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成仏日記【3】「毒親」という言葉の概念

 こんなものを書き始めておいて言うのも何だが、私は「毒親」という言葉自体はあまり好きではない。確かに「毒を持った親」はいるのだが、自分の正当性を証明するために「親が毒を持っている」ことにするのはまた違った問題だと考えるからだ。

 確かに私は父のおかげで性格にも認知にも歪みが生じたが、それを父の毒のせいにしていたら一生、この毒に心身を蝕まれたままでいる気がするのだ。なんだか負けたようで悔しいではないか。

 だから、私は父に対して「毒親」という表現はしない。あれは人間という生命体として、クズだったのだ。

 これから綴っていく日記の中で、わたしは時折、父を憐れみ悲しみ、複雑な感情にもみくちゃにされることがあると思うが、敢えて忠実に父の発言と出来事は記していくつもりだ。

 次回からは本格的に父のことに向き合っていくので、どうぞお付き合いください。

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