相棒を見ていて
昨日、「相棒19」の元日スペシャルが放送された。
私は相棒をファーストから見ていて、昨日の回と昨年に放送されたある回に非常に心が揺り動かされた。
今回の記事は相棒のネタバレを含むため、ご覧いただくには注意が必要である。
まず、昨日の回の話をしよう。
事件はある人物が鉄パイプで殴り殺されたことに始まる。
その被害者をよく調べていくと、過去に同じように鉄パイプで通り魔を行なっていた人物であるが少年法で情状酌量されていたことがわかる。
第2第3の事件と続き、ついに杉下は犯人を突き止めるが、その犯人の1人が過去杉下が工場爆発が起きた時に助けられなかった中学生の親だということがわかる。
「あなたを恨むのはお門違いだということは分かっているんです。でも、ここがね、許せないって言ってるんです」
犯人はそう言いながら何度も胸を叩くシーンで私は泣いていた。
杉下右京は完璧だ。ドラマ上で少なくとも明確な間違いは起こさない。
ただ昨年に放送されたある回において、明確に「間違い」を侵している。
それが「人生を取り戻そうとした男」だ。
この事件は、小学校の同級生が、自分のなるはずだった養子縁組を行なった結果政治家の跡取りになる。その男を殺して自分がなるはずだった人生を取り戻そうとした話だった。
ここで杉下はいつも通りの推理力と裏付けを発揮して犯人を追い詰める。
反抗を詳らかにしたのちに犯人に「今の人生こそ自分の人生」と厳しく叱責をした。
捜査一課の刑事たちが護送中、その犯人は何があってもうまくいかない自分を呪ってビルから飛び降りてしまう。
そうするだろうね。
これが純粋な私の感想だ。
もちろん杉下のしたことは正しい。犯罪はいけないし、自分の人生は自分の責任だ。
だがそれは絶望した人間にかける言葉ではない。
犯罪を明らかにして罪を悔い改める機会を与えるなら、希望を持たせる必要があるのだ。
今回、このドラマの感想というものをnoteに記したのは、占い師にとって重要なことが詰まっていたからだ。
正しさでは人は救えない。
もちろん、占い師が人を救えるなんて思い上がってはいない。
人を救えるのはその人本人だけだ。
しかしその生きる希望というものを与えるのも奪うのも他人の言葉だけなのだ。
占い師が関わる相談者は、正論など欲しいていない。
相手が何を欲しているのか、見極める目を育ててほしい。
ざくろ
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長峰永地の哲学note
毎日更新しているnote 人とはどのように生きるのかを一緒に考えて参りましょう
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