おばちゃんの話
仕事がある平日の朝、いつも通り6:30に起きてワードローブの中にある白いワイシャツを手に取った時にこのシャツを買ってもらった人のことを思い出した。今から3年前の祖母の姉のことだ。(私は物の持ちが良すぎる部類らしく、服を全く買わない。年に1-2着ぐらい買ってそれを長年使っている。)
いつも私はおばちゃんと呼ぶのでここでもおばちゃんと書くが、私が覚えている限り小さい時から独り身であった。旦那さんがいるものか、居て先に旅立たれてしまったのだろうと思っていたが、どうやらおばちゃんの祖母(私から見てひいひいおばあちゃん)の世話をしていて恋愛も程々に結婚しなかったというのを今年 入って祖母から聞いた。
そんなおばちゃんだが、私が中学生あたりから認知症が進んでいた。毎年正月に祖父母の家に行くとおばちゃんも伯父の送迎で遊びにやってくる。その時は私の事を覚えていた。高校1年の夏に私が留学でカナダに派遣される前に家に遊びに行った際にも私の事を覚えており、「こんな若いのに外国に行くなんて。何かと入り用だと思うからこれを外貨に変えなさい」とお金を貰った。高校生の私でも年金制度について分かっているから私のせいで生活が苦しくなってしまったら申し訳ないと思って断ったが、私はこう見えて金持ちなのよとあしらわれてしまった。家に帰って封筒の封を開けたら3万円も入っていた。だから日本に帰国する前にカナダのお土産を買えるだけ買った。それが私にできるお返しだと思ったからだ。
本格的に認知症が進んだなと思ったのは大学入ってからだ。大学初めての冬休み、お正月におばちゃんはやってきた。だけど私の事を覚えていない。おばちゃんの認識では私は祖父母の家の近所の子供ということになっていた。認知症になると人のことを覚えていないのは本当のようだ。自分の血縁に近い人は覚えているようで私は切り離されてしまったのだなと軽いショックを受けたのを覚えている。
〇〇(母)の息子だと説明すると、どうやら私の母親は覚えている。だけど私の母はおばちゃんの中で20歳で止まっていた。(そうすると確かにおばちゃんからすると私の存在は知らない人になる。)今の元号について聞いてみたり、どんなお仕事をおばちゃんがしていたのか等聞いてみたところ自分のことは覚えていなく、地理や元号などの一般常識は答えられていた。中々興味深いなぁと思いながら大学のレポートをパソコンで書いていたら、パソコンに興味を持ち始めた。以前、おばちゃんの家に行った時には確かにパソコンは無かった。だから知らないのかもしれないと思って、ワープロが進化したやつだよと答えたら、タイプライター?とおばちゃんが聞いてきたから確かにそうとも言えるね。タイプライターが進化したのがパソコンだよと答えた。さっきまで自分の職業を思い出せなかったおばちゃんが自分はタイピストしていて、自衛隊や米軍の人と仕事をしていたと言い出した。驚いた私は祖母に確認したところおばちゃんの職歴はあっていた。
つまり、認知症の人が自分が今まで日常的に使っていたものをみたり触れたりすることで一時的に記憶が戻ると本で見たことあるが私は目の当たりにした。鳥肌がたったのを覚えている。ちなみにおばちゃんの記憶の中で母が20代で止まっていたのは母が一時期アルバイトをするためにおばちゃんの家に住んでいたからなのではないかと帰結した。
そんなおばちゃん、昨年の秋から東京から離れた施設に入居したとのことだ。おそらくもう会えないのだろうなと私が行ったとしても私のことは覚えていないだろう。小さい時に可愛がってくれたし、パソコンを打っている時の私の手を見て、綺麗な手だねと褒めてくれたのも全部全部忘れてしまったのだろう。そう考えると悲しい。
昨年、祖母の妹夫婦が病気で亡くなったそうだ。どちらが先に亡くなったかは覚えていないが、お葬式を終えた数日後にあとを追うように亡くなったそうだ。祖母は向こう側は寂しかったから一緒に来て欲しかったんじゃないのかなという事を言っていて本当にそうならば美しくて尊い夫婦愛だなと思い、誰も居ない家で1人で涙した。
対照的におばちゃんが施設で1人で死んでいくと思うと悲しいなと思う。どんな人生だったのか、生を終える時に良い人生だったと思えるのか、他人の人生なのに私は心配してしまう。
まだまだ23歳の未来ある人間が死ぬ事を考えるのは違うのは分かっているが、自分が生を終える時にそこには愛する人がいるのか、どんな人生だったのかと考えてしまう。
2024年8月8日執筆