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カールマルクスが渋谷に転生した件 15 マルクスとおくりびと(前半)
マルクス、落ち込む
「結局、資本には勝てないということか...」
渋谷のワクドナルドで、マルクスが珍しく沈んだ様子でコーヒーを飲んでいた。
「そんなことないですよ」さくらが励ますように。「あれだけの人が動き始めて...私達の政治活動にも繋がりそうじゃないですか」
「だが」マルクスが窓の外のクレーン車を見つめる。「渋急の資金力は、我々の想像を超えている」
その時、木下がタブレットを差し出す。
「これ、渋急グループの決算資料です。不動産開発だけでなく、投資事業でも驚くほどの利益を...」
「ふむ」マルクスが画面を食い入るように見つめる。「不動産を担保に投資資金を調達し、その利益でさらなる再開発を...」
髭が思わず震える。
「待て!」マルクスが突然立ち上がる。周囲の客が振り返る。
「マルクスさん、声が...」
「これを見たまえ」マルクスが興奮気味に資料をめくる。「渋谷の地価上昇を見込んで、海外のヘッジファンