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生きるの難しい

日も長くなってきた今日この頃、春が近づいているとはいえまだまだ寒い。冬の暗くて寒くて頬をつんざくような空気は人の心を陰鬱にさせる。例外なく私も冬の空気に晒されて鬱々とした気分をここ最近抱えている。朝は布団から出られず「うう…」と唸りながらスマホのアラームを止めて二度寝に入る。そして起きるのは正午、軽く絶望して適当に冷蔵庫にある余り物を胃に入れ、また寝に戻るというのを昨年11月の卒論を書いている時から続けている。

自分がうつになったのはいつ頃だろう。おそらく高1の夏休み明けからだろう。私はオケの人間関係のしがらみがとても苦手だった。ただ楽しく音楽をやっていたかった。今ではそれはただの甘えでしかなかったと思っている。だが、その頃の私はオケから逃げたくて夏休みの間アメリカに留学していた。
夏休み明け、オケの合宿に参加できなかった私は様々な人から非難された。それはストレスで倒れて入院するほどに。オケを辞めようと決心した。そこからオーボエを3年吹かなかった。見るのも聴くのも嫌だった。そこから1年ほどかけて帰宅部をしながら精神衛生を改善していった。

高2は塾の日本史講師のパワハラとセクハラで精神を病み、塾と学校で同じクラスだった同級生に「お前が悪い」と言われ続けて、最終的に不登校気味になってしまった。親は私の東大進学を期待していたこともあり、家にも安息はなかった。この頃には確実にうつになっていたと思う。通院したかったが、親が精神科をよく思っていなかったため行かせてもらえなかった。ストレスが爆発したのが高3の8月。発狂してしまい、自傷も止まらず、大学進学だけでなく高校通学、生きることすら諦めようとした。結局現役進学は諦め、精神衛生を改善させることに集中して、残りの高校生活と浪人生活を楽しんだ。高校自体は最終的に楽しく卒業できたし、良かったと思っている。

次にうつが悪化したのは2019年の夏である。その年はドイツ留学に向けて勉強に力を入れていたし、サークルでも仕事を請け負っていたため、もともと精神的な負担が大きかった。そんな中、ストレスが限界に達し、大学の最寄駅で線路に飛び込もうとして躊躇し、やっと自分の金で精神科に通院するようになった。そこから治療を経て少しずつ回復していった。そうして大学生活を続けていった。

そして去年。院試と卒論があるため精神的に病むことは目に見えていたので、今までの経験を踏まえて対処はしていたが、大学教員との衝突や卒論執筆の難航で精神を再び病んでしまった。男女交際でも病んだし、サークルのトラブルでも病んだ。限界だった。そして今に至る。

うつというより双極性障害ではないかと思っていて、躁状態の時はアイデアがたくさん思いついたり、楽器の練習に精を出したりするが、一方でクレカを使いこんだりしてしまう。今絶賛金欠かつ支払い地獄だ。だが働く気力が湧かなくて塾講師のバイトも休職してしまい、なんとか貯金を切り崩して生活している。音楽に対するモチベーションも0で全然練習できていない。

生きるのって難しすぎる。私がこの世に存在していなくても世界は回るし、代替可能なポジションである。誰かに必要とされるほど自分に存在価値があるとは思えない。それならいなくてもいいんじゃないか。家族は悲しむだろうけど、多くの人は私が消えても忘れてしまうだろう。それに、私の命は私のものなんだから、私がどうこうしようと自由じゃないか。そういうことを高1くらいからずっと考えている。自傷はやめたが、自分の生を縮めたくて、現実から逃げたくて、常にタバコを吸いながら精神を保っている。1週間で1カートン吸っていた時には流石に引いた。タバコは金が無くなるが裏切らない。

もっと器用に生きられたら良かった。本当は研究も仕事も音楽も全部打ち込んで完璧にしたかった。そんなことはできない。どんなに足掻いても自分の理想には近づけないし、かと言って今の私は気持ち悪すぎる。親や恋人、友人が助けてくれるわけではない。最終的には自分でどうにかしなければならない。これから私はどうなっていくんだろうか。生きるのは辛いけど、やるべきことはたくさんあるし、この前の飲み会で少しメンタルが回復したので、まずは目の前のできることを少しずつ片付けていこうと思う。

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