革ジャケットと私
春と梅雨の間に入り、春夏用のジャケットを着ないで職場に向かう日が増えた。それゆえか風邪を引いたようで初めて仕事を休んだ。(今年に入ってから気をつけていても体調を崩すことが増えたなと実感してる。)一昨日から寝まくったおかげで倦怠感は無いものの頭が痛いから部屋から出て下のリビングに降りてきた。明日から仕事を頑張らないとな。
1週間の社会人生活で満員電車の中やオフィス街を歩いてくれた革靴に感謝しながらシューケアセットを取り出して埃をブラシで落として、クリーム諸々を塗って、最後に布で磨き上げる。ビジネスマンは靴と時計を見るから何時も綺麗に。昔、父からそのように言われて育ってきた。実際、役員の方や役職が高い方と靴と腕時計の話をする機会があったので、案外父の教えというのは間違っていないようだ。
高校生から革好きな人は少ないし私の場合は革ジャンが自身の鎧であるから定期的に手入れをしている。今日は革製品と私の関係性について話そうと思う。
革製品が好きになったきっかけは、大人になれた気がするのと関わりの薄い父と革ジャンを通じてお話しするようになったからだ。高校時代に私は1年間カナダに留学していたわけなんだが、帰国後間も無くお付き合いしていた女性に電話でいきなり振られてしまった。遠距離恋愛がうまくいったかと思ったが、帰国後会っても余所余所しく自分も足掻けるだけ足掻いたが、ダメであった。(数年後、大学生になり元カノと共通の友人と飲みに行った際に浮気をしていたようだとうっかり口を滑らせた彼女に事情を聞いた笑えないオチであった。)
彼女に振られた次の日に父と買い物に出かけた時にお店で買ってもらった黒い革ジャン。米国製だからSサイズでも少しサイズが大きいが着ていると少し大人びた感じがしたのを覚えている。(今振り返ると単純だなぁとも思う。)
また、年頃やいままでの確執があって両親との関係もあんまり上手くいっていなかった。革ジャンを買ってもらってから数か月後、夜中に喉が渇いて下に降りたらリビングで父がテレビを見ていた。それを横目に見ながら水を飲んで自室に戻ろうとした時、「・・・革ジャン。」と父が言って私が「何?」と返したら、「手入れの仕方教えてなかった。週末に教えるよ。」そう告げられた。週末になって一通りの手入れの仕方を教えてもらい、それ以来、父と革の話を含めて少しずつお話しするようになった。思い返すと初めて買ってもらった革ジャケットが父と話す機会を与えてくれたと思っている。大学生になってから自分でアルバイトをするようになり、2着新しく迎え入れたが、やはり初めて買って貰った革ジャケットは特別な思入れがある。(6年間着ていてその間色んな場所に一緒に行ったわけでより愛着が湧いて大切に今でも着ている。)
2点目が自分のパーソナリティに関係しているかと考えられる。私は基本的に臆病である。自分から人と関わりに行かない。裏切られることや疎遠になり深く傷ついた経験が度々あった。拠り所を無くした私の新しい依存先というのが、
「きちんと手入れをすれば長年共にいられる革ジャケット」
になってしまった。
恋愛をする以上はいつか来る別れを覚悟しなくてはならないが、それができていなかった。好きであったから離れたくない、どうすればいいのかと分からないなりにあがいたが残念ながら駄目であった。17歳にしてエスプレッソのような苦い失恋をした私は依存体質であると自覚している節があり、空虚な気持ちの拠り所が人から革ジャケットへ変わったと考えられる。この経験からより臆病になり人との別れが苦手となった。だからこそ深い関係を構築せずに曖昧な距離感をとっておくで自身が傷つかないように最大の防衛術としている。いつか別れたり裏切られるような人間関係よりかは黙って一緒に色んなところに一緒に出かけて、丁寧に手入れをすれば一緒にいてくれる革ジャケットであったり革製品の方が長く一緒に居てくれる安心感があって自身を守る鎧として機能している。革ジャケットを持つようになってから6年、再度別れを経験したがやはり自身を守る鎧という役割は変わらず、私自身の歪な依存なのであろう。
高校時代に学校帰り公園でドクターペッパーやカップ麺を啜って軽口を叩きあった彼や中学時代3年間同じクラスで高校は所属系統が変わったものの定期的に恋愛相談や他愛無い話をして元カノが浮気をしていたとカミングアウトした女友達も、多くの人と疎遠になってしまった。その中でも定期的に会う友人がいて、そのうちの一人に「筆者って洋画主人公みたいに革ジャン着ているから待ち合わせの時見つけやすくて助かるわー。」と言われたことがある。また、趣味が革製品を磨くことと自己紹介したところ同期の子たちから「筆者君って背が高いし細身だから革ジャン似合いそう!見てみたい」と言われたもした。(素直に嬉しいけどね)
そんなわけで私にとっての革ジャンというのは長年手入れすればそのぶん長く居てくれる嫌なことや怖い事から守ってくれる鎧でありひいては私のアイデンティティの一部である。依存体質であるが人の事を信用しないで傷つけている人である私はいつになったら自身を守るために着ている鎧は鎧では無くなってファッションアイテムになるのだろうか。少なくともまだまだ先の話だろう。
2024年6月2日執筆