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自由民権運動・・・忘れ去られた議員の使命②

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こんにちは!
「全ての増税に反対」するざっきーです!

前回の記事の続きとなります。


前回のあらすじ

板垣退助らが政府に提出した民選議院設立建白書を契機に、全国各地で議会開設を求める運動や地租軽減を求める運動が広がっていきます。
その結果、1890(明治23)年に国会を開く(国会開設の勅諭)という流れになり、民権派は自由党や立憲改進党といった政党を作り、国会開設に向けた準備を進めていきました。

第一回衆議院議員総選挙・・・日本初の総選挙

1889(明治22)年2月11日大日本帝国憲法が公布されました。
ついに日本初の国会が開かれることになります。

1890(明治23)年7月1日、第一回衆議院議員総選挙が行われます。
選挙の結果、全300議席中、自由党が130名、大成会が79名、立憲改進党が41名、国民自由党が5名、無所属が45名という結果になりました。

自由党と立憲改進党は自由民権運動の流れをくむ政党で民党と呼ばれ、
大成会と国民自由党は政府に近い考えを持つ政党で吏党と呼ばれます。

第一回衆議院議員総選挙は民党が議席の過半数を占め、民党の意見が通るようになりました。

民党と政府の考え

民党は「民力休養・政費節減」を訴えていました。
つまり、減税をし行財政を整理することで、税負担を軽くし、国民の負担を減らそうと考えていました。

対する政府は、清やロシアとの緊張関係を見据えて軍備を拡張するために増税したいと考えていました。

よって、衆議院の過半数を占める民党と政府の対立が激しさを増していきます。

第一回帝国議会

議会での議論

第一議会では、当時の首相である山縣有朋によって演説が行われました。
「国家の独立の道は2つある。1つ目は主権線を守ること。2つ目は利益線を守ることだ。」
主権線とは日本の国境のことで、利益線とは朝鮮半島のことを指します。
つまり、政府は当時の脅威であった清やロシアに日本が侵攻されないために軍事に予算を回そうとしていました。

しかし、民党の考えは「民力休養・政費節減」でした。つまりできるだけ金を使うな!ということでした。
そのため、民党は政府から提出された予算を大幅に削減しようとしました。

自由党内部の裏切り

このように民党が政府の予算を通さなかったため、政府は困り果てました。
そこで政府は、民党である自由党の一部を買収・説得し、予算を成立させました。
こうして第一議会は自由党の一部の裏切りという形で終わることになりました。

第二回帝国議会

第一次松方正義内閣の時、第二議会が開かれました。
政府は軍艦建設費を含む予算案を提出しますが、これの予算案に民党は反対します。
海相の樺山資紀《かばやま すけのり》が「今日の日本があるのは薩長のおかげだろうが!」と言ってしまい、民党から激しい攻撃を受け議会は混乱してしまいます。
民党と妥協できない松方内閣は、初の衆議院解散を行います。

第二回衆議院議員総選挙

第二回衆議院議員総選挙で政府は民党を抑えて過半数を取りたいと考え、大規模な選挙干渉を行います。
政府は全国の警察官を動員し、選挙活動を妨害しました。
その結果、死者25名、負傷者388名を出す事態となってしまいました。
しかし、このような選挙干渉を受けても民党が勝利する結果となりました。

第三回帝国議会

民党は選挙干渉を行った政府を激しく攻撃します。
その結果、第一次松方内閣は選挙干渉の責任を取り総辞職することとなりました。
次に成立したのが、第二次伊藤内閣でした。

第四回帝国議会

政府は新しく軍艦を作ろうとしていたため、予算案に新規軍艦建造費用を盛り込みます。
しかし、民党は政府の出した予算案を大幅に削減しようとします。
このままでは埒があかないと思った伊藤博文は明治天皇を動かすことにします。

明治天皇に「宮廷の費用を節約したり、役人の給与を減らして、そこで浮いたお金を軍艦の建造費にあてるから、議会も政府に協力してほしい。」という文書を出してもらいました。(和衷協同の詔書)
これにより民党は妥協し予算案は成立することとなりました。

民党の「民力休養・政費節減」という姿勢が増税をさせずに、政府に節約させ軍艦を作らせるという結果に至ったのでした。

まとめ

今回は国会が開設されて初期の頃の議会の様子を見てきました。
当時は安全保障が課題になっており、明治政府は増税して軍事費を賄おうとしていましたが、民党の議員たちは増税を強固に拒否し続けたため、結果的に第四議会で増税せずに軍艦を作らせることになったのだと思います。

現在も安全保障が課題になっており、防衛費確保のため増税の話が出るなど明治の頃の議論と同じような展開になってきています。
防衛増税を導入させないためにも、初期議会の議論は参考になると思います。

次回は、当初は減税を訴えていた議員たちが、増税議員に変節していく様子を見てみたいと思います。

参考文献

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