前世への記憶の旅!? (遂に出会う)- シリア②
ウマイヤモスク
エジプトがアジアとヨーロッパを結ぶ運河を持ち、アフリカ大陸に位置するという特殊の国であるならば、
シリアもまたヨーロッパ、アジア、アフリカという歴史的な古い大陸を結ぶ位置にあるため、
近隣諸国らにそれぞれの大陸の発明や文明をもらたらす、という掛け橋の存在である、非常に稀有な地域だった。
しかし言葉を返せば、これまた複雑な位置であるがゆえに、エジプト同様にシリアもいつだって外国に狙われそして戦場にもされていた。
実際、アッシリア、ペルシャ、エジプト、ヒッタイト、ローマ、アラブ、オスマン帝国、フランスなど、といった外国の属領である長い長い、気の遠くなるような長い時代があった。
ちなみにシリアとは、かつてはフェニキアやパレスチナ含んだ広大な土地全体のことだった。
その後、シリアの土地の範囲の定義は様々に変わり、1918年まではレバノン、ヨルダン、パレスチナなどの地域を指していた。
第一次大戦後、(現レバノンを含む)シリアはフランスの支配下に入る。そしてその後は大国 (フランス、イギリス、アメリカ) の利害の思惑により、シリアとレバノンは分断される。
今の形のシリアが完全に独立を果たせたのは1946年だった。
一時、エジプトとアラブ連合共和国を作ったこともあったが、1970年のクーデターでアサドが大統領の地位についてから、それは解消される。
そしてイスラエルとの関係を巡り、エジプトとは逆に拗れる間柄になり、むしろシリアは東欧やソ連と親しい関係になった。
石器時代に、(当時の)シリア地帯では金属や銅の発見や陶器の発明があり、アルファベットの文字の原型を作りあげられている。
またこの初期石器時代から、馬、ラクダ、ロバ、ラバそして山羊や羊の旧種に加え、牛や犬猫も飼われ、この時代に農業も始まった。
紀元前6000年頃から始まった新石器時代は約2000年続いた。
その間に陶器の発明や金属の発見もあり、定着生活もかなり落ち着き、動物(家畜やペット)の飼育も当たり前になった。
新石器時代当時の信仰は月だった。
太陽よりも月の光の方が優しくてパワーがあるようにとらえていたのだ。
しかし農業が盛んになると、今度は豊穣を願うため月神から太陽神への信仰に変わる。
また地母神の信仰も始まり、これらがエジプトに伝わって、古代エジプト教のアメン・ラー神、オシリス神とイシス神の神話も生まれた。
なお、シリアにおける宗教に果たした役割は古代エジプト教だけではない。
その後、ユダヤ教とキリスト教という二つの偉大な一神教がこの地で生まれ、さらに三つ目の大きな一神教であるイスラム教の発展もここで創り出されている。
さて、首都ダマスカスは紀元前2000年頃に、すでに街を形成していた。
ダマスカスはクリスチャンとってはパウロが回心したところで (パウロの回心 - イエスの信徒を迫害していたが、回心してイエスを信じる者となる)、
モスリムにとったら、アラブの英雄サラディーンが眠る聖なる街だ。
1996年-
ダマスカス大学で爆弾テロが起きたというので、私はすぐに離れた旧市街へ向かった。
ところで、ダマスカスの街にはバラダ川が流れており、川の北側には美しい並木道とレンガ造りの家が建ち並んでいた。
南側はまだ城壁の残る古都で、サラディーンの墓、白大理石のコリント式列柱が並ぶウマイヤモスク、そしてスークがあった。
スークで驚いたのは、全く客引きをされないことだった。
ラマダーン中でもカイロのハンハリーリ市場だと、いろいろな店からしつこいほど追いかけられ呼び込みされる。"キャッチ"なんて当たり前。歌舞伎町のホストどころじゃない。
ところがダマスカスのこのスークでは、どの店を覗いても、どこも売り子が大人しい。黙っているばかりだ。なんだかむしろ気まずくなる...
それでもある店で、民族衣装を購入した。
さすがにシルクロードに繋がる土地だっただけあって、シリアの衣装はどれもシルクが素晴らしい上、縫製も刺繍も細かく見事だ。エジプトの大雑把ながさつな縫い方とは大違い...
が、値段交渉はこれまたやりずらいこと!
エジプト人のように「さあぼったくるぞー」の勢いやギラギラ感が全くないのだ。
余談だが、エジプトでは日々の生活では何でも全て料金交渉だった。タクシーも食品を買うのでもなんでも。電気代もぼったくるので光熱費ですら、料金交渉。
正直言って疲れる。一週間ぐらいなら楽しいかもしれないが、これが毎日毎日、何年も続くとひたすら疲れる...
とにかく"淡々と"盛り上がらない白熱ゼロの値段交渉は終了。無事に気に入った衣装を購入してそしてスークを離れた。
旧市街の中を適当にぶらぶらぶらぶら歩き回っていると、通りすがりやそばにいるシリア人たちはやはりこちらをちらちら見る。
でも目が合いそうになるとさっと俯く。どうもシリア人はシャイの性格のようだった。ここの人々はエジプト人よりも日本人に近い気がする。
博物館を出ると、5、6人の男たちが
「ああ、いたいた!やっと見つけた!」
と私を指差し走ってきた。
えっ!?なによ!?
