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#24 人間の耐えられない矛盾

大前提として、私はめちゃくちゃ怠惰な人間である。
年相応に携帯を弄る時間は長いし、睡眠は何よりも好きなことだし、最近は無人島の開拓も始めてしまった。いくら時間があっても全然足りないくらいの怠け者である。

一方で中学受験のあたりから毎日TO DOを作る習慣が身についてしまった。
怠惰な人間がTO DOなんて作るとどうなるか。
毎日次の日に回される膨大なタスクと対峙することになる。

意識に自分の成熟が追いつかない人間の耐えられない矛盾、圧倒的な解離。
随分前から私は毎日私に期待しては幻滅して自己肯定感を下げ続けてきた。

「最初から10割を自分に求めちゃダメだよ。8割の努力から始めなさい」
社会人になるにあたって父親からの言葉はこうだった。やっぱり子供をよくみているよなと変に感心してしまう言葉だった。

自分を発信しやすくなった現代、他の人の発信するものを見る度に私は「この努力を見て!」と言われているような気持ちになる。
承認欲求というものの強烈さは分かる。以前にも書いたが私は人生で褒められ続けた唯一のことが「書くこと」だったので、こうやって承認してくれ!とnoteを書くのだから、もちろん良く分かっているのだ。

ただ努力ってそんなに声高々に言えるものだっけ?とは思う。
そもそも自慢してしまう努力って多分大した努力じゃないじゃん、っていうダークな私が顔を覗かせる。というのも私が大切にして居る言葉が二つあって、一つは前にも触れた立川談志師匠の「現実はいつも正解だ」。そしてもう一つは、大野智さんという誰もが知るスーパーウルトラナショナルアイドルのこの言葉だ。(確か大野くんの言葉だったと記憶してるが自信がない…)

「本当に頑張っている人は自分が頑張っていることにすら気付かない」

逐一これを頑張ってこうなりました!みたいに小さい努力を見せるのに何の意味があるんだろうと、こう思うから自分に幻滅するのだ。
(例えば大学では学生演劇の世界に身を置いていたけれど、知り合いしか見にこないカンパ金制の公演を重ねて何の意味があるのだろうと思う質だったので長くは続かなかった)
毎日もっと頑張らなきゃとしか思わず22まで来た。
だからある意味、今のこの個人レベルの発信が当たり前になった世の中は余計に私の首を締めて肯定度を下げていく。

会社名を言う言わないの攻防を続けていたときに感じたギャップもこれだ。
他人からみた私を纏う「現実」は確かに努力した人のそれで、「すごい」になるのかも知れなかった。でも私からみた私はその現実があってもなお、怠惰でない人間にすら成長していない。
ただ「場所」を得ただけであって、それを使って何か人を楽しませて初めて「すごい」ではないのか…と。

テレビドラマを書く人になりたければ尚更だ。
仕事と両立して売れっ子までのし上がろうとしているのに会社員の身で有限な時間を上手く扱えもしない…。

昨夜はお腹が締め付けられるように痛く、女の運命を呪っていたのだけれど、そういう体がキツイ夜ですら未来から逆算した時間の少なさに対する自分の現在の情けなさに泣きたくなっていた。

人間は一生自分に満足出来ず、それが人生だと言うけれど、私はちょっと異常だ。

状況はまだまだ悪くなるね。なるべく天気の良い日は陽にあたりに行き光合成をする。あとはカネコアヤノちゃんの「サマーバケーション」の一節を口ずさんで自分を勇気付ける。

夏が終わる頃には 全部が良くなる

皆さんは朝起きてベッドメイクが出来ただけで自分をしっかり褒めてくださいね。自己肯定感と精神の健康は密接に繋がっていると、日々思いますので。

駆け出しですが、働きながら書き手を目指しています。コンテンツを気に入って頂けたら、是非サポートお願いします。創作の糧にさせて頂きます!