見出し画像

分断と平和の街・ベルファスト

連合王国イギリスを構成する4つの国の一つ、北アイルランド。
唯一グレートブリテン島ではなくアイルランド島に位置するその国はイギリスとアイルランドの間で揺れ動いた歴史を持っている。
今回はその首都であるベルファストを取り上げたい。

ベルファストはこんな街

ベルファスト(Belfast 愛:Béal Feirste)はアイルランド島北部に位置し、都市圏人口約64万人を擁する北アイルランドの首都である。

1922年にアイルランドがイギリスから独立する際、アイルランド32県のうちベルファストを含む北部6県が北アイルランドとしてイギリス連合王国にとどまる選択をしたため、アイルランドは南北に分裂し、ベルファストはその首都となっている。

また、造船業が盛んなことでも知られ、豪華客船タイタニック号が建造された場所としても知られている。

ダブリンからベルファストへ

私がベルファストを訪れたのはセントパトリックデーの翌日であった。

祭りの余韻が残るアイルランド共和国の首都・ダブリンを後に、一行は列車で一路北を目指す。

アイルランドと北アイルランドはパスポートコントロールがなく、これが国際列車であることを意識させることなく国境を超える事ができる。
列車は2時間強でベルファストへと到着した。

まずは市内の中心地を散策する。

ルネサンス様式の市庁舎は20世紀初頭に建設されたベルファストのシンボルともいえる建物だ。

また、同じく中心に位置するセントジョージズマーケットは週末に様々な店が並ぶ。まだ微かにセントパトリックデーの余韻が感じられた。

ベルファストにおける定番の観光コースは大きく3つ存在する。
仕事の関係上、その日の夕方にはベルファストを発たなければならなかった私は、(当時)ベルファスト観光人気No.1にランクづけられていた場所を目指した。

クラムリン通り刑務所(Crumlin Road Gaol)は、19世紀中盤に作られ、四半世紀ほど前まで現役で利用されていた刑務所である。延べ25,000人の受刑者が収容され、17人の死刑が執行された場所である。

1996年に監獄としての役目を終えたのち、2012年以降はベルファスト屈指の観光スポットとなっているのである。
ガイドツアーで中の様子を見学することができる。

独房のあるエリアを歩けば看守のような気分だ。

こうしたエリアだけではなく、死刑が執行されたエリアについても見学に含まれている。絞首刑に実際に使われた首縄が天井から実際に吊るされている様子は、なかなかにインパクトのある画である。
見学は撮影自由であったので、上のような写真を撮影していたのだが、死刑執行エリアだけは、なぜか写真を撮ろうとボタンを押しても、どうしてもシャッターが降りてくれなかった。
その理由は未だに不明である。

ベルファストを分かつ壁

続いて、タクシーを利用した1-2時間のツアーで市内中心地を離れ、住宅地へと向かった。
こうした住宅地にこそ、ベルファストの激動の歴史が刻まれているのである。

1919年から21年にかけて勃発したアイルランド独立戦争の結果、イギリスからアイルランドが独立したが、北アイルランドはイギリス統治下に残ることを選択したことは先述した通りである。

ではなぜ北アイルランドは独立の道を選ばなかったのか?
そこには宗教的背景がある。

イギリスは国王を始め国民の多くがプロテスタントであった一方で、アイルランドはカトリック教徒が多く、主にカトリック教徒を中心とするナショナリスト達がイギリスからの独立を主張し、独立戦争を本格化させ、最終的にはアイルランド自由国としての独立を勝ち取った。

一方で、ベルファストを始めとするアイルランド北部はプロテスタント教徒が多数派であり、イギリスとの連合維持を求めるユニオニストらはアイルランド自由国への統合を望まず、北アイルランドとしてイギリスへの残留を選択したのである。

しかし、アイルランド自由国側は北アイルランドの領有権も主張し、また、北アイルランドにも一定数存在するナショナリストがアイルランドへの編入を求め、禍根を残したままの分裂となった。

この対立は1960年頃から北アイルランド問題としてより本格化し、断続的な武力衝突が起こり、2001年までに3000人を超える死者を出している。

非武装市民においてもそれは例外ではなく、1972年には北アイルランド第2の都市デリー(ロンドンデリー)でデモ行進中の市民がイギリス軍に銃撃され14名の死者を出す「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」が起こっている。

余談だが、アイルランドを代表するロックバンドU2がこの事件について歌った曲が代表曲の1つ「Sunday Bloody Sunday」である。

前置きが長くなってしまったが、ベルファストに住む一般市民においても、カトリック教徒とプロテスタント教徒の間では衝突が絶えず、彼らの居住地を分断し、衝突を抑えるために建てられた壁が各所に存在する。
それが平和の壁(Peace walls)である。

かつて壁がなかった頃は互いの地区に対して火炎瓶が投げ込まれるなどの衝突が絶えなかったそうであり、そうした衝突を抑える役目を持っているため「平和の壁」と呼ばれているのである。
今なお、境界にはゲートが存在し、夜間は締め切られて地区間の移動が不可能な場所もあるそうだ。

壁の付近には多くの壁画が存在し、互いのメッセージが発信されている。

1998年にイギリスとアイルランドの間で交わされた「ベルファスト合意」の結果、アイルランドは北アイルランドの領有権を放棄し、多くの武力組織が武装解除を行ったことで、衝突はほぼ沈静化している。
それによって今では壁も観光名所となっているのだが、衝突は完全に鎮火したわけではなく、今でも定期的に暴動が発生しているそうだ。

北アイルランドでは2023年までに壁をすべて撤去することを目標として計画を進めているが、調査によれば69%の市民が衝突を避けるために壁の存在は必要と考えていることもあり、まだ完全解決には時間を要するかもしれない。

ベルファストのマグネット

ベルファストのマグネットがこちら。

市庁舎とともに描かれているのはタイタニック号である。
タイタニック号がベルファストで製造されたのは先述したとおりだが、ベルファストにはそれを記念したタイタニック博物館があり、そちらも名所の一つとなっている。

出典:Discover Northern Ireland

市民らの争いを避けるために築かれた平和の壁であるが、その壁が歴史的役目を終えて取り払われた時が、本当の意味で平和が訪れる時なのかもしれない。

最後までご覧いただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

zak
いただいたサポートは、新たな旅行記のネタづくりに活用させていただきます。