ブルージュ・水の都と伝説の教師
世界に数多ある水の都。
中でも、特に栄華を極めた中世の色を現代に強く残しているという意味で、水都の魅力を語るにこの街を外すことはできないだろう。
今回は、そんなベルギー北西部の水の都・ブルージュを取り上げたい。
ブルージュはこんな街
ブルージュ(Brugge/ブルッヘ)はベルギー北西部に位置する人口約12万人の都市である。
「橋」を意味するその名の通り水路が張り巡らされたその街は、9世紀ごろに作られた城塞に端を発する。
北海の海岸線からは10kmほど離れているブルージュであるが、12世紀の大津波が街にも到達した際に、街に残された溝を水路・運河として整備したことから、北海への玄関口として西ヨーロッパ最大の貿易港にまで発展を遂げた。
しかしながら15世紀に入り、水路に沈殿した泥によって船舶の運航に支障をきたすようになると、街は衰退し歴史の表舞台からその姿を消してしまう。
だが、それが故に街は中世の面影を色濃く残し続け、19世紀に運河が再生されるとともに、美しい水の都として再び名高い街となったのである。
その中心地はブルージュ歴史地区として世界遺産にも登録されている。
ブルージュへは、首都ブリュッセルから電車で約1時間程度の距離である。
駅から観光の中心地まではさらに歩いて15分ほどの距離だ。
最初は閑静な地方住宅地といった趣の通りを、歩みを進めていく。
しかし、いくつかの水路を越えるうち、徐々に家々に年季が入ってくるのが感じられてくると中心地はもうすぐだ。
観光地らしいゴンドラなども見受けられるようになり、俄然水都の趣が感じられてくる。
そうしてたどり着くのはブルージュの中心、マルクト広場だ。
ギルドハウスが並ぶその姿はいかにも中世の商業都市という雰囲気を今に伝えている。
馬車が道を走る姿も実に様になっている。
そんなマルクト広場でひときわ高くそびえるのが鐘楼だ。
13世紀から建造が開始され、およそ2世紀の時間をかけて建てられた「自由と権力のシンボル」とされるこの鐘楼は、「ベルギーとフランスの鐘楼群」としても世界遺産に登録されており、つまり二重に世界遺産となっていることになる。
そしてそんな鐘楼は上に登ることが可能であり、ブルージュの街並みを見下ろすことができる。
エレベータなど当然あるはずもなく、366段のらせん階段を昇って行こう。
高さ83mの鐘楼に登れば、眼下にはブルージュの街並みと、遠く広がるフランドル平原を一望することができる。
ところで、この建物は鐘楼というだけあって、当然鐘が備え付けられている。
この鐘楼には合わせて47もの鐘が設置されている。
そしてそれをコントロールするのは、このオルゴールのような大掛かりな仕掛けであり、15分に一度その音色を街中に響き渡らせているのだ。
再び地に足をつけて街を見て回ろう。
マルクト広場から歩いて2分程度の距離にあるブルグ広場まで足を延ばすとさらにいくつかの見所がある。
そのうちの一つが聖血礼拝堂だ。
12世紀の十字軍遠征でコンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)から持ち帰ったとされる「聖血の遺物」が祭られた礼拝堂だ。
いかにも血を祀ってます感のある壁画で分かりやすくて良い。
伝説の教師
この記事を書くにあたり改めて写真を見返していて、思い出した1枚の写真があった。
それはそれはちょうど上の聖血礼拝堂の写真の数枚前に撮られていたものである。
建物内の廊下と思われる写真。そして1つの彫刻。
この眼鏡、この髭、そしてこのフォルム。
どう贔屓目に見てもスラムダンクの安西先生の胸像にしか見えない。
たしかにフランスに近く、日本のコミック・アニメーションに多大なる理解を示しているらしいベルギーではあるが、まさかここまでの影響を残しているとは。
思わずシャッターを切ったことが思い出された。
しかし、私がブルージュを訪れたのは10年以上も前のことになってしまった。
この胸像がどこに設置されていたものであったかが思い出せない。
写真のタイムスタンプから推察するに、聖血礼拝堂かそれに極めて近い場所で撮影されたものと思われる。
しかし、教会の廊下とは思い難い壁面である。
安西先生は幻だったのか。
十余年の時を経て、再確認をしてみることにした。
ブルージュ 安西先生 | 検索 |
ターゲットとする姿は見当たらない。
通常の検索でも、めぼしい情報は得られない。
それはニトリに言え。
すこし範囲を広げて
ブルージュ 安西先生 | 検索 |
やはり出ない。
X(Twitter)でも検索してみる。
ブルージュ 安西先生
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出ない。
ベルギー 安西先生
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どうやら聖血礼拝堂に隣接するブルージュ市庁舎にあったもののようである。
市庁舎は14-15世紀ごろに建てられたベルギーでも最も古い市庁舎の1つとされており、当時の港町ブルージュの栄華を感じさせるゴシック建築の市庁舎である。
となると、次に浮かぶ疑問としては「これはいったい誰なのか?」という点である。
これはなかなか難しい。
台座部分に名前などあれば話が早いのだが、台座を写真に収めていないのでどうにもならない。
画像検索でも一致するものは出てこず、目ぼしい情報は得られなかった。
そうなると捜索は困難を極める。
ここまでか。
しかし、私の中の安西先生が試合終了とすることを許してはくれなかった。
さらに探すことしばし。
答えはGoogle mapが教えてくれた。
Achille Van Ackerという男のようである。そのご尊顔がこちら。
たしかに、間違いなくこの男とみてよいだろう。
あるいは安西先生も実在すればこのような風貌なのかもしれない。
このアシル・ファン アッケル(1898-1975)はベルギーの元首相を務めた人物であるようだ。1898年にここブルージュの労働者階級の家庭に生を受けたアッケルは政治の道を志し、ブルージュ市議会議員・下院議員を経て第2次大戦後に首相に就任。
その後計4度内閣を組閣し、労働者の賃金引き上げや週休2日制、年金制度の導入など数々の社会改革を実施し、ベルギー社会保障の父として知られる人物となったそうである。
ベルギーの歴史に重要な役割を果たした元首相がブルージュ出身ともあれば、市庁舎にその功績をたたえる胸像があってもなんら不思議はない、ということだ。
ブルージュのマグネット
ブルージュのマグネットがこちら。
水都ブルージュにふさわしく、鐘楼をはじめとした歴史ある建物を背景に水路を往くゴンドラが描かれた逸品だ。
先述した通り、私がブルージュを訪れてから10年以上の月日が経ってしまっている。
当時街で感じた記憶などは、相当に色褪せ遠のいてしまっているが、それでも記憶に残った安西先生は、ベルギー社会保障の父という新たな発見へと私を導いてくれた。
こういうのがあるから、旅行記はやめられない。
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