「価値がない」

 「自分には価値がない」
ひとはついつい、自分のことをその様に感じてしまうことがあるものだ。
しかし、自分はこの世のすべて、価値のすべて…と言わずとも「生活圏の中にあるニーズや価値についてすべてを知っている」と云う訳でもないだろう…
もしも、そうならば、自分には「価値はないが、多くを見通す能力がある」と云うことになる。これはこれで素晴らしい価値であったりする。

 「多くを見通す力などない、けれど自分には価値がないのだ」
と感じるのなら、居場所を変えればいい。
居場所を変えることが出来ないのであれば、自己表現を、考え方を、関係性を少しだけ変化させてみれば良い。

居場所を変えてもだめならば、振り返ってみれば良い。
何を選択し、どのように捉え、どのように反応してきたのか…
少しづつで良い。
小さな変化から生じる自分の中に生じる変化、周りの変化、新しい選択肢…
言葉に出して共有する場所を見つければ良い。

急激な変化を強いる必要などない。
変える部分は変えない部分の一部で良い。
今の自分は、それまで生き残ってきた自分自身の選択の結果なのだ。
一つがその他の多くと繋がりあい、影響しあい、バランスを保っているのだから…

急激すぎる変化は混乱や妄信を招きかねない。
大切なモノ、大切なヒト、大切な経験さえも、その価値を見失わせてしまう。

 「自分には価値がない」
とは、「今は、自分には価値がない」と感じているのだから…
混沌には良いも悪いも、価値の有る無しも、未だ境界がない状態とも云える。
ならば、自分が境界を作れば良い。
未だ、知らない枠組みを見つけてきてはめ込んでみるのも良いかもしれない。

「価値がない」と感じたとしても、その材料はたくさん持っているのだから…
料理の仕方を知らなければ、素材を活かし切れはしないのだから…
レシピもまた、数えきれないほどあり、試し切れないほどに、知ることが出来る時代なのだから…

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