20061003 双子の順序
双子$${^{*1}}$$またはそれ以上の場合、誰が兄姉になるか。父からは、先に生まれた方が弟妹になると幼少の頃に聞いたことがある。普通に考えれば、出生時刻が早い方が兄姉に決まっている。双子だけその法則が崩れるのは何か変な気がしたが、後から出てきた方が先に腹の中にできた筈だから、そちらの方が兄姉になるという説明だった。
web上で調べてみると「昔はそう言う考え方があったが、今では先に生まれた方が兄姉」と説明している。そして戸籍法では子の氏名の記載順序が出生の順番でなされることになっている$${^{*2}}$$。
昔とはどのくらい昔のことか。既に明治時代には先に生まれた方が兄姉だと政府によって規定されていた。その規定された十二月十三日$${^{*3}}$$を「双子の日」と誰かが勝手に決めているらしい。数々の雑学を集めたサイトには「明治七年十二月十三日に『双生児、三つ子出産の場合は、前産を兄姉と定む』という太政官布告が出た」とある。これを基に双子の日を決めたらしい。
それにしても文語なのか何なのかよく分からぬ法文である。本当にこんな文面で太政官布告が出されたのか。そもそも「双生児」という言葉が明治七年頃にあったのか。しかも「~の場合は」という言い回しも口語的である。特に最後の「定む」というのが取って付けた感じで、如何にも似非文語調だ。
調べてみた$${^{*4}}$$。やはり違う。まず太政官布告ではない。太政官指令$${^{*5}}$$だった。明治政府の太政官(だじょうかん)$${^{*6}}$$とは最高行政機構$${^{*7}}$$のことで、太政官布告は一般民衆に向けた法律のことである。一方、太政官指令とは行政命令$${^{*8}}$$のようなものらしい。
その内容は「第四十八 十一月二日(内務省伺) 凡(およそ)婦女分娩ノ際(さい)稀(まれ)ニ雙子(ふたご)又は三子等ヲ産スル者アリ兄弟姉妹ノ順次定メ方從夾(じゅうらい)民間ニ於テ産婆ノ妄説ニ泥(なづ)ミ前産ヲ弟妹トシ後産ヲ兄姉ト唱フル趣(おもむき)甚(はなはだ)顛倒(てんとう)無稽(むけい)ニ屬(ぞく)シ不都合ニ付今後前産ヲ兄姉トシ後産ヲ弟妹ト定メ可然哉(しかるべきや)$${^{*9}}$$」であった。そしてこの伺い書に対して「(指令)十二月十三日 伺之趣(うかがいのおもむき)前産ノ兒(こ)ヲ以テ兄姉ト定候儀(さだめそうろうぎ)ト可相心得事(あいこころえるべきこと)$${^{*10}}$$」としている(どちらも読み仮名は私が追記)。
果たせるかな「双生児、三つ子出産の場合は、前産を兄姉と定む」という書き方はしていなかった。この様に雰囲気だけを醸し出そうとして「定む」などと中途半端に書いてしまう人が多い点が雑学たる所以だろう。
*1 JapanハSocietyハforハTwinハStudies
*2 戸籍法
*3 12月13日 双子の日 <366日への旅 記念日編 今日は何の日>
*4 日本法令索引〔明治前期編〕
*5 双子又ハ三子等分娩ノ際兄弟姉妹順次ノ儀内務省伺
*6 1-4 太政官制 | 史料にみる日本の近代
*7 インターネット特別展 公文書に見る岩倉使節団
*8 明治太政官期法令の世界
*9 『法令全書』明治7年,内閣官報局,明20-45. 国立国会図書館デジタルコレクション p778 雙子又ハ三子等分娩ノ際兄弟姊妹順次ノ儀內務省伺 1874年
*10 『法令全書』明治7年,内閣官報局,明20-45. 国立国会図書館デジタルコレクション p779 子の稱呼に就て
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