よくわかるハイデガー 存在論的差異ってなに?
※この記事は、細川亮一「ハイデガー入門」を元に書きました
ハイデガーの存在と時間の中で語られる存在論的差異とはなにかを、一瞬回り道をしてから説明する
「美しいものとは何か?」と「そもそも『美しい』とは何か?」は別次元の問題。
コレと同じように、「存在するものとは何か?」と「そもそも『存在』とは何か?」は別モノの問いである。
◯存在論的差異とは
具体的に存在している事物や私達(存在者)と、存在そのものは別モンなんやって話。
もう少し解説を加えます
「美しいものとは何か?」と「そもそも『美しい』とは何か?」、この2つの質問の違いとは?
美しいものとは何か、を答えるとき、具体的な美しいものを並べて答えられる
美男美女が美しいとか、海や山の景色が美しいとか、あの漫画や映画、アニメが美しい、あの盗塁プレーは美しいとかetc
まぁ当たり前ですよね
次に美しさそのものを問う質問を分析してみる
そもそも「美しい」とは何か、に答えるとき、次のことに答える必要がある
・美の意味定義はなんなの?
・美しさを成り立たせる条件は何なの?
・美を判定する基準や視点は何なの?
※美の判定基準、美を判定する視点とは?
例え①
→美しい音楽と、美しい絵画は、美しさの判定基準にズレがある。
→絵画の美しさを色合いから判定するのはアリだけど、音楽の美しさを色合いで判定できますか?
→美しさの判定基準に「色合い」を使う場合、絵画の美しさは判定できても音楽の美しさには当てはまらない(音楽に色彩は普通ない。共感覚で音から色をイメージしない限りはない)
→美しさの判定基準そのものを考えると、美しいもの全般を判定する基準に「色合い」は持ち出せないかもしれない
例え②
→倫理的な美しさ(人助けは美しい)とか、幾何学的な美しさ(バランスが整っていて美しい)とか、恋愛のルックスの美しさとか、大自然の景観の美しさ…etc
→いろんな美しさを考えられるけど、全部を同じ基準で考えられますか?
このように、「美しいものとは何か?」と「そもそも『美しい』とは何か?」、この2つの質問は答えに求めているものが違う。
「美しいものとは何か?」は個別具体的な美しい事物を探す問い
「そもそも『美しい』とは何か?」は美を成り立たせる条件や構造そのものをはっきりさせる問い
この2つの問いは、答えに求めているものが違うという意味で、次元の違う問い
これは、美を存在に置き換えても、同じことがいえる
→「存在するものとは何か?」と「そもそも『存在』とは何か?」は別モノの問いである
→この2つの問いの違いの性質を強調するのが、存在論的差異
まとめ
ハイデガーが「存在とは何か?」を考えるとき、「存在そのものとは何か=存在を成り立たせる構造や条件は何か?」を考えている
存在論的差異とは
1、個々の具体的な存在者(目に見える事物、観測可能な事実、頭の中の妄想とか誤謬、私達自身)
2、存在を成り立たせる構造や条件
この2つを分けて考えなさいよってことが言いたいから作った言葉
ハイデガーの入口の入口くらいの解説でした〜
参考文献
細川亮一「ハイデガー入門」
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