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カールマルクスが渋谷に転生した件 33 マルクス、スーパーで迷子になる

マルクス、まだ慣れない

「これは一体、なんということだ...」
マルクスは自動ドアの前で立ち尽くしていた。

「マルクスさん、スーパーマーケットですよ。ただの」
さくらが呆れたように言う。

「ただの、だと?」マルクスの髭が震える。「見たまえ、この商品の洪水を!ブルジョワジーの欲望の結晶!そして、このプラスチックの無駄遣い!西野君が指摘していた環境破壊の...」

「はいはい。とりあえず入りましょう」
さくらが背中を押す。

「むっ」
自動ドアが開くと同時に、マルクスが飛び退く。
「なんという魔術だ!扉が、扉が勝手に!」

「センサーです」さくらが呆れ気味に。「もう何度も来てるじゃないですか」

「しかし!」マルクスは譲らない。「この技術による人間の管理こそが...」

「お客様」店員が声をかける。「通路の妨げになっていますので...」

仕方なく店内に入ったマルクスは、まず案内カウンターへ。
「この、このポイントカードとやらは、何のための?」

「商品を買うとポイントが貯まって...」

「なに!?」マルクスの声が裏返る。「そもそもその分を最初から値引きすれば良いではないか!」

「リピーターを増やすための販促で...」

「ほう」マルクスの目が鋭くなる。「つまり、消費者の購買データを収集しながら、見せかけの特典で消費を煽る、という魂胆か!これぞまさに現代における新たな...」

「マルクスさん、カートを」
さくらが差し出したショッピングカートを、マルクスは疑わしげに観察する。

「この鉄格子の檻のような物は?」

「商品を入れるんです」

「ほう」マルクスは興味深そうにカートを押してみる。「なるほど、労働者の負担を軽減する道具か。これは評価できる...むむ?」

曲がったキャスターのせいで、カートが妙な方向に進み始める。

「おのれ、言うことを聞かんか!」
果物売り場で暴走するカートと格闘するマルクス。周りの客が不審な目で見ている。

「あ、エコバッグも買わないと」さくらが棚を指差す。

「エコ、だと?」マルクスが立ち止まる。「このプラスチックで作られた『エコ』バッグとやらが、どうやって環境に良いというのだ!これこそ欺瞞の...」

「レジ袋が有料なので」

「なに!?」マルクスの髭が激しく震える。「商品を入れる袋にまで課金するとは!資本家どもの強欲さには限度というものが...」

「環境のためですから」

「しかし!」マルクスが声を張り上げる。「本来、企業が負うべき環境コストを、消費者に押し付けているだけではないか!これぞまさに...」

「お客様」店員が心配そうに。「お静かに...」

「む、すまない」マルクスは少し落ち着きを取り戻す。「では、必要な物を...おや?」

商品棚の迷宮に迷い込んだマルクス。
「同じような商品が、なぜこれほど多くの種類...待て、このパッケージは明らかに中身より大きいぞ!これは詐欺では!?」

「マルクスさん、こっちです」
さくらの声が遠くから聞こえる。

「待ってくれ!」マルクスは慌てて声のする方へ。「むむ?なぜオーガニック商品は、これほど高額なのだ?健康な食べ物は、労働者階級の権利であるはず...」


マルクス、迷子になる

気がつけば、マルクスはペットフード売り場にいた。

「さくらくん!」マルクスが叫ぶ。「どこにいるのだ!?この商品の迷宮で、私はすっかり方向感覚を...」

「あの」若い店員が声をかける。「お探しの物は?」

「私が探しているのは」マルクスが真面目な顔で答える。「商品という物神に支配されない、真の解放された社会...」

「えっと...」店員は困惑の表情。「文具コーナーは2階です」

「ああ、待て!」マルクスが突然目を輝かせる。「確かに文具も必要だ。資本論の改訂版のために、新しいノートが...」

「えっ」駆けつけたさくらが驚く。「資本論の...改訂?」

「ああ」マルクスは熱く語り始める。「現代の状況を踏まえて、データ資本主義における搾取の新たな形態を...」

「マルクスさん」さくらが疲れた声で。「3時までには西野さんとの打ち合わせが...」

「む」マルクスは我に返る。「では急いで会計を...むむ?このセルフレジとやら...これは明らかに労働者の雇用を...」

「マルクスさん」さくらが半ば諦めた声で。「有人レジの列、こっちです」

外に出たマルクス、買い物袋を抱えながらつぶやく。
「しかし、このポイントカードによるデータ収集の仕組みこそ、現代における新たな...」

「マルクスさん」さくらが呆れ気味に。「それ、右側の袋から牛乳が漏れてますよ」

「なに!?」マルクスが慌てる。「これも計画的陳腐化による消費の...」

「いいえ」さくらが笑う。「単に袋の持ち方が雑なだけです」

「待てよ」歩きながらマルクスが唐突に立ち止まる。「私たちは今、商品を購入した。しかしその商品は、明らかに...」

「はいはい」さくらが諦めたように言う。「それより、新しい資本論のアイデアについて聞かせてください」

「ふむ」マルクスの目が輝く。「現代においては、データそのものが新たな物神と化している。ポイントカードやSNSを通じて...」


マルクス、料理を手伝う

ゲストハウスの離れのキッチンで、さくらが手際よく料理を始める。マルクスは新しいノートを広げ、書きながら横で見ている。

「玉ねぎの皮を剥いてください」

「なるほど」マルクスは真剣な表情で玉ねぎを手に取る。「この労働過程において、玉ねぎは使用価値を...痛っ!」

目に染みる玉ねぎの刺激に、マルクスの髭が震える。

「もう」さくらが笑いながら。「理論化は後にして、とりあえずハンカチで目を...」

その時、エプロンをしたマルクスのスマートフォンが鳴る。ポイントアプリからの通知だった。

「なに!?」マルクスの髭が震える。「本日のお買い物、あと500ポイントで2倍デー!?」

「あ、それ、次回の買い物で使えるクーポンが...」

「我々は急いで戻らねば!」マルクスが立ち上がる。「500ポイントのために!」

「だから」さくらが思わず吹き出す。「さっきまでポイント制度を批判してたじゃないですか」

「むむ」マルクスは真っ赤になって髭をいじる。「これは、その...資本主義における消費者心理の実地研究というか...」

「はいはい」さくらが温かく笑う。「その話は、みんなでご飯を食べながら、ゆっくり聞きましょう」

理論家マルクスの言い訳は、ハッシュドビーフの香りの中に消えていった。


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