#35 東京から抜け出せなかった夜のこと
高校三年生の12月くらい。最後の模試の判定が出て、第一志望の判定が2個くらい落っこちて、口内炎も酷いしもう無理だ、何もかも嫌だと思って。
親には予備校に行くと告げ、そのまま駅には行かず、行くあてもなく歩いた夜がある。東京から本気で歩いて抜け出そうと思った。
こんなに強く一歩ずつ歩けるなら、夢じゃないと思った。
当時好きだった音楽を流したipodを握りしめて歩いた。
沢山のサラリーマンとすれ違ってそこが霞ヶ関だったのだと気付いた。
今からこの無機質な大人の世界に行くために、胃をきりきりさせながら机に向かっているのかとそこで愕然とした。
頭の上を高速道路が通っていて、轟音がしていた。
しばらくして立派な国会議事堂が見えて、「もう帰ろう」と思った。
運動不足の足はそれまでの道を経てもうクタクタだった。
高三の私はまだ美大を考えていて、今でこそ選んだ道は間違い無いと思えるけど、当時は沢山葛藤していた。特に第一志望の偏差値は70を超えている名門で、周りの大人に捲し立てられるように志望校に入れたのでモヤモヤしていた。
確かに学力至上のこの世では周りの大人が正しかったのだけれど。
そして結局偏差値65くらいの第二志望校(名門。感謝してる。)に通うことになった。
予備校では沢山の教師に気遣ってもらった。
昔から教師に気に入られるのは長けているというか…年齢の離れた大人と仲良くするのが得意だったのでクラスメイトの中でもかなり気にかけてもらっていたと思う。センター後に英語教師に褒められたときは嬉しかったな。
何が言いたいというわけではないけど、
今週末、少しどこかに行きたくなって、色々と想定して親友に声をかけたのに靡いてもらえず…あと誰を誘えばいいやらてんで浮かんでこない。
会いたい人はもちろんいるけど、色んな制約でうまくいかないことも多いのだ。
今年に入ってもう半期終わるらしい。
気持ちに区切りがついて、まだモヤモヤも残っているけど、夢について考え始めたり前向きになっている。
誰しもが自分に精一杯だ。その中で深まれば深まるほどすれ違うのは当然だ。
夢を打ち明けるときに感動してくれる人、やっぱりこちらも感動する。
馬鹿にしたり引いたりしないんだって思って泣きそうになる。
別に私の背負うもの全てを理解しなくていいし、私は書くといっぱい正直だから「悲しい」とよく言うけど、それだっていちいち真に受ける必要もない。
目の前にいる生身の私が正解で、それ以上を知ろうとしなくたっていい。
私が知って欲しいときは態度に出るから自ずから知るさ。
人は平等に孤独で、抱き合っても埋まらない。
抱き合った質感や温度は業の感覚を紛らわすだけで根本解決は絶対にしない。それぞれに地に足をつけること、それが大事で、私は今それを学ぼうと思う。
生きた年数が正解で下は上にとんでもない迷惑をバンバンかけるといいと思う。私がそれを盾に年上に迷惑をかけまくってやろうとか思うわけではない笑
単純に下のみんなに苦しみを聞くときはそう思う、というだけ。
私はもっと自分本位になりたいよ!
これを読む人が私を知るわけじゃないし、伝え切るのが難しいけど、他人から物凄い「自分本位」を感じるときはあっても自分が「自分本位」を行使できたと思う瞬間は本当にない。相手の顔色、反応、見て見て見まくっている。
自粛解除といえど感染者数は増えたり減ったりで、どこまで人に会いにいっていいんでしょうか。ほっとくと私めっちゃ会いに行っちゃうけど、やばいんよな?
都知事も首相も、急にもう大丈夫みたいな態度を取るので戸惑ってしまう。
東京に今日も囚われている。
駆け出しですが、働きながら書き手を目指しています。コンテンツを気に入って頂けたら、是非サポートお願いします。創作の糧にさせて頂きます!