20000720 善い行い
夏目漱石$${^{*1}}$$だったか寺田寅彦$${^{*2}}$$だったかそれとも全く違う人だったか記憶が定かではないが、その人の著作の中で「善行をしたら人に話すべきだ」といったことが書かれていたような気がする。
陰徳を積むという言葉があるが、善いことをしたら大いに語るべきだとというのである。自分の善行を人に話すのは自慢しているような感じがするが、その話を聞かされた方は話自体がよい話なのでさほど自慢話には思えないだろう。
例えば金満家がどこかの施設に寄付をしたという話をしたとする。寄付をする行為自体は自慢話にならないが、寄付が出来る自分の財力などの話をすればそれは自慢話になってしまう。一方、寄付の話を聞いてその人の財力を想像して寄付の話が自慢話に聞こえてしまうのは、聞き手の妬みそのものであるので善行の話をした人の責任ではない。
さて何故、善行を人に話すべきか。善行話しを聞いた人はその話しに感心して自分もその機会があればやろうという気になるというのだ。確かに朝の出勤途中の道端の空き缶を毎日拾いながら駅に行くという話を聞けば、すぐに同じようなことをしてみようとは思わないまでも、目に付いた道端のゴミを拾いたくなるかもしれない。実際に拾わなくても普段は無視してしまうゴミが気になるぐらいの変化はあるだろう。ゴミ拾いという行動にならなくても、少なくとも道にゴミを捨てないという行動に繋がっていくことになる。
つまり「善行話し」はそれを聞いた人に何らかの影響を及ぼし、更に善行を増殖させる機能が有るわけなのである。陰徳もいいが「陽」徳も多くの価値がある。
*1 Search Catalog of the Soseki Collection
*2 寺田寅彦の部屋