ドキッとした。
彼らは手には何も盛っておらず、刃物も銃も見当たらなかったが、濃い顔の男らが私に向かい、何かをわめきながら真剣な面持ちでこちらに向かって来ているのだ。
心臓がバクバクしだした。これは何か危険な状況なのではないだろうか。足がすくみ震える。悪い想像しかできない。
警察官はいないか、私が強張った顔でキョロキョロ真剣にあたりを見渡すと、追いかけてきた男のうちのひとりが
「おーい! "ベルト"の紐を渡し忘れたんだよー!」
さきほどのスークの布屋のおじさん。私に渡す買い物袋の中に、衣装の腰紐を入れるのを忘れてしまっていたのだという。
それでスークの仲間の若い衆ら- 香辛料屋のお兄さんもカセットテープ屋のお兄さんもみんな協力して、私がまだその辺にうろついていないか、走って探しに来てくれたそうだ。
ラマダーン中で全員お腹が空き喉も渇いているのに。
「...」
紐ベルトを受け取ると、彼らは
「アルハムドゥリッラー!」
ああよかったよかった!と胸を撫で下ろし、心底嬉しそうに微笑んだ。
びっくりした。
いちいちまた比較に出すのもなんだが、エジプト人ならありえない。紐ベルトを入れ忘れたのにも気付かないし、気づいても「ま、しゃーない」で終わるだろう。
↑下の青色の衣装の腰紐。でも結局その後どこかへ紛失しました...
昼過ぎ、ダマスカスの北東230kmにあるパルミラ遺跡へ、タクシーをチャーターして向かった。シリアを代表する遺跡観光地なので、せっかくなので見てみたい。
いくら払ったのかこれも覚えていないが、日本円換算にするととても安かったはず。
でもこの時も私は疑心暗鬼だった。
シェラトンのホテルのコンシェルジュにお願いして手配してもらったタクシーだったが、
「絶対、途中にバザールに連れて行かれて何か買い物を強要されるのに違いない」
「絶対セクハラしてくるのに決まっている」
「絶対最後タクシーを降りる時、いきなり高額チップを要求されるのに間違いない」。
道中、景色はなつめやしの木々やオリーブの木々以外、特に何もなかった。
ちなみにエジプト人の運転手ならずっと延々と話しかけてくるものなのだが -
例えば「何歳だ」「結婚しているのか」「モスリムか」「エジプトは好きか」だの-
ところがラマダーン中のせいかどうか分からないが、このシリア人運転手さんははタバコも吸わないし何も言葉を発しなかった。
それだけではない。うるさい耳障りな音楽のカセットテープもかけないし、車のスピードも飛ばさない。ひたすら真剣な眼差しで正面を見続け一定の安全走行だ。
ウ~ン、調子が狂う。
パルミラに到着しタクシーを降りる時、
「さあ来るぞ来るぞ! 絶対どかーんって大金をふっかけてくるぞ!!」
私は身構え"戦闘"モードに入った。
ところが、運転手さんが口にしたのは、最初に交渉しただけの金額のみだった。
全く「バクシーシ、バクシーシ」など要求してこない。
えっ!? 思わず目をぱちぱちさせた。ありえない!
ちなみにお気づきかもしれないが、私はさきほどから「運転手さん」と"さん"を付けて書いている。
かつてエジプトの記事で「運転手さん」だなんて呼んだことは一度もない! この違いからして、シリアのタクシー運転手さんがどんなにいい人だったのか、察していただけるでしょう!
彼は空腹の中、厳しい長距離を真面目にちゃんと走ってくれた。だから私の方から多めの金額を渡そうとしたが
「それはよくない」
と取り決めた金額以上は決して受け取らなかった。
「...」
ぽかーんだ。戸惑う。あまりにもエジプトとは勝手が違う。
ギザのピラミッドのところのラクダ乗りのおやじなど、
「たった1ドルでラクダに乗れるよ」
と外国人観光客を自分のラクダに乗せては、また下ろす時に
「はい、降り賃100ドルね」とか、
カイロ市内のタクシーも
「博物館まで10ポンド」と言って外国人を乗せ、降ろす時には
「10イギリスポンドね。エジプトポンドとは一言も言っていないよ」
など鼻をほじくりながら言ってくるぐらいだ。
こういう悪い奴らになれているため、シリアの善人たちにはたじろいでしまう。
似た顔で同じ言語を話し(それぞれのアラビア語は違うけど)、同じ宗教で、似たような歴史を持つのになぜこうも性格が違うのか!?
ちなみにカイロでは、ひとりだけシリア人の知人がいた。
男なのだが長くヨーロッパにも暮らしており小金持ちだった。そしてルックスも良く話術にも長けていたので女にもモテモテだった。よって根性はすっかりすれきっていた。羽賀研○のアラブ版だった。
(↑90年代だったので、あえて当時の渦中の芸能人の名前を出しました)
この男のせいで、私のシリア人のイメージがとても悪かったのだが、そうかあいつは例外だったのか...
「あそこに宿があるから、あそこに泊まればいいよ」
真面目で誠実な(←私のたくさんの #Loloのエジプト記 では一回も登場していない言葉- 真面目と誠実) シリア人の運転手はそう教えてくれて走り去った。
車のエンジンの音で誰かが到着したと分かったのだろう。
その向こうにぽつんとある、小さな宿の扉が開き中から人が出て来た。
すでに日が落ちており、辺りは暗い。
しかし明かりがほとんどないながらも、外に出てきたのは、少年と青年の間ぐらいのまだ若い男の子だというのは分かった。
振り返った私は「えっ」と思わず声をあげた。
向こうも目を見開き、こっちを見て驚いた顔をしたようだった。暗くてしっかり見えていないけれど。
何とも言えない『懐かしさ』を感じる。ものすごく懐かしい。
「元気にしていた?」
思わずそう言うと
「うん。そっちは?」。
これが青年になりかけている少年との『初めて』の出会いだった。
つづく
シリアの本は『シリア 東西文明の十字路』( P.K.ヒッティー著/小玉新次郎訳 紀伊國屋書店 1963年) が一番良かったです。
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