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そんな時間はない
時間は、有限、平等。1日が24時間であることは、誰にとっても変わらないし、明日になっても変わらない。時間というものが限られていることを真に自覚すると、自分にとって大切なことが、霞の先から、段々と、見えていなっかた大切なことの輪郭が現れ始める。
同時に輪郭の外にあるものが、姿を現わす。「あ、これは自分には必要ないんだ」と自覚することができる。
時間が限られていること、自分に必要ないことがわかってくると、次に行動が変わる。必要ないことはしないし、今しなくてはならないことが明確になっていく。
だが、安心はできない。やる必要があること、やるべきことは無限にある。
どんなに効率をよくしても、どんな時間術を駆使しても、時間は使うことには変わりない。せっかく時間が限られていることを自覚したのに、やはり時間がなくなってしまう。
やるべきこと、やる必要があることですら、手放さなくてはならない。いったい何を手放せと言うのか。手放すときは、次の問いで確かめて行きたい。
"私"がやりたいことか
"私"がやるべきことか
"私"がやる必要があるか
"私"がである。私がやりたいことに集中しよう。やるべきことでも、私がやる必要のないことは、誰かにやってもらおう。特に仕事だと、お金をもらえるからとか、誰かにやってもらうことが申し訳ないとか、自分自身にそれらしい言い訳をしてしまう。
見失ってはならない、私のやりたいことに集中しなくてはないらない。私にとって必要な、私だけがやるべき、私のためにすることにしか、時間はないのだ。
私が私のやるべきことをやっているときに初めて、他人のことを考えられるようになるのだ。自分に不満がある人間や時間がないと嘆くに人間に他人のことを考える余裕などないのだ。
自分自身が満たされて、コップは初めて溢れ出すのだ。自分で自分を満たしてやらなければならない。誰でもない自分のための時間で、時間を満たしていく。
溢れ出していくのは、満たされた自分の心だ。人と向き合うとき、自分のコップは満たされ手いるのか、相手のコップはどうか。
ここは上司がいる会社の飲み会ではないけれど、ちょっと少なかったら、分けてあげようか。そう思える相手と過ごしたい。そんな風に思えない人と過ごすなんてまっぴらごめんだ。
二人で一緒にいると自然と満たされる。そんな人たちと過ごしたい。それより価値のある時間?
そんな時間はない。
画像提供:UnsplashのAron Visualsが撮影した写真