仕事辞めてロシア留学したら戦争始まって計画パーになった話~モスクワ留学・コロナ陽性隔離編~
・2022年2月4日金曜日 モスクワ留学第七日目
朝、強烈なのどの痛みで目が覚めた。つばを飲み込むたびに喉に激痛が走った。重たい頭とはっきりとしない意識の中で、高熱が下がっていることに私は気が付いた。ホストファミリーと接触しないように、ゆっくり抜き足で洗面所に向かう。顔を洗うべく鏡を見ると、無精ひげとぼさぼさの髪が映っていた。ひどい顔だった。
私は改めて保険会社と連絡し、現地の病院の手配を依頼した。最短でも明日、2月5日の夜の予約しか取れないとの事であった。水を飲むのも苦痛な程の喉の痛み、ひどい鼻づまり、そして波の様に上下する微熱から、ほぼ間違いなく新型コロナだろうと推測した。思い返せば大学の授業のみならず、モスクワメトロでも半分近くの人間はマスクをしていなかったので、感染は時間の問題だったことだろう。
自分の部屋のベッドで横になっているところに、ウラジミール君からのメッセージが飛んできた。私の身体を心配し、差し入れを持って来てくれるとのことだった。はちきれんばかりにいっぱいとなった大きなビニール袋を両手に、ウラジミール君はステイ先まで来てくれたのだった。水、カップラーメン、解熱剤、そしてはちみつなどが入っていた。
合掌のジェスチャーとお辞儀と、なんとか絞り出した「Спасибо.」の一言で私は最大限の感謝の意を伝えた。「のどの痛みにははちみつが効くぞ!」とウラジミール君がアドバイスをくれる。私は両手にいっぱいの荷物を抱えて部屋に戻る。荷をほどき、言われた通りにはちみつを舐めるのであった。舐めている間は喉の痛みが幾分か和らいだが、嚥下してしばらくするとすぐに痛みが戻ってきた。私は狂ったようにはちみつを舐めるのであった。ロシアのはちみつは美味しく、綺麗な琥珀色をしている。この時の私にとっては、何にも勝る薬なのであった。
・2022年2月5日土曜日 モスクワ留学第八日目
この日の朝は発熱の症状はかなり改善していたが、まだまだ喉の痛みは残っていた。夜にはPCR検査のために病院に行かねばならない。発症から三日目であり、遅めの検査となってしまったが、仕方のない事だった。この日は部屋で「宇宙戦艦ヤマト2205新たなる旅立ち後編」を、Amazonを通じて視聴した。先日から封が切られた新作だったが、モスクワで見ていたのは恐らく私だけであっただろう。そして製作者の人たちも、よもやモスクワで見られるとは思っていなかったことだろう。
夜になるとホストファミリーのNさんが「夜はやはり危ないので、通院はやめておけ」と急に言ってきたのであった。確かに首都モスクワとは言え、夜道に外国人が独り歩きするのはあまり良いものではない。それにただでさえ弱った身体の病人の身だ。私は大人しくNさんに従い、保険会社に別の日程を予約しなおしてもらったのであった。
・2022年2月6日日曜日 モスクワ留学第九日目
鼻水、痰の色からどうやら回復期に入ったようであった。熱も出ることはない。急な予約の変更によって、病院での検査予約は2月7日の午前9時となったが、Nさんからは「それは遅すぎる」と言われる。発症から5日目の通院となるので確かに遅いことに間違いはないのだが、私にはどうしようもなかった。「何故もっと早い日にしないのか」と言われるが、「申し訳ないです」と言うより他なかった。喉の痛みもマシにはなったが、それでもしつこく残っているのであった。寝るより他に出来ることは何もなかった。
・2022年2月7日月曜日 モスクワ留学第十日目
この日、ようやく通院することができた。カランチョフスカヤ駅に近い病院にて、PCR検査を受ける。病院に着いてからはロシア語と英語で本人確認、現在の症状、発症がいつであったからなどの問診が行われた。喉の痛みも喋られる程度には収まっていたので、ヘタクソなロシア語で答え、発熱から五日後にしてなんとか検査を受けることが出来たのであった。結果は半日以内にメールにて通知されると教えられ、病院を後にした。
果たして結果は、当然のごとく陽性であった。大学と保険会社、家族などに結果を伝える。授業は遠隔授業が明日から行われると伝えられたのであった。
この時ロシアでは、新型コロナウイルスの陽性反応が出た者は一週間の隔離の後に、自覚症状がなければ隔離は不要と言う措置になっていた。つまり私は一週間後の2月14日までホームステイ先にて隔離措置となり、留学期間のかなりの割合をモスクワ郊外のマンションの一室にて過ごさねばならないことになったのであった。この日は奇しくも私の誕生日の前日であり、最後の26歳の一日であった。
・2022年2月8日火曜日 モスクワ留学第十一日目
モスクワで新型コロナに罹患し、一週間の隔離期間を過ごすこととなった私は、みじめな気持ちと暗澹たる気分で27歳を迎えたのであった。朝早くに病院から症状と熱の有無を確認する電話がかかってきた。電話口でのまくしたてるかのような早口な質問に戸惑いつつも、熱もなく、症状も落ち着いたことを私は伝える。「悪化した場合は即座に連絡するように」と念を押され、電話口での問診が終了した。
