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20091027 白旗の少女(2)

 白旗を持って裸足で歩く少女の写真$${^{*1}}$$がある。これは太平洋戦争末期の沖縄において米兵によって撮影された。この写真を初めて見たのは四年前に石垣島に旅行に行った時$${^{*2}}$$であった。玉泉洞と言う鍾乳洞$${^{*3}}$$にある食堂の入り口には白旗を持つ少女の像が置いてあり$${^{*4}}$$、隣にはこの像の基となったその写真と写真が撮影された当時の状況の説明があった。

 その説明には大型の写真機を向けられて本能的に手で顔を覆った$${^{*5}}$$とある。ところがこの白旗を持った少女本人の比嘉富子$${^{*6}}$$氏は「写真機$${^{*7}}$$を武器ではないかと思ったが、敵に向かって笑って死ねという父の言葉を思いだし笑って手を振った」と語っているらしい。当時、氏はわずか六歳だった。六歳にとっての「死」とは何なのか。本能的に生きることしか考えられない六歳にとっての「笑って死ぬ」ことはどういうことだったのか。想像を絶する。

 写真$${^{*1}}$$を改めて良く見ると、顔はぶれている手で殆ど覆われているが、目はしっかりと見開いている$${^{*8}}$$ことが判る。銃弾をかわすために手で顔を覆うのであれば、同時に目をつむる筈である。つまり撮影する米兵に対して六歳の少女が決死で立ち向かっていたのである。凄まじい状況だ。それに相当な覚悟を決めないと手を振ることもできない。

 少女にここまでさせたのは戦争である。戦争はこのような状況を身近にそして簡単に作り出してしまう。戦争を議論するときは、常にそのことを頭に思い浮かべておかなければならない。

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*2 20051101 白旗の少女
*3 沖縄の歴史・文化・自然を体験できる観光施設「おきなわワールド-文化王国・玉泉洞」
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*5 Girl_with_a_white_flag.jpg
*6 白旗の少女 比嘉富子 依光隆 講談社
*7 Anniversary Speed Graphic
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