見出し画像

20020728 哺乳類の時間

 哺乳類はその種類によらず一生に打たれる心拍数は大体皆同じである$${^{*1}}$$という説がある。何とも不思議な説である。

 一生の間に脈打つ心拍数の総数は20億から23億回ぐらいらしい。だから単位時間の心拍数が多いとそれだけ早く死ぬというのだ。この話は「ゾウの時間・ネズミの時間$${^{*2}}$$」という本で有名になったと思う。

 なぜ20億から23億回なのだろう。この数字には何か意味があるのだろうか。この数字はいわば絶対的な数字である。定義の問題ではない。光の速度が1秒当たり30万kmなのは1mという長さをある長さに人間が勝手に決めた$${^{*3}}$$から「30万」と言う数字が出てきたのである。「30万」という数字自体には絶対的な意味はない。

 ところが哺乳類の寿命というのは定義によらないだろう。生まれてから死までの時間である。「死」をどうやって定義するか$${^{*4}}$$と言う問題があるかもしれないが、普通は個体として生命活動が停止した時を「死」というだろう。アメーバや珊瑚など生と死との区別がはっきりしない生き物と違って哺乳類は見た目でよく判る。恐らく宇宙人から見ても哺乳類の生死は区別できるのではないだろうか。つまり哺乳類の寿命は普遍的な尺度であるはずだ。

 心拍数も定義にはよらないだろう。石ころの数を数える$${^{*5}}$$のと同様に誰が数えても同じだろう。すると「20億」という数字は人間の定義ではなく、最初から予定されている数字ということになる。

 この数字は哺乳類だけに適用されるのだろうか。鳥類の場合はどうなのだろう。両生類は、爬虫類は、魚類はどうなのだろう。もしそれぞれの分類に対して心拍数が決まっているとするとその数の差は何が原因なのだろうか。心臓を持つ生物の一生の心拍数はすべて「20億回」ならば、ますます神秘的な数字になってくる。

 一生の心拍数が同じというのは単なる偶然ではないだろうか。何との偶然か。体の大きさと心臓の大きさとの関係である。体が大きくなれば心臓も大きくなる。心臓が大きくなれば出入りする血液の量も多くなる。血液の粘性は哺乳類の大きさによってそれ程変わらないだろう。そうなると心臓が大きくなれば単位時間の拍数を上げるのは難しいだろう。それに心臓が大きくなっているので拍数を上げる必要もない。

 大きい動物は寿命が長い。大きくなるまで時間が掛かるからである。

 従って大きな動物ほど単位時間当たりの心拍数が少なくて、寿命が長いというのは地球上の動物全てに当てはまることだと思う。しかし寿命を単位時間当たりの心拍数で割った値、一生の心拍数の総数が20億というような「ある一定の値」になるのは単なる偶然で、たまたまそれぞれが近い数字になっただけのような気がする。この学説は「象の時間」までだが、「鯨の時間$${^{*6}}$$」まで拡張すると少しずれてくるかもしれない。

 結局、単位時間当たりの心拍数の速い遅いが寿命に関係するのではなく、体の大きさが寿命に関係しているだけだろう。体の大きさの結果として心拍数の速さが決まっていると思われる。心拍数一定の法則は因果関係を示しているのではなく、そういった単純な式で便宜的に表すことが出来るという程度だろう。

 これを何か因果関係があるかのように思ってしまうと、血液型が性格に影響していると言う迷信$${^{*7}}$$を信じるのと同じになってしまう気がする。

*1 心拍数と寿命
*2 ゾウの時間・ネズミの時間
*3 20020726 一秒と1メートル
*4 法医学講義 死の定義・判定、脳死
*5 20000630 1+1
*6 LS研ホームページ:会報
*7 20000831 電子メールと電話

いいなと思ったら応援しよう!