#13 悔しくて泣き枯らした日

11歳から脚本家になりたい私は、16歳の時に「脚本なんて誰でも書けるのに大袈裟でしょ」と同級生に言われて悔し過ぎて膝から崩れ落ち床を叩いて泣いたことがある。

あまりにも悔しかった。

私が24になった今も満足に書けないものを、誰でも書けると言い放ちやがったのである。(言葉遣いごめんなさい)
わわ。悔しさが蘇って今もちょっと泣いちゃった。

相手も16歳。勿論悪気なんぞ無かったことは分かっている。けれども、私は一生その言葉を忘れられないだろう。

その時私は高校1年生で、学芸会の脚本を担当していた。当時大人気であった「るろうに剣心」の舞台化をする、しかも40分(?)の尺感で、というなかなかの無理難題と向き合っていた。

そんな時、何故だったか本当によくは覚えてないんだけど、脚本を大幅に変えたいと言う話が私の知らないところで持ち上がっていた。
それで私は「そんなに変えたいなら変えるのは構わないけど、私は脚本担当から外れるから全く別の脚本にしてね」とその子に言ったのだ。その時に言い放たれた言葉だった。

確かに私も、大層なプライドを持ち、つまらない強情を張った自覚もあった。
でもその言葉は当時の私の心の真ん中を綺麗に抉った。今でもその傷は深い。
悔しくて悔しくて堪らないから絶対にいつか大河ドラマを書いてお前に見せつけてやる、と思って今を頑張っている。

結局学年内では脚本が変わったことは誰も特に気に留めず、当時人気だった男の子っぽい女の子が剣心役として立ち回りをし、きゃーきゃー騒げればそれで良さそうであった。(女子校です)
私はその時、深い孤独の底に落とされたような感覚でじっと舞台を観ていた。
この人生で一二を争う絶望の中にいた。
思春期の刃たちに、吊し上げられた感覚...。

とにかく私の学年はるろうに剣心のファンが多く、その題材をやれたこと自体が伝説的な扱いになって、一位も取れなかったのに卒業までそれは語り継がれた。
次の年、私が書いたオリジナル劇で一位をとったことはなかったかのようだった。
一生涯、忘れられない悔しさと絶望感。 

大幅につまらなくなった(主観と負け惜しみです、ごめんなさい)脚本で上演が続く舞台の上の「るろうに剣心」を見ながら絶望し過ぎて灰となっていた私の真後ろで、高2の先輩が「去年良かったからめっちゃ危機感持ってたのにそうでもないね」と呟いたことだけが当時一縷の光であった。

中3の「天使にラブソングを」の舞台化は私が書いていたので。

今夜、不意に思い出した。
何があったわけじゃないけど。
膝から崩れ落ちて号泣し、しばらく涙が止まらず、動けなくなったことはあの日が最初で最後だった。
心臓の奥底から悔しくて、泣き枯らした喉から血が出てくるかと思った程だった。

それほどに私がこの人生に脚本しかないと言うことである。

と言うことで、頼むから私に振り向いてくれ!脚本!!!
今日も冷たい。うまく書けないので苦しみ励む日々は続いていく。

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