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coffin danceで送り出してくれたら。

「coffin dance」をご存じでしょうか。ちょっと前に流行ったアレです。

各種SNSで一度見たことがある人も多いかもしれません。

サングラスをした喪服姿の男性が棺桶を中心にダンスをしながら送り出すという内容で、BGMに流れるEDMと相まって大変シュールに仕上がっています。

私的にはですよ、すっごく羨ましいんですよね。この葬式。

従前の私の「葬式観」といえば、「葬式なんてやらずに私のことは早々に忘れてほしい」というものでした。私なんて大したことのない人間なので、私との記憶なんて持ってるだけ無駄だから、早く忘れてほしい。そういう思想でした。

そんなことを友人とのリモート飲みで話したら、「貴方を知っている人の気持ちの整理のために、葬式はきっと必要なんだよ」と諭されてしまいました。全くその通りです。反論の余地もありませんでした。

そう考えると、むしろ葬式というのは「忘れるため」に必要なのかもしれません。

後日、テレビでとある著名人の葬式が報道されるのを見かけたときに、「遺言に則り、親族だけで執り行われた」という趣旨の言葉が流れてきました。

故人は実際にどのような葬式が執り行われるのかを知る由はありません。それでも故人は残された者に願いを託し、残された者は故人の願いを叶える。ここに「人間」を感じるのです。

結局、「私が死んだとき、私のことを忘れてほしい」という思いには変わりありません。

が、私の身体が動かなくなっても、「どうせ忘れるなら後腐れなく笑って忘れてほしい」という私の思いを汲んでくれる人がいるとすれば、それだけでも十分幸せなのかもしれません。

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