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友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
人をうらやむ気持ちって、常時ではないにしても、みんな持っているのかしら?
特に近しい友達に対しては、本当は持ちたくない感情だ。
一番仲のいい友人が会社で成果を出して部長になっていたり、元同僚の同じく仲のいい友人が転職に成功し、もうすぐ3人目の子供が生まれたり、
なんていうか、自分がうまく歩けていない道を軽やかに歩けているように見える友人たちに、
心のどこかに”うらやましい”という気持ちが、小っちゃいしこりのようにあるんだよな。
そのしこりはいつも気になるところにあるわけじゃないけど、ふとした時にそこにあることに気づくような感じのものだ。
じゃあ、自分は部長になりたいのか?とか、子供をたくさんほしいのか?と問うと、
そういうわけでもきっとないんだろうな、と思う。
少なくとも、日頃の自分はそういったことへの願望がそこまであるわけではない。
それぞれの起こっているコト自体ではなくて、みんな、それぞれが前に進んでいるように見えること、
それに対して、この3年半ほど、立ち止まっている自分のこと。
なんだか、うらやましいというか、置いて行かれているような気持ちになっているのかもしれない。
そして、自分の立ち止まっている場所で、そのまま漫然と時間が過ぎていくことを怖れている。
”理想の人生”みたいなものがあるわけではないけど、このままではいたくない、ということは分かっている。
、、、いつもこういう感情になったときの結論は同じで、「自分の問題だ。」ということ。
思えば、自分が日々前に進んでいたときは、人のことはあまり気になっていなかった。
自分が立ち止まっているから、前に進んでいるように見える人たちを見て、うらやましさやら焦りに似た気持ちが湧いてくることがあるのだろう。
なんて、きっといちいち立ち止まって自分の感情を見つめ直さなくてもいい気もするけど、
引っかかったものに対しては、否定するでもなく、無視するでもなく、
見つめて、受け入れて、また進みたいんだと思う。
自分が変わらないと、きっと見える景色も変わらない気がしている。
ここまで書いてみて、心が落ち着いている自分に気づく。
うらやむ気持ちや、焦りに似た感情は、一過性だったり衝動的なものであることに気づく。
そういう感情に囚われないことが大事な気がする。書くことで、自分の感情を眺めてみて、
捉え方を考えて、受け入れてみる。そうすることで、感情に囚われることからは離れられる気がする。
肝心なことは”自分が何をしてどう生きていくか”だ。