イエス・キリストも孔子も凡人だった
standfm(スタエフ)でこちらの内容を話してます。
歴史思考。面白い本です。
世界史を俯瞰して思い込みから自分を開放する。
という目的に歴史を思考していく本です。
イエス・キリストの人生
今回は、その中で出来事の良し悪しなんて評価できないというとても共感できた内容について考えてみたいと思います。
内容は、2000年以上に渡って大きな影響力をもたらした偉人であるイエス・キリストと孔子がどんな人生であったかということが紹介されています。
ふたりとも、正直大した人生ではなかった。
イエス・キリストは元大工で30歳辺りからヨハネに弟子入りして、ユダヤ教を布教していく。その布教活動がローマ帝国から脅威と取られ、弟子の裏切りにあって、捕らえられて、処刑されるという人生。
布教活動はたったの3年程度。弟子もたったの12人しかいなかった。
この当時、将来イエス・キリストが偉大な人物になるということを予想できた人はいなかったのではないか?
と言っています。
孔子の人生
孔子は論語などを残した方。儒教の礎を築いた。
孔子は政治家として政府の要職に登用されるものの、戦争に巻き込まれて逃亡生活を70歳まで送る羽目になります。
その後、故郷に戻って、古典の研究に費やして障害を終えたそうです。弟子や息子たちに先に立たれてしまい、絶望の中障害を終えたのだろうと書かれています。
イエス、孔子が計算して、意図的に世界を変えたわけではない
「新約聖書」も「論語」も死後、多くの人の手を通して、間接的に波及していった。
だから、イエスや孔子が計算して意図的に世界を作り変えたわけではない。ものすごく複雑な過程を経て、結果的に世界をひっくり返したと言えると。
だから、ある人のある行為が将来にどのような影響を及ぼすかなんて、誰にもわからない。
と記載されていました。
どう捉えるか?自分の意見を持ち、伝える
納得です。今やっていることを評価するなんておこがましいし、評価したところで正しいか正しくないかは将来判断されるということです。
イエスも孔子も、波紋のきっかけの水滴のような存在なのかなと理解しました。
この二人の共通項は何かと考えた時に、自分なりの考えを自分の言葉として残して、伝えていたこと。それが水滴となって水面に触れて、波紋していったということですよね。
そう考えると、世の中に迎合しない自分の考えをしっかりと言葉として残していくことは重要だなと自分なりに理解しました。
自分の意見を持つという事自体にとても価値のあることだと捉えていいのではないでしょうか?
これだけ誰でも発信できる世界となり、自分の意見を持っていないのはもったいないんじゃないかなぁと思えてきました。
自分が死んだあとに評価されたり、波紋が広がったりするなんて事を想像することは面白いし、やはり真正面で生きていくことが何よりもいいんだなという風に捉えることが出来ました。
これは人にとって捉え方が異なると思います。
ぜひ、歴史思考を読んで、自分なりの考えを持ってみるのはいかがでしょうか?
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