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20100120 間抜けな小冊子

 ある小冊子を読んでいたら変な事が書いてあった。そう言えば、以前もこの冊子には訳の分からない主張が掲載されていた$${^{*1}}$$。この冊子の編集者の頭は大丈夫なのだろうか。

 「声はその人の印象を左右する重要な要素の一つであり、同じ内容の事を話していても声の様子で受け取る印象が変わってくる」とある。なるほどそれはそうに違いない。「だから普段から声を磨けば相手からの信頼度も上がる」と言う結論になっている。まぁ、これも一理あるかもしれないが、本質的では全くない。むしろ「相手の声によって認識を誤ってしまう場合がよくあるので、気を付けることが重要」ではないのか。

 怒号によって無理を通される場合や素晴しい講演だったと思い返してみても肝心の内容が何だったのかさっぱり判らない場合もある。逆にぼそぼそとした声なのでその人の話を聞き流していたら、その内容は非常に重要な指摘であり、それに気付かなかったため大きな損害を被ってしまったと言う場合もあるだろう。大抵の場合、自分の主張を通すことよりも他人の話を良く聞く事の方が重要である。他人の話を良く聞けば、その相手は声質に関係なく自分の主張を聞き入れてくれる様になる筈である。声や表情に左右されず話の内容を的確に聞き込む習慣が必要だ。

 件の冊子の記事は発声訓練の専門家とこの冊子の編集者との対談形式になっていた。最初に専門家が「もちろん内容も大切だが、同じ位『声』と『話し方』にも注意を向けて欲しい」と語っている。本当にこんな発言をしたのだろうか。話の内容の方が重要に決まっているではないか。歌や芝居であれば発声方法や語り方は非常に重要である。それらは歌や芝居の内容と同じ様に重要だ。冊子は一般大衆に向けた内容なのである。普通の人々にとって話の内容と声とが同等であることはない。一体何が言いたいのか。

 他人との意思疎通は、話の内容そのもので行っているのであって、声質や声量ではない。いくら声が良くても話が空虚であれば何の意味もない。例え相手が自分の語り口にほれぼれしていても結局自分の言いたい事を正確に理解してもらえなければ、虚しいばかりである。自分の意志は話の内容で伝わるのであって、声はそれを伝える道具なのである。人間というものはそういうものだ。

 それに「内容と同じ位『声』が大事」ならば、何らかの事情で声が出ない、出にくい人はどうすればいいのか。発声の専門家がこんな事を言う筈がない。

*1 20090912 外国人に阿る日本人

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