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SNS上の野球話に思う
最近加入したFacebookのコミュニティで
デタラメと知ったかぶりで野球史を書く手合が
目について、指摘を重ねたらブロックされた。
他の方の指摘や関連づいたコメントには
「空気を読もう」、「ブロックしますよ」などと
居丈高に振る舞っていたのに、
私には何の反論も切り返しもなかった。
太刀打ちできないとでも思ったのだろうか?
その手合との事の起こりは
オリックス・バファローズの前身、
阪急ブレーブスが1970年前後から強くなった話。
それをトピックに挙げて書いていたが、
情けないぐらい知識と見識が足りない。
阪急で活躍した名選手、ダリル・スペンサーを
まったく無視していたのだ。
知らないなら書くな、という水準である。
スペンサーは考える野球、野球は頭も使う、
ということを教えてくれた日本球界の功労者。
本場で経験したノウハウを惜しみなく伝え、
阪急の野球を変え、渡り合った南海ホークスが
対策を講じ、パ・リーグの野球を変えていった。
阪急の本拠地球場だった西宮球場を見て、
「球場が広すぎる。左中間を狭くしてほしい。」
「そうすれば自分が狙って打つ本塁打が増える」
西本監督もコーチだった青田昇も驚いたというが
実際に阪急は西宮球場の左中間を狭めた。
それが他球団に阪急のしたたかさを感じ取らせ、
動揺し、阪急は相手の自滅による勝利が増えた。
スペンサーの提案が効果を発揮したのだ。
ヤクルト時代の野村克也監督が
「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし」と話したのは有名で、
西武時代の広岡達朗監督は
「1982年にリーグ優勝したときは相手から
勝手に負けた試合が多かった」と話したが、
強くなるチームのコツとして
スペンサーは熟知していたのだろう。
野村監督も広岡監督も他に覇を唱えた監督たちも
手本としたのかもしれない。
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三冠王を争ったこともあった。
日本シリーズで幾度と相まみえた巨人は
スペンサーの動向を探るべく段取りをした。
正捕手の森昌彦(祇晶)は
「ウチは2ストライク0ボールから打たれると
厳罰なんや」とシーズン中にウソを流して、
日本シリーズでは2ストライク0ボールから
スペンサーにストレートを投げて見逃し三振。
見事にスペンサーを騙し討ちした。
相手を苦しめる野球を導入したスペンサーは
Dr.ベースボール(野球博士)の異名があった。
日本野球のレベルを上げた功労者として、
野球殿堂入りをしたっておかしくないと思う。
1試合でシングルヒット、二塁打、三塁打、
本塁打をすべて打つサイクルヒット、
その概念と達成の偉大さを教えたのも
ダリル・スペンサーである。
スペンサーのことは父から聞いて知ったのだが、
きっかけは1980年。私は小学5年生だった。
長嶋茂雄の巨人監督辞任にあたり、
週刊ベースボールが出した特別号を読んだら、
長嶋茂雄との思い出をスペンサーが語っていた。
記事によるとスペンサーは...
「ナガシマのプレイを見るなら入場料を払うよ。
他の選手だったら10円だって払わないよ。」と、
敵の強打者を機知に富む絶賛をしていた。
実力者による機知に富む発言、私は好きである。
当時小学5年生だった私が記事の受け売りで
阪急が強くなった歴史を書いても、
この手合よりうまく書けると思う。
そんな程度なのに50歳の声も近い大人が駄文。
不勉強は黙っているか、お伺いを立てるに留め、
墓穴を掘らないことを心がければいいのに、
一つ覚えで全部知った気分になって、
平気でデタラメを開陳する神経は理解しがたい。
こんな手合が書く文章を鵜呑みにしたり、
一部読者がわかったような口をきくようになる。
噂を信じる視聴者以上にたちが悪い。
書く手合は指摘をしたら反省も考察もせず、
ブロックなどでで逃げて更正しない。
野球ファンや日本をダメにする元凶に感じられ、
考えさせられてしまった。
これを契機に半可通や知ったかぶりが
野球界や観戦などにもたらす影響を
研究してみたくなった。