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20020630 相互参照

 リンクはそれが設定された語句を単に詳しく説明するためだけに使われるのではない。多くはその目的で用いられるが、リンク元の文章全体の理解を促すため、もしくは関連する項目にリンクすることによって私の批判的な表現に利用する場合もある。

 例えばこの記事$${^{*1}}$$では「首相」という言葉にわざわざリンクを付けている。首相と言う言葉は小学生の高学年以上ならば大抵意味は分かるはずである。従って語句の説明のためにリンクを付けているのではない。

 リンク先も首相官邸$${^{*2}}$$ではなく、ニセ首相官邸$${^{*3}}$$である。これは洒落のつもりでやっているが、リンク先を殆ど見ない人も少なくない。リンク先をクリックするかしないかは読み手の自由なので何ともしようがないが、リンク先を見てもらえずにブラウザ上で「青字」のままでぽつねんとしているリンク設定語句が不憫でならない。

 紙の辞書ではよく「~を参照せよ」という具合に手動リンク$${^{*4}}$$がよく設定してある。HTML$${^{*5}}$$はこの手間をコンピュータが代行してくれている。web上でリンクを勝手に設定することは著作権の侵害など$${^{*6}}$$と主張するする人々がいるが、これは全くの勘違いである。

 辞書の「~を参照せよ」をweb上で最大限利用したのはHyperDictionary$${^{*7}}$$である。見出し語の説明文の単語全てにリンクが貼られている。

 このような「~を参照せよ」は相互参照と呼ばれ、百科全書の登場$${^{*8}}$$によってこの仕組みが作り出された。チェンバーズの「百科全書」$${^{*9}}$$で初めて使われたらしい。ディドロとダランベールとの「百科全書$${^{*10}}$$」でも効果的に使われたらしい。

 webのリンクは、百科事典の中で完結している「~を参照せよ」の限界を遙かに超えて地球全体に散在している知識が参照できる仕組みになった。これはディドロとダランベールと$${^{*11}}$$の時代から見れば途方もないことである。

 残念なのは散在する「知識」は自由自在であることだ。生き物のように生まれては死んでいく。リンク先はままならないのである。百科事典と同じような機能を持たせるには、やはりweb図書館で「知識」を積極的に勝手に保存する$${^{*12}}$$しかないのだろうか。  

*1 19991015 紙幣は国の信用
*2 首相官邸ホームページ
*3 ニセ首相官邸
*4 20000713 リンク
*5 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - HTML
*6 他人のサイトにリンクを張るだけで著作権法違反になるのか | STORIA法律事務所
*7 20020513 HyperDictionary
*8 EXHIBITION:(XIII)百科事典に見られる身体
*9 百科全書
*10 慶應義塾図書館 <貴重書紹介 解説 ディドロ・ダランベール『百科全書』>
*11 UB Graz - Ausstellungen - 250 Jahre Encyclopedie
*12 20020210 インターネットアーカイブ

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