#5 どうか分かりやすい愛を

 人を選ぶ時、見た目を見ない人はいないだろう、という当たり前の事実が私に重苦しくのしかかっていると感じる最近。それは悪気のないからかいが生む感情であり、私の気にしすぎと言えば気にしすぎであり、尚且つのところ、心の闇と言えば心の闇である。

 去年とてつもない美人と仲良くなってから、その人と一緒にいることが多くなり、必然的に劣等感という感情が増した。私自身は自分の容姿は割と好きだが、それが周りの人間にも同じことが言えるとは元から思っていなかった。なのにそこに、からかいなのか本心なのか、直接の言葉で「あの人と張り合えると思うんですか?」と来る。そりゃあそうだよなと思いながら、横に立つだけで何故私がわざわざ下のレッテルを貼られるのか…と、むやみやたらに気分が落ち込むことが増えてしまったのだ。

 そうして拗らせた心が私に強く蓋をし、恋愛になるとめっきり自信が無くなった。そんな時に今度は「拗らせすぎだ」と指摘を受ける。もう訳が分からない。私を閉じ込めた世間の目がまだ私を圧迫する。ここで「私は私」と割り切れない私なのに。

 楽しかったけど疲れただとか、落ち込んだとか。人といるとそんなことばかりである。「気にしてもらってるんだよ」とか「愛されてるんだよ」とか言われても、何ですかねその言葉のおべっかは。となってしまった。昨日は…。

 恋愛をしたい、そんな気がすると口にはしてみるものの、本当にそうなんでしょうか。私は常に寂しいだけで恋愛には全く向いてない気がする。

 枝毛が増えるのと同じ加速度で自分への自信がなくなり、自分を嫌いになってゆく。セミロング以上は長くないと可愛くいれないと思い込んでいるけど、もうばっさり切っちゃおうかな…。なんなら可愛くなんている必要ないし。

 今月は思いのほかプロットが褒められたり、本読み台本に選ばれたり…。脚本修行の方が進んだかのように思えていた。それが本来のあるべき姿だ。。。苦しいこととはなるべく距離を取っていたい。それは物理的にもだし、精神的にも。何よりも最も脚本が苦しい生活の中に身を置いてるのだから。

 ああ来年こそ、愛されたいです。神様。もっと分かりやすい愛を。

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