#74 結局は両立していくしかないのだ
普段はあり得ないが、コロナ禍で在宅をもらえている今一週間程度を過ごしていて、公募やその他やりたかったことが進まなかったわけではないが、再三思ってしまった。通常勤務の疲労の中でこれをやれるようにならなくちゃいけない、のだと。
在宅しているとストレスがかからないので開放的になり、ずっと自分を律するのが難しい故、時間はあるけどやっぱり上手く進まない。自分という人間の甘さばかりが目に付いて結局また苦しくなった。
ずしりと肩にのしかかる疲れと仲良くして、やっぱり努力していくしかないのだ。頭を痛めるストレスとか、不満とか、逆に自分が全ていけなくて落ち込む夜をすべて持ったまま、こうやって今しているみたいにPCの前に座り続けるしかないのだ。
私が会いたい私、なりたい私、掴みたい私のためにできることの最大が、それだった。
両立って本当に難しい。本当にしんどい。
仕事は本当に疲れるものだ。だって8時間も身を拘束される。疲れないわけがない。あたりがすっかり暗くなって、それからようやく自分のために時間を使える。
今月前半のやられっぷりは凄くて、一つ前に書いた現最推しを眺めることしかできなかった。ご飯を食べて推しを眺めてお風呂に入って推しを眺めて、寝るみたいな生産性ゼロの夜をいくつも越えた。
これまでも私は怠惰な人間で、沢山時間があったはずの大学生のうちはほぼ公募なんて出せずに過ごしてしまった。だから公募を4つも出した去年の社会人1年目は最近の私の中で一番努力していたと思う。でもそれも結局、ステイホームで社会人なのに時間のある中でめちゃくちゃに焦った結果だなと思う。
大事なのはこれから。いつも通りに戻った世界で自分が自分を今までと違う自分にできるかどうかが問われている。
いつも頭を過ってしまう思いは「みんなより全然頑張って生きてる」みたいな子供のような自尊心で、本当にゴミ箱に捨てたい。
「成功しなきゃ、ここから上がらなきゃと毎日焦る心と生きてるんだ。みんなより背負ってるものが重いんだ。辛いし、これでもすごいよ頑張ってるよ!」みたいに子供が怠ける自分の味方に付くことが多くて、そういうのがいかんのだよ。
書くという行為は本当にどこまでも思考の海に沈んでいく。
考えすぎてすぐにとても孤独になってしまう。
それでも私はPCの前を逃げてはいけない。
上手く書けるようになるまで呪いにかかったみたいに座り続けていなくてはいけない。それが私が11歳の時に自分に課した夢というものであり、呪いであり希望であり、そしてすべてだ。
今の会社に就職が決まったときに「夢はもういいのか」と聞く人があまりにも多くて嫌だった気持ちを思い出す。
皆は「ゴール」のように思っていても私には「スタート」だった。遥かなる道のスタートラインでしかなかった。
もちろんとっても嬉しかったし、今でも会社にとても感謝しているけど。
「夢はあきらめたのか?」という質問はあまりにも愚直というか、そんなすぐ捨てられるものはハナから夢ではない。
ただ日差しを見るときも、上司に怒られているときも、疲れた体をソファに沈めて動けない時も、恋人と口づけをするときも、ずっとずっとずっと全身の血に流れ出している決意のことを夢と呼ぶわけで、夢を諦めるのは私にとって死に近いことだよ。
だからいつもこうやってウジウジ悩む。
前進できない憎らしい怠惰な自分を見つけては苦しむ。
それでもすぐには変われないこと、今まで自分と向き合ってきてよく理解もしている。
とにかく今は今やれることをやります。
それは公募であるわけだが…。
あと少しで通常勤務に戻りますので、それからは両立のために意識を高めていきます。そしてその進捗をまた書きますね。
でも負荷のかかることをしているとどうしても糖分に逃げがちで、そことも向き合わないとなあ。人間って頑張らなきゃいけないことマジで多すぎ。ぴえん。。。
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