怒りを出すタイミング
先日アカデミー賞のセレモニーで妻をジョークに使われ司会を公衆の面前で平手打ちしたハリウッドスターがいたことは記憶に新しいだろう。
この暴力行為に対して国内では賛否分かれているものの、現場となった米国では圧倒的に非難の声で占められている。
どんなタイミングでも暴力はいけない
このことが米国での意見である。
だが、筆者は日本人でありまたこの記事を出す場所が日本であることを鑑み、ここは日本流で進めていく。
無論この記事は暴力行為を肯定するわけでも推奨するわけでもないことを最初に申し上げておきたいと思う。
ここまではっきりと書かなければならない理由のひとつとして、不特定多数の人の目に触れる場所に物を置くと、書いてあることを読まず自分の意見のみで脊髄反射をする人間が必ずいる。
そのため今回は「暴力行為を肯定するわけでも推奨するわけでもない」ということを2回書かせていただく。
くどいようではあるが、私の考えを誤解なく伝えていくためにどうかご容赦いただければ幸いである。
ことの顛末
この記事のメインテーマである話を軽く説明していく。
アカデミー賞のセレモニーでウィル・スミスの妻が闘病のために整えた髪の毛を司会が弄るということにウィルがステージに上がりそのまま司会に平手打ち。
その後セレモニーでトロフィーを握り涙ながらにスピーチをするという場面になった。
この行為に対して日本では「気持ちはわかるが殴ってはいけない」という意見が主流のように見受けられる。
私も主流の意見に重なるのだがこの事件のあったことと同タイミングで占い師をディスった芸人がいたことで「怒り」ということについて考える機会に恵まれたのだ。
話をウィルの話に戻そう。
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長峰永地の哲学note
毎日更新しているnote 人とはどのように生きるのかを一緒に考えて参りましょう
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