アドラー心理学の危険性
嫌われる勇気
この言葉を多少本を読む人なら、否。
本を読まなくても知らない人はほとんどいないだろう。
アルフレッド・アドラーを日本で有名な心理学者として押し上げた著書だ。
まず、私の考えとして、アドラーの考え方は非常に有効な面がある。
しかしながら、包丁が調理器具として優秀であろうと扱う人間によってはすぐに錆びるし、悪意を持って利用すれば人を殺めることもできてしまう。
知恵とは、形の見えない道具のようなもの。
そして道具は扱う人間次第で益にも害にもなるということだ。
アドラーの考えにおいて特徴的なことに課題の分離がある。
これは自分の課題と他人の課題を明確化し、他人の課題には手を出さないようにする行為。嫌われる勇気内では、その課題を放置して困る人が誰なのかが見極める目安と記載されていた。
この課題の分離へのアプローチは、果たして有効なのだろうか?
一般的な仕事の環境で考えていく。
今の日本においては個人で全てを担う仕事はほとんどない。ある程度のグループワークだ。
そのグループで歴の長さで発言力が強く、しかし考えが拙い人間がいたとする。
その人間の仕事の仕方では効率が悪いため、残業が残る。
ある人がそれに気付き自分の仕事の効率を上げて、ある程度のサポートもまでした上で、自分の割り振りを終わらせ、定時に上がっていた。
しばらくそのことを続けた結果、協調性がないと烙印を押され評価が下がったとする。
この行為は課題の分離をきちんと行なった結果、却って自分に要らぬ火の粉がかかった状況だが、これをアドラーではどう説明するのだろう?
効率が悪い行為を続けるという他人の課題を放置した結果、自分の評価が下がるという困ったことが起きたのだ。
アドラーの考え方は確かに有効な一打を加えるときがある。
しかし、万能ではない。
嫌われる勇気は、その話題性をもって日本に広まり、多くの人間の目に触れた。
その結果、本来の使用方法とはズレた使われ方がされ、他者と自分を攻撃する手段として使われていることが多く見受けられる。
一般大衆に広がるということは、悪意を持った人間も知ること、そして知識が足らない人間が誤用することを避けることができないのだ。
ここから先は、実際にどのようにアドラーの知恵を活用していけばいいのか、私なりにまとめていく。
課題の分離、トラウマの扱い方。特に他人のせいにせず、自己責任として生きている人に向けている。
アドラーは自己責任で生きている人には、自らを蝕む毒になりやすいのだ。
無料部最後に、この記事の結論をおいておく。
ニーバーの祈り
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
アドラーの知恵を使うときに、この言葉を頭に思い浮かべてほしい。
ざくろ
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