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20060822 切るなの根から金の生る木(2)

 錬金術機械$${^{*1}}$$の続き。いつ壊れるか判らない修理不能な錬金術機械の値段を付けるにはどう考えればいいか。この様な機械がこの世に一台しかないと言うわけではなく、何台も何種類もあるとする。ある機械は長持ちするかも知れないし、他のある機械は直ぐに駄目になるかも知れない。ただしそれぞれの機械の稼働実績は残っているし、性能も判っている。これまでどれだけ金や白金を作ったか、どれくらいの鉛や鉄くずを入れるとどれだけの金を何時間かけて変換してくれるのか。

 効率よく金を作ってくれるならば、その機会を他人に譲ろうという気にはあまりならないが、ほんの少しの金を作るのに数時間どころではなく何年もかかってしまうのであれば、譲る気にもなる。一方、錬金術機械なら何でもいいという人がいるかも知れない。そうなると値段が付いてくる。

 実績や性能の優劣で値段が決まるかも知れないが、基準となるものはなかなか思い付かない。いつ壊れてしまうか判らないから、買った値段よりも少ない量の金しか作ってくれないかも知れない。一体何を根拠に値段を決めればいいのか。

 実は値段を決める絶対的な理屈はないのではないか。やはり根本はそれを売買する当事者の思惑のみで価値は決定されるので市場経済が前提であれば、理屈通りに何ら決めることができないのではないか。

 この錬金術機械は観念の世界の機械だが、実際の世界ではこれが経済の仕組みとして使われている。それは「株式$${^{*2}}$$」である。株式は所有しているだけで配当金が貰える。錬金術機械のように鉛や鉄くずさえも要らない。そして株式を発行する会社が機能しなくなれば、完全に配当金は貰えなくなる。株式が単なる紙くずになるのはいつなのか判らない。それに株式市場$${^{*3}}$$で他人に譲ることもできる。

 最近読んだ本に「株式の値段は、その株式を発行した会社が将来にわたって生み出す全ての利益を現在価値に換算した結果」と説明してあった。その会社の株式を全て所有すれば会社自体を所有することになる。会社を所有すれば、その会社が無くなるまで利益が分配される。株式はこれを踏まえて当事者間で納得して売買されているのだという説明である。これは単純明快で株式の値段の明確な根拠になる、と一瞬思った。

 ところが会社はいつ潰れるか判らない。潰れそうな会社の株価が下落するのは判る。潰れれば株価は無くなるので、潰れる寸前までどんどん零円に近づいていく。逆に健全経営で全く潰れそうにない会社の株は永遠に配当が貰えるわけだから錬金術機械と同じで値段が決まらないはずだ。にもかかわらず実際は株価は決まっている。一体どういうことか。

 未来永劫に配当金が貰えるとしても百年後の配当金の価値は現時点で考えれば殆ど無いと言える。百年後の百万円よりも今日の一万円の方がいいと考えるのと同じである。これを将来価値の割引$${^{*4}}$$という。

 株価は売買当事者の思惑でその都度決まるが、最終的には前述の説明の値段に落ち着くというのである。ところが企業の利益の将来は朦朧としている。結局、一年後程度の利益しか予想できない。予想なので確定ではない。そんな不確定な一年後の利益がその会社の株価の適正値を決めることになる。赤字の会社はどうか。更に将来の予測が根拠となるのだろう。いずれにしても不安定な数字が基準となっている。やはりいつまでも当事者の思惑のみで決まっているのであろう。

*1 20060821 切るなの根から金の生る木
*2 20031207 株の天気図
*3 東京証券取引所
*4 現在価値への割引計算

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