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20090809 濁河温泉(7)

 濁河(にごりご)温泉$${^{*1}}$$の続き。名古屋に向かって下呂温泉$${^{*2}}$$の手前にある禅昌寺$${^{*3}}$$に寄った。国道四十一号線$${^{*4}}$$は今まで何十回も往復している。道路からは禅昌寺は見えず、禅昌寺の看板だけを見ながら何度も通過していた。今回初めて訪問することになる。

 こんな名刹$${^{*5}}$$の前をこれまでずっと素通りしてきたとは。雪舟$${^{*6}}$$の達磨像$${^{*7}}$$や金森宗和$${^{*8}}$$が造った庭園$${^{*9}}$$などがある。特に$${^{*10}}$$は気に入ってしまった。雨が庭を引き立てていた。

 門前の土産物屋の軒先で笹寿司や朴葉寿司$${^{*11}}$$などを昼飯がわりに摘んで$${^{*12}}$$2、禅昌寺を後にした。

 下呂温泉を通過して暫く行くと名古屋方面に向かって右側の飛騨川沿いに「飛騨川バス転落事故$${^{*13}}$$」の祈念碑$${^{*14}}$$がある。直ぐ下には飛騨川が流れている。四十一年前の昭和四十三年八月、豪雨から待避するため停車していた二台のバスを山崩れが直撃し、土砂はバス乗員乗客もろとも飛騨川に転落させた。犠牲者は百四名の大惨事となった。祈念碑は事故現場から下流三百メートルのところに建立されている$${^{*15}}$$。碑の題字は、時の内閣総理大臣佐藤栄作$${^{*16}}$$が書いたようだ。

 眼下に見える飛騨川は当時程ではないだろうが、荒れ狂った流れ$${^{*17}}$$となっていた。こんな日に川に落ちたらひとたまりもないことは想像に難くない。不運な偶然が重なり過ぎた結果だった。

 この二日間は、今年の梅雨の最後と言う意味なのかどうか知らないが、結構まとまった雨が降った。幸い土砂崩れに遭わず旅が終えられた。飛騨川バス転落事故の犠牲者の方々もまさか事故に遭うとは思ってもみなかったに違いない。事故に遭わなければ、我々と同じように「雨ばっかりだったなぁ」と文句を言いながら旅から帰っていったことだろう。人生と言うのは本当に判らない。

 翌日、長かった今年の梅雨が明けた。

*1 20090808 濁河温泉(6)
*2 下呂温泉観光協会 | 日本三名泉を楽しもう
*3 下呂ナビ 下呂市の観光マップ 禅昌寺・禅昌寺歴史民俗資料館
*4 一般国道41号 起点 愛知県名古屋市~ 終点 富山県富山市
*5 めいさつ【名刹】の意味 国語辞典 - goo辞書
*6 重玄寺跡|井原の偉人史跡・名勝|歴史・文化|観光情報|井原市観光協会│岡山県井原市の観光情報・観光案内 Ibara Tourist Information
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*8 岐阜県ゆかりの先駆者たち(第14回) 岐阜県図書館
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*11 朴葉寿司の作り方
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*13 飛騨川バス転落事故(岐阜県)
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*16 歴代総理の写真と経歴
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