日本全国どこかに弾丸旅 1.伊勢
「さて、どうしようか。」
少し前の私は、パソコンと向かい合って考えていた。
どうしようか、とは夏休みの予定についてである。
数日を除いて、休みの予定を特に入れることができないでいた。
出来るならば海外へと旅に出たかったのであるが、種々の都合によりそれは叶わなかった。
そうなると俄然計画をする意欲は失せ、特に何も決めないまま季節は夏へと移っていた。
さすがにずっと家にいるのもつまらない。とはいえ、直前だとどこも安くは行かれない。
そんなことをぼんやり考えながら、いよいよ休みも目前に迫っていたとき、ふとある計画が閃いた。
私はJALのマイラーである。以前と比べて乗る機会こそ少なくなったものの、マイルは様々な場面で貯蓄し続けていた。
マイルというものは様々な特典に交換が可能であるが、航空券に交換が可能なことは言うまでもない。
そしてJALには「どこかにマイル」という仕組みがある。
どこかにマイルとは、簡潔に言ってしまえば、
目的地を指定できないかわりに、通常の半分のマイルで旅行ができる
というものである。
いわばリアルぶっとびカードとも言うべき代物である。
行きたいところが見当たらないのであれば、いっそ行先を天に(JALに)任せてみてもいいかもしれない。
そんなことを考えるうち、自然にJALのサイトへとアクセスしていた。
予約
どこかにマイルは行き先を指定できない、と先程述べた。
しかし、全く自分の都合を考慮できないというわけではない。
上のページの通り、発着地(羽田・伊丹・関空・福岡)と合わせて、発着のおおよその時間帯までは指定することができる。
また、時間帯指定なしにしたとしても、往復で最低限の滞在時間は確保されるため、ただ行って帰るだけ、というような鬼畜スケジュールになることもない配慮はなされている。
また、目的地に関しても指定はできないにせよ、候補を絞ることができる。
どういうことかというと、上のページで条件を指定して検索をすると、まず4箇所の目的地の候補が表示される。
候補は検索するたびに変わるため、ある程度は自分の希望を反映させることができるのだ。
なので、検索を繰り返して、ある程度自分の希望に沿った4択になったら申し込めばよいのである。
「どこかにマイル 攻略」などで検索をすれば、様々なサイトで示されているように、航空機のダイヤや空き状況を丁寧に調べれば、ある程度狙って候補を出していくことも可能ではある。
しかし、今回は行き先を天に(JALに)任せたかったので、そういった下調べは一切行わなかった。
ただどうしても避けたかった行き先が候補に入らないようにだけ、検索を繰り返し、申し込みを行った。
南北ほどよく散らばった候補になった。
予約した日程は8月の上旬、夏休みまっ盛かりだったこともあってか、北海道や沖縄・宮古なども南の島が候補に出てくることはなかった。
申し込みを行ってもすぐには結果はわからない。1-3日程度後になって結果が通知される。
翌日の午前中、行き先が決まった旨を知らせるメールがやってきた。
はやる気持ちを抑え、サイトにアクセスしたところ表示された目的地は
中部国際空港だった。
計画
「名古屋か。。。」
私は思わず思った。
確かに名古屋が候補に入っていることは承知していた。
別に名古屋になっても問題はなかった。
しかし、なぜか実際名古屋になるとはあまり考えていなかったフシがあった。
「さて、どうしようか。」
振り出しに戻った。
どうにも今回は名古屋と相性が合わなかった。
抹茶小倉スパゲティや甘口いちごスパゲティなどの奇食で知られる喫茶マウンテンへ行く案がまず思いつかれた。
しかし、私が行く月曜日は定休日であった。
次に、名古屋名物の一つといえば台湾ラーメンアメリカンであるが、
調べてみると名古屋の北にある一宮市に「お茶漬け専門 イタリア料理ニューヨーク」という、いい感じに意味不明な店の存在が確認された。
俄然興味は出てきたものの、こちらも定休日であった。
モチベーションが再度下がり始めた頃、唐突にひらめいた。
そうだ、三重の方に行ったらどうだろうか。
三重県に最後に行ったのは小学校の頃だったか。悪くない。
なにも中部国際空港についたからといって、中部地方に行かなければいけないというルールはないのだ。
台湾ラーメンアメリカンやイタリア料理ニューヨークから私は何を学んでいたというのか。
常識を疑え。
移動
というわけで、中部国際空港へ向かった。
私が中部国際空港へ降り立ったのは7年ぶりのことだった。
イギリスからの一時帰国の際、ロンドン→ヘルシンキ→中部→新千歳というルートが信じられないくらい安かったので、3ヶ月ぶりに踏んだ日本の地はセントレアになった。
まずは、せっかくなので朝食を。
愛知といえばやはりモーニングだろう。空港内のカフェでいただく。
夏休みなこともあって、眼下のチェックインカウンターでは多くの人が列をなしていた。
少し羨ましさを感じつつ、まずは列車で市内へ。
しかし、名古屋はスルーして快速みえに乗り込んだ。
