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20070130 遺構探訪(9)

 篠島の小学校の跡$${^{*1}}$$の後は、美人地蔵を見に行った。「美人地蔵$${^{*2}}$$」とは私の造語である。五年前に篠島に訪れた時にこの「美人地蔵$${^{*3}}$$」を発見した。

 皆にこの「美人地蔵」を見せたくて、鎮座坐(ましま)す現場に連れて行った。出で立ちは少し変わっていたが、美人様はましましていた$${^{*4}}$$。化粧の様子は変わっていなかった$${^{*5}}$$。

 他に遺構はないかと島を逍遥していたら、面白い景色を見つけた$${^{*6}}$$。何の変哲もない錆び付いた鉄管が堤防に放置されているだけだが、何となくこの風景を見たことがある。北斎の「尾州不二見原$${^{*7}}$$」だ。後ろには富士山が見えていない$${^{*8}}$$し、職人も居る訳ではないが、何となく構図がよく似ている。

 うろうろしているうちに島を離れる時刻が迫ってきた。船に乗って知多半島の先端の師崎$${^{*9}}$$に渡るために港に向かった。港の横に公民館の様な施設がある。正面には施設の名前が書いてあるのだが、風雨に晒されたためか篠島の「篠」の字しか残っていない$${^{*10}}$$。しかもその一部が欠けてしまっている。五年前の写真を見ると「篠島$${^{*11}}$$」は完全に残っていた。長引く不況で直す気も起きないのだろうか。

 帰りのフェリーが着いた$${^{*12}}$$。これにて第二次篠島砲台合同調査は終了である。砲台は発見できなかったが、今回の調査で太平洋戦争時の篠島には砲台が構築されなかったということで互いの納得が得られた。十数年もすればたとえ構築された事実があったとしても証言できる人々がすべて物故されてしまうと、永遠に真相が判らなくなってしまうだろう。これで篠島における砲台調査を終了するのは、何やら残念な気もしてくる。砲台がないならないで確固たる証言や証拠が欲しいところである。

 尚、この篠島での二日間について、はっとし氏もweb上で写真付き紀行文を公開している。参照されたい$${^{*13}}$$。

*1 20070129 遺構探訪(8)
*2 20020502 美人地蔵
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*7 Hokusai: Bishu Fujimigahara
*8 20041210 尾州不二見原
*9 観光ボランティアガイド・師崎
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*13 愛知県 篠島 その1

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