20030326 愛知県内の本土決戦用大砲陣地遺構(7)
3月22日は朝から曇り空が広がっていた。雨になりそうなので篠島$${^{*1}}$$、神島$${^{*2}}$$の遺構探索$${^{*3}}$$は止めにして三重県一志郡香良洲(からす)町$${^{*4}}$$にある「香良洲町歴史資料館$${^{*5}}$$」に行くことにした。この資料館は三重海軍航空隊$${^{*6}}$$の跡地に作られており、周辺には海軍航空隊の遺構が沢山残っているらしい。これらを戦争遺跡の専門家である隊長氏$${^{*7}}$$に案内して貰うことになった。この香良洲町で二日間の遺構探訪は終了となる。
香良洲町歴史資料館は三階建てになっており、その三階に海軍航空隊の資料が展示してあった。
この航空隊は海軍航空機搭乗員を養成するために開隊された。ここには海軍飛行予科訓練生として訓練を受け第一線の海空戦に参加した人々の資料や遺品が多く展示されていた。
展示されている、ある資料の前で釘付けになってしまった。それは終戦の日の翌日8月16日にこの海軍航空隊で割腹自殺をした森崎湊氏$${^{*8}}$$の遺書であった。森崎氏はこの海軍航空隊の予備訓練生で特別攻撃隊要員であったらしい。
遺書を読んでいる内に不覚にも人前で涙を見せてしまった。
両親に対して二十年間苦労をかけっ放しで何一つ仕えることが出来ない上、自決によって更に深く悲しませることを詫びている。そして国の役にも立たず、何の手柄も立てられなかったので、死んで護国の鬼$${^{*9}}$$となりたいとあった。自分が生き長らえれば、必ず何かを策動して天皇陛下や両親に迷惑を掛けてしまうので、生きては降伏出来ないというのである。
更に兄姉弟$${^{*10}}$$には、自分を初めからいなかった子と思って欲しいと書いてあった。
もし自分が森崎氏の両親の立場であったら、と考えたら涙が止まらなくなってしまった。あまりにも悔しい。何故、戦争が終わってから自ら命を絶たなければならないのか。一から出直して祖国の復興に尽力すべきであった筈である。普通ならそう考えるだろう。このように戦争というのは人の考え方を狂わし、全ての人を不幸にする最も愚かな行為であることがよく判る。
一昨日前からはアメリカとイギリスとがイラクを攻撃し始めている$${^{*11}}$$。
*1 愛知県知多郡南知多町篠島牛取
*2 伊勢志摩きらり千選
*3 20030325 愛知県内の本土決戦用大砲陣地遺構(6)
*4 三重県一志郡香良洲町浜浦付近
*5 香良洲町歴史資料館
*6 三重海軍航空隊
*7 戦争遺跡見聞録
*8 安全で質の高い医療を受けるために 「医療の安全に関する研究会」ニュース
*9 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 護国
*10 森崎 湊の弟で映画監督の森崎 東
*11 アメリカのイラク攻撃と日本