この日からzoomを用いた遠隔授業が行われることになっていた。これは参加こそできたものの、通信状態も常に不安定なために音声も映像も途切れ途切れの授業となり、あまり勉強になるものではなかった。昼過ぎに早々に終了した授業の後には他にすることはなく、出来ることはと言えば持参したノートパソコンでゲームをするか、ロシア語の参考書を解くかくらいなものであった。結局のんべんだらりとゲームをしていたら、あっという間に夜が訪れた。
この日の晩餐は、冷凍ピラフとほんの少しの焼き菓子だけであった。冷凍ピラフは電子レンジでの温めが足らず、凍ったままの米がまぎれていた。ボソボソと固くて冷たいインディカ米は、食べる度に口内の水分を奪っていく。これほど人生で寂しく辛い誕生日があったであろうか。良い年齢にもなって仕事を放りだし、抜けきらない学生気分のままに大層な夢ばかりを見た私は、モスクワでコロナにかかり、多くの人間に迷惑を掛けている。私はそんな自分自身が心の底から情けなかった。自然と涙が目に浮かぶのであった。私は後ろ向きな気持ちと滲んだ涙を、冷たいピラフと共に一気に水で飲みこんだ。後ろを向いてばかりもいられなかった。27歳はもう既に訪れたのだから・・・。
・2022年2月9日水曜日 モスクワ留学第十二日目
朝、遠隔授業は行われることはなかった。待てど暮らせど始まらないzoom画面を閉じる。身体の調子はすっかり良くなっていた。この日もウラジミール君がまたしても差し入れを持って来てくれた。その優しさが全身に染みわたるようであった。彼の優しさによって私のコロナは治っていると言っても過言ではないだろう。差し入れのケンタッキー・フライド・チキンを食べ、私はただただ寝るだけなのであった。
・2022年2月10日木曜日 モスクワ留学第十三日目
この日も遠隔授業は行われることはなかった。準備も面倒であることから、実施しないことにしたのだろう。
この頃にもなると身体の調子もかなりよくなり、私はネットを通じて日本にいる友人と遊ぶことにしたのであった。モスクワは日本との時差は6時間ある。モスクワが昼であれば、日本では夕方から夜にかけての時間になるのであった。授業もないため暇であった私は、この日仕事が休みであった大学同期とオンライン麻雀を行い、時間をつぶすことにした。緑一色や四暗刻を友人が出す一方で、私は鳴かず飛ばずな対局であったが、気持ちはかなり前向きになれたのであった。長い人生こんな日があってもまぁいいか、と思えるくらいには元気になれた日であった。
・2022年2月11日金曜日 モスクワ留学第十四日目
建国記念日は日本から遠いモスクワでは関係のないイベントであった。せっかく時間がたくさんあるのだから、ロシア語の勉強くらいすればよいのだが、この日も朝から晩までただただゲームに浸るだけなのであった。
隔離生活も四日目となり、残る隔離期間は三日となった。この日、折り返し地点が終わったのであった。
・2022年2月12日土曜日 モスクワ留学第十五日目
この日も朝から晩まですることはなかった。ただただ、パソコンでゲームをし、Twitterでロシア・ウクライナ間の軍事的緊張を眺めるだけであった。まだこの時は、戦争について「起きるわけがない」と、頭のどこかで思っていた。一ヵ月の留学は半分が終わろうとしていた。
・2022年2月13日日曜日 モスクワ留学第十六日目
隔離期間の六日目、明日にPCR検査を行い陰性であれば、隔離は終了する。この日はウラジミール君が大量のカップラーメンを差し入れの仕上げとして持って来てくれた。しかしあまりにも多いので、日本への土産として置いておこうかと思うほどであった。そしてウラジミール君が「明日からは毎日博物館に行くぞ」と言ってくれる。週末にはサンクトペテルブルクにも連れて行ってくれるとの事であった。隔離期間として浪費した時間を取り戻すかの如く、彼は怒涛のスケジュールを私に教えてくれた。
明日から始まる日々は、どうやら忙しくなりそうであった・・・。
~モスクワ留学・コロナ陽性隔離編~ 完
あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございます。
現にコロナにかかっている方、或いは今でも後遺症と闘病されている方、どうかお身体お大事にしてくださいませ。ご快復を心より祈っております。僕の場合は、オミクロン株にかかっていたわけですが、後遺症もなく無事に完治致しました。全てはモスクワにて、ですが・・・。人生何事も経験だとは言いますが、ロシアでコロナに感染して死にそうな目にあうという経験ばかりは、出来ればしない方が良いでしょう。本当にしんどい日々でした。この時のリアルタイムなツイートのリンクを張っておきますので、興味のある方はこちらもご覧ください。
さて、隔離期間も無事終わりまして、2月14日からは毎日のようにどこかしらの博物館に通っては、戦車や戦闘機の展示を見ることになります。特にクビンカ戦車博物館は、ミリタリーオタクや戦車オタクにとっては聖地のような場所でして、一度は行ってみたい!と思う博物館なのです。ロシアの蛮行によって今や距離以上に遠い存在となってしまいましたが・・・。そんなクビンカ博物館の写真も余すところなく皆さんにご紹介できればとも思います。こちらもお楽しみにお待ちくださいませ。
皆様からのコメントをお待ちしております。
誤字脱字等ありましたら、遠慮なくご指摘くださいませ。
それではまた続きのお話にて・・・。
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