目指すは伊勢である。
一時間半程度の道のりだ。
閑散とした車内で、路線図を眺めながら時間を潰す。
知らない土地の路線図はずっと眺めていられる。
快速や急行の停車情報があるとなお良い。
三河安城って新幹線は止まるのに快速は止まらないんだな、とか、亀山に向かう区間快速って意味あるか?とかいろいろ考えは尽きない。
などと言っているうち、列車は伊勢市駅に到着した。
伊勢といえばやはり伊勢神宮だ。
早速参拝へと向かった。
神宮
伊勢神宮は外宮と内宮からなる。
習わしとしては外宮から、ということでまず外宮に足を運んだ。
外宮は伊勢市駅から5分ほどの場所に位置する。
外宮では、天照大御神の食事を司り、衣食住および産業の守り神である豊受大御神が祀られている。
最も奥に位置するのが正宮だ。
他の神社のように正殿前まで赴く事はできず、かなり手前の御垣の前での参拝となる。
正宮の隣には、正宮とほぼ同じ広さと思われる空き地がある。
これは古殿地とよばれるもので、もともとは社殿があったところである。
伊勢神宮では20年に1度、式年遷宮と呼ばれる社殿のリニューアルが行われるが、その際同じ場所に建て直すのではなく、2つの場所に互い違いに建てていくのである。
つまり次の式年遷宮ではこの場所に新たな社殿が建つことになる。
外宮の参拝を終えて内宮へ。
内宮は駅から遠く、バスで20分程度の距離だ。
内宮(皇大神宮)は、皇室の祖先である天照大御神を祀っている。
内宮の位置する神宮の森は5500haと伊勢市の約1/4の広さを占め、日本の神社の中でも別格の扱いの神社である。
早速中へ。
神社といえばまず手水舎で手を洗い清めるのが一般的である。
ここ伊勢神宮では、傍を流れる五十鈴川の流れで手を清める事ができる。
広大な境内を更に進むと最奥部に正宮が位置する。
外宮と同じく、こちらもかなり離れた場所からの参拝になる。
この正宮には三種の神器の一つである八咫鏡が祀られていると思われる。
ここでは天照大御神に感謝の気持を伝えることが風習とされている。
江戸時代には約60年周期で「お蔭参り」と呼ばれる伊勢神宮への参拝がブームとなり、日本の総人口の10%を超える人数が参拝をしたとされる。
とはいえ当時の庶民にとっての伊勢参りは時間的・金銭的にも多大な負担、あるいは危険を要するものであり、正宮にたどり着いて一生に一度の悲願をようやく達成した暁には、感謝の念を抱かずにはいられなかったことだろう。
横丁
ようやくの参拝を終えた頃には、昼はとうに過ぎていた。
内宮を出てすぐのところにはおかげ横丁が広がっている。
お蔭参りで繁盛したであろう江戸の町並みが再現された家々が並ぶ。
伊勢名物の代表格である、赤福本店もおかげ横丁に位置するが、
空腹を満たすのは、やはり肉だろう。
というわけで、参拝を終えたご褒美に松阪牛をいただくことにした。
地ビールである伊勢角屋麦酒とともにいただく松阪牛は、蒸し暑さからくる疲労感を忘れさせてくれる味わいであった。
帰路
今回の弾丸旅は日帰りである。
日帰りトラベラーに残された時間は少ない。そろそろ帰る時間だ。
ちなみにどこかにマイルは、別に日帰り限定ではないので泊まりの旅を設定することも可能だ。
しかし、そもそもこの時期の宿を確保するのもコストがかかる話であり、せっかくマイル旅をするならば極力金をかけないで済むようにするため、日帰り旅を選択していた。
というわけで、再びJRへと乗り込んだ。
三重県桑名のソウルドリンクだというスマックゴールドを片手に車窓を眺める。
海外メーカー製の炭酸飲料が多く日本に上陸していた1968年に、それに対抗すべく考案・発売されたスマックゴールドは、かつて一斉を風靡して全国発売もされたそうだ。
その後、徐々に衰退して全国的には姿を消したものの、三重では根強く生き残り近年認知度を再び高めているそうだ。
スマックとはスキムミルク炭酸飲料の略とのことで、その名の通りクリームソーダ感のある甘い味わいが口に広がる。
どことなくチェリオみがあるテイストだ。
こうして車内のひとときを過ごして降り立ったのは、津だ。
津の駅からタクシーで10分弱
ここから船でセントレアを目指す。
経営が心配になるほど閑散とした船に揺られること45分。
再び中部国際空港へと帰り着いた。
帰りの飛行機まではまだ少し時間があった。
空港のレストランで夕食を。
ご存知世界の山ちゃんであるが、私は今まで一度も行ったことがなかった。
初山ちゃんは本場名古屋でというのも一興だろう。
最初と最後の食事だけは名古屋に行った感を出して、帳尻を合わせていくスタイルである。
そして再び機上の人となり、遅延した飛行機が羽田空港へ到着したのは22時半を過ぎた頃であった。
どうにも私の度は慌ただしい。
でもこれくらいの弾丸さがあっているのかもしれない。
疲労感に襲われながらも、
「また近いうち同じ旅をするのも悪くない」
そんな事を考えて家路についていた。
最後までご覧いただきありがとうございました。