはポルトガル語を話す」
ということを知った。目から鱗だ。ものすごくびっくりした。結構衝撃を受けた!
だからShiominさんのその投稿をいくつか読んだ翌日、早速近所の皆さんに
「あそこの謎の大使館の人々の言語は、なんとポルトガル語だった!」
と吹聴した。みんなびっくりしていた。
言語だけではない。
Shiominさんの書かれた様々なアンゴラ投稿を読み、なんでアンゴラ人があんなに"ツンとして"いる(ように見える)のか、初めて腑に落ちた。
大使館がたいそう立派なのも(とにかく多くの大使館の中でも、都内有数の規模だ)、
職員がいかなるときでもピシッとキメた服装なのも、乗っている車が高級車なのもすべてが腑に落ちた。非常にプライドが高い人種らしいのだ。
Shiominさんの本文を読まれた方がいいので、ここでは詳しくは省略するが、
アンゴラの歴史、そして日本とアンゴラの関係、中国企業がアンゴラにもかなり入っている現状、そしてアンゴラの人々や、アンゴラ出張中に起きた様々な"ありえない"ハプニングの話が
それはもうためになり興味深く、そして抱腹絶倒もので面白い。
第一、アンゴラの体験談自体が珍しい。
Shiominさんのアンゴラ記事が光っているのは、彼女の観察力や知識の豊富さ、ユーモアのセンスのおかげでもあるが、
そもそも現地の言葉であるポルトガル語に長けておられる。(ていおうか彼女にとって母国語のようなもの)
そして多岐に渡る分野の通訳を務められ、何度もアンゴラには渡っておられるので、それだけアンゴラの現地通でいらっしゃる。
正直言うと、アンゴラに今でもそんなに興味や関心があるわけではないが、Shiominさんのアンゴラ投稿はそんな無関心な私が読んでも十分面白い。
何となく印象に残った記事のひとつは
『ブラジルのポルトガル語こそカッコイイに決まっていると信じて疑わなかった当時の私は、思い付きで彼女(ポルトガル国籍のアンゴラの女性)に、
「ポルトガルでもブラジルのテレビドラマが流行っていると聞くけれど、ブラジルの言葉が流行ったりもするんじゃないの?」
と訊ねたことがありました。
すると、頭の回転が速い彼女に間髪を入れず
「日本でも、いくら連続テレビ小説『おしん』が人気になったからといって、山形弁や佐賀弁が流行るようなことはなかったでしょう?そういうことよ」
と、バサッと一掃されてしまいました。』
また出た「おしん」!と思ったが 爆笑、
ポルトガル語を知らない私にも「なるほど」と、興味深かった。
他の言語でも同じような話は聞く。例えば、英語だってハリウッド映画がいくらイギリスで人気があっても、イギリス人は米語を話そうとはしないのと似ている。
Shiominさんのアンゴラ投稿から、ポルトガルの歴史がちょっと気になりいろいろ調べると、アラブや南米にも繋がっていった。これだから世界史は興味深い。
さて、コロナ感染が一番酷かった時期のある日。
なぜか大使館のアンゴラ人たち5,6人がノーマスクで私の家の真ん前で立ち話をしており、おいおいと思った。
東京で最大数の感染者が出た日の翌日か何かで、近所にも死人が出てどんどん周りも感染していた。またどこの病院もコロナ病棟が満床という時期だった。皆がぴりぴりしているピークの頃だ。
それなのに、誰ひとりとしてマスクもせず、円を組んで民家(うち)の真ん前で井戸端会議をしているとは!
むっとした私は鼻息荒くして、そのアンゴラ人グループに文句を言おうとした。が、突然ふと思い出した。Shiominさんの投稿だ。
「そうだそうだ。彼らはプライドが高いんだっけ」
そこで怒りをぐっと抑えて、
「我が家のような家なんぞで、あなた方のような立派な方々が立ち話されるなんて、大変恐れ多いのですが」
と、ポルトガル語ではなく英語だけども、私はとても丁寧に礼儀正しお願いし、スマイルをした。
するとアンゴラ人の皆さんはハッとした顔をし、たいそう丁寧に謝ってくれ速やかに立ち去った。(ちなみに全員、仕立てが良さそうなスーツ姿でした)
彼女の投稿でアンゴラ人の「プライドが高い」性格を知っていなければ、「Get out, please」の三単語でそっけなく接してしまい、もしかしてカチンとされたかもしれない。そして下手したら口論になってしまっていたかもしれない。
だから、やはりいろいろな文化など学んでおくのは大切だな、と改めて思ったが
こんなにアンゴラの国や人々のこと、ブラジルのあれこれ、そして二つのポルトガル語の違いなどをここまで詳しく教えてくれる記事は、Shiominさん以外他にないと思う。
私のようにポルトガル語を学んだことがなくても、何か外国語を学んだ経験がある人(全員だけど!)には彼女の記事は絶対愉しめるに違いない。非常にお勧めだ。
それにしても、アンゴラ語じゃなくてポルトガル語.....何年も何年もこれっぽっちも気付かなかったので嗚呼、衝撃だったなぁ.....
↑アンゴラの首都ルアンダ。(ルアンダとルワンダを混同していたのは私だけではないはず...)