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ちょっと酔ってあの頃を(最終話)

◇◇◇

 故郷に戻ったのは、親から帰郷を促されたから、というわけじゃない。
 二人姉妹の次女として、家族状況の変化を無視出来ないと自分なりに思いはじめ、逡巡した末のことだった。

 結婚願望はまるでなかったのに腐れ縁と呼べるほどには長いつきあいの相手もいたし、最後に就いた書店の仕事も好きだった。
 (10数年の間に仕事は幾つか変わった。1部上場会社のOLを辞めたあとは地元に根差した工場やお店に。いちばん思い出深かったのは、小さな写真現像所。暗室に1人こもって全判を焼いたり、古い写真の修整を手作業でやる仕事。楽しかったなあ) 

 それに④で既述した珈琲店以外にも、年齢を重ねるごとに行きつけの店が増えて、オーナーや常連客の皆と交わす会話もだんだんと味わい深いものになっていた。
 当時の生活に大きな夢や刺激はないかわりにさしたる不満も不安もなくて、この街での緩やかな凪の日々を私は単純に愛していた。続けられるものなら、あの生活をいつまでも変わらず続けたかった。
   何より、すっかり親しい隣人となっていたスターのお母さん、お兄さん夫婦との関係がこれで終わってしまうのだと考えることは、しみじみと淋しかった。

 けれども姉が嫁いでいくことで祖母を介護する母の負担がより増えることは、それはもうはっきりしていた。自分の母親をできるだけ家族で看たい、という父の想いは家族皆で共有していたし。
 ただこの街で暮らすのが好きだから、居心地がいいから、という理由だけでは、もはや帰郷をためらう理由としてはあまりにも身勝手だということは、いくらのんきな私でもわかっていた。
 田舎の友人たちはかなりの割合で堅実な家庭を築いている。もう「いい年」なのだ。この土地でなければ叶えられないような、諦めたくない夢を追いかけているわけでもない。そんな自分が、田舎の両親や祖母を差し置いてこんな無風の生活をいつまでも送っていいはずがない、とー。
 つまり私は観念した。

◇◇

 10数年ぶりに戻ってきた田舎は、やっぱり堂々と田舎のままだった。
私がまず最初にしたことは、運転免許の取得だった。本数の少ない路線バスしか足がないこの場所では、自分の車がないとまあとにかく不便なのだ。それから、田舎ではちょっと大型といえる書店で働いた。
 祖母の介護は両親と3人で、楽しく明るくをモットーにできる限りやっていた。帰郷を機会にようやく購入したパソコンは、長く静かすぎる田舎の夜の退屈を薄めてくれるのに役立った。

◇◇

 彼の地でのたくさんの思い出は、胸の奥にしばらく封印していた。
 スターのご実家を含め、お世話になった方や親友、結婚はせずともいい友人に昇格?して別れた腐れ縁の元彼、その仲間だった現代美術作家の強面な面々ー等々と過ごした日々は、予想していた以上に私の慕情を掻き立て続けたからだった。
 子ども時代から使っていた離れの部屋で、あの街で書き溜めていた日記帳を開くと、過ぎてしまった自由な日々がページの上でキラキラ踊って見えた。
 もう戻れないんだなあと思うとたまらなく恋しかった。一時的な帰省とは違う、自分はもうあの街の人間じゃなくなったんだな、またこのど田舎で生きていくんだな。ーいつまで?もうずっと。
 夜な夜な陥るそんなセンチメンタルな自問自答はちょっと情けないほど。それでも親と祖母との生活を選んだのだ。故郷にあらためて同化していかなくちゃ、と無理に自分に言い聞かせていた。

◇◇

 スターのご実家からある電話がかかって来たのは、帰郷して2年ほど過ぎたころだったと思う。それまでにも手紙や年賀状のやりとりはあったけれど、電話で話した回数は多くはなかった。
 その時の話の内容は、予想もしないものだった。それは、
 『近くスターのコンサートがあるけれど、親族が1人行けなくなった。チケットを余らせるのももったいないから、都合がつくなら一緒に観ないか』
 ーという、夢のようなお誘いだったのだ。

 こっちでは公演がなかったから、ハナからあきらめていた。まさか思い出して声をかけてくれるとは…。仕事のスケジュールは問題なし。父も母も行っておいでと勧めてくれた。断る理由なんてあるわけがない。
「もっ、もちろん行きます!」
「その日どうする?うちに泊まってもいいけど」
「は、いえ、そこまでは…ホテルに泊まるので大丈夫です、当日おうちに伺います!ありがとうございます!」

 電話を切ったあとで気がついた。
 こんな食い気味に、興奮して答えたのはものすごく久しぶりだ。
 まるでライブ会場で初めて言葉を交わしたあの日の自分みたいだった。

◇◇

 当日の午後4時。うれしさと興奮と、若干の気恥ずかしさと緊張を感じつつ、懐かしい街の駅に降り立った。ホテルのチェックインを済ませ、郷里の銘菓とお酒を抱えて、スターのご実家までの歩き慣れた道をたどった。

 よく買っていたブティックの前を通りかかった時に、店長とちょうど目が合った。約2年ぶりだ。びっくりした顔でドアを開けられ、1分程度で再会を喜んだ。後半はもう、いろいろわかっている者どうしの会話。

「おおー、久しぶり!元気してた?」
「もう、ド田舎だから毎日おんなじ服ばっかり着てますよ」
「そりゃいかん。時間あるなら見ていけば?」
「あ、スターのライブに行く前だから、明日寄りますね」
「そっか、ライブ今日か。だから来たんだ。もしかして実家行く途中?」
「ええ、誘ってもらったから、初めて一緒に」
「いいねえ、行ってらっしゃい!じゃ明日おいで、待ってるわ」

 ◇◇

 引っ越してきて一番最初に入った、懐かしい自家焙煎の珈琲店が見えてきた。
 シャッターが閉まっている。夕方6時からの営業なのだ。
 私が街を離れる少し前から、お店の形態が変わり始めていた。ご夫婦でやっていたのがマスター1人になり、夜はお酒の提供を始めた。夜には女の子を2人雇いはじめたとも聞いていた。そうなると客層も当然変わっていく。純粋に珈琲を味わう雰囲気が好きだった私と他の常連客たちの足は、少しずつ遠のいていった。あれだけ珈琲道を究めていたマスターに、いったいなぜそんな変化が起こったのかはわからない。
 でも周りがどう思おうと、マスターの店、マスターが決めたことなのだからそれでいいのである。正しいも正しくないも、ない。いつまでも変わらずにいたい、と願ったとしても、そうはいかないことの方が多分みんなきっと多いのだ。私自身がそうであるように。

ーそんなことをチクタクと思いながら通り過ぎる。
 焼き肉屋、ショットバー、コンビニ、公園。ひとつひとつ懐かしく、目に焼きつけながら歩く。
 信号を渡りしばらく進むと小さな十字路にたどり着く。
 そこからスターのご実家までは、もう200mだ。嬉しさがマックスまでせりあがった。

 お店はまだやっていた。閉めるまであと小一時間ほどあるだろう。通りからそっと首を傾けて店内をのぞき込むと、お客さんに接していたお兄さんとガラス越しに目が合った。表情を変えず、『玄関の方から中に入れ』というゼスチャーに笑顔で頷いた。

◇◇

 私はお母さんの荷物持ちをかってでた。私が帰郷する少し前から脚を悪くしていて、歩行には杖を使われていたから。
 会場の周辺にはすでにたくさんのファン。その中を、お母さんは自分の子・孫たちに守られてゆっくり歩いた。ちょっと極道の妻たちを思わせる絵である。私は荷物持ち、上等である。

「楽屋行ってくれば」歩きながら唐突にお兄さんが言った。
 は?私?
「私たち、昨日もう出会ってるから。いいのよ、遠慮しないで行っておいで~」
 お兄さんの奥さんもお母さんも、気軽な調子で口を揃えて私に言うのだ。
 ちょ、ちょっと待ってください。そんな軽く、行っておいで~と言われても。しかも1人で、今??
 思わず昔の出来事を思い出して汗が出た。かつてのあのひどい出会い?のワンシーン。

 結局私は行かなかった。1度でも「まともに」出会い会話でも交わせていたならともかく。しかもライブが始まる直前に、こんなオドオドした何でもない女がいきなり楽屋へ行って、集中を乱すわけにはいかないです。第一緊張して何も言えませんから。
 と、いうようなことを理由に、丁寧にお断りした。

「フフフ、もう、だからねー、そこなのよね。あなたたちはねえ。そういうところがねえ」
 この時の『たち』、とは姉のことも指していたと思う。奥さんがそう言って、ふんわり笑った。

◇◇

 家族席はPA席のすぐ後ろだった。
 私の右側にお兄さん、左側にお母さん。テレビ局の上層部らしき方が挨拶に来た。ご家族皆で気さくに会話している。ステージが始まる前からなんだかいろいろと凄い。もう興奮しっぱなしである。FCにも入会していない自分が、よもやこんな席でスターのライブを堪能できるとは。何度も足を運んでいた会場なのに、その日その場所から見えた景色は全然違った。まちがいなく一生に一度のことだ、と自分に言い聞かせた。
 ずっと鳴っていたBGMがふっと止まる。一瞬の沈黙。照明が落ち、オープニングが迫ったことを知らせる別のBGMが突然大音量で流れ出す。スターたちを呼ぶ熱烈なファンの黄色い、または野太い声が、熱気とともに会場内にたちまち満ちていく。そのままさらに数分焦らせられ、やがてメンバーが登場した。1曲目のイントロは・・・隣でお兄さんが鼻歌を歌ってる。そしてついにスターがその姿を現した。
 
◇◇

 お母さんは、途中何度か私に訊いてきた。
「○○○、やるかねえ」
 お母さんにとってもそれは思い出深い曲なのだ。ヒットしたその曲が生まれた当時の背景を、以前話してくれたことがある。
「きっとやりますよ。多分アンコールの時じゃないでしょうか」

 予想どおり、それは2度目のアンコールで届けられた。お母さんは小さく口ずさんでいるみたいだった。思わずぐっときた。ファンにはうかがい知れない情景が、お母さんの胸には浮かんでいるにちがいなかった。
 家族席の皆さんは当然?、誰も立ちあがったりはしない(PA席の後ろなのであまり視界を遮られない)。ラストに向かいさらに盛り上がっていく会場の熱気に包まれながら、スターのお母さんの隣で私も久しぶりにじっくりと、文字通り腰を据えて、その曲を聴いた。

 ラストナンバーの演奏も終わった。メンバーと肩を組み、きれいな汗を光らせてファンの歓声に応えるスター。ご家族も私たちファン同様に惜しみない拍手を送っていた。

◇◇

 ちょっと離れた店だけど皆で食事に行くから一緒に、と誘ってもらったものの、少し疲れてホテルでゆっくりしたかったこともあり、ご家族とはごった返すロビーで別れた。

「またいつでも出て来いよ。今度はうちに泊まればいい。田舎に引っ込んだら飲みに行きたいやろ」お兄さんがニヤッと笑いながらそう言ってくれた。
「元気でがんばってね。あなたもお姉ちゃんみたいにいい人見つけて早く結婚しなさいよ」
「ハイ、また来ます。今日は本当にありがとうございました。…お母さんもどうぞお元気で」

 スターの母の、優しい笑顔を目と胸に焼きつけて会場を後にした。これからもお兄さん夫婦とは会えると信じて疑わなかったけれど、なんとなく、なんとなく、お母さんとまた会えることは、もうないような気がしていた。
 これが今生のお別れになるだろう、と、なぜかそう思って、涙が出そうになるのをこらえて笑顔を作り、別れてきた。

◇◇

 その静かな予感は1年後に現実になった。
 お兄さんからの知らせを受け、ひと月ほど過ぎてしまったけれど、姉とご自宅を訪ねた。新築されたご自宅のお仏壇でやさしく微笑む遺影に手を合わせた。お兄さん夫婦と、田舎に帰った私たち姉妹。久しぶりに4人で顔を合わせることが叶ったのは、お母さんの「おかげ」だ。
 あんなことこんなこともあったね、懐かしいねとグラスを重ねて、その夜もまた話は尽きなかった。

 思えば叔父まかせ、親まかせで勝手に決められたアパートに、何の不満も持たずに素直に引っ越したことがこの出会いのはじまりだった。
 社会人としてまったくの落ちこぼれで、何の自信も持てなかった時代も、このご家族との、ピュアーな隣人関係に恵まれたからこそやり過ごしてこれたと思っている。自分のことを必要以上に卑下せずにやってこれたのは、親友や上司、恋人の存在だけではなく、すぐそばで毎日顔を会わせていたスターのご家族が、本当に素敵な大人たちだったからだ。
 
 人生、自ら切り開いていくばかりが全てではないのかもしれない。
 大した苦労もしていない私がこんな言い方をするのはおこがましいけれど、目の前にふいに流れてきた船に、時には何の疑いも持たずためらわず、乗り込んでみるのもいいのかもしれない。
 だって、世の中に実は「偶然」なんてない、ともいうではないか?

◇◇◇ 
 
 ビールジョッキも焼酎グラスも、あの夜幾度となく傾けたあとで、お兄さんがふっと呟いた一言がある。
 その言葉は、心がピンチになった時の自分を何度も救ってくれた。
 あの日から今日まで、ずっと私の大切な宝ものである。
 ひとり飲んでちょっと酔った時には、懐かしいあの頃と一緒に決まって思い出す。宝ものだから誰にも言わない。

 (終) 


最後が一番ながーくながーくなりました。ごくごく個人的な思い出、やっと終われます。もしここまでたどり着いた奇特な方がいたら、本当にお疲れ様です、なんだか申し訳ない気持ちです。ありがとうございました。
前回の分のみリンクを貼っておきます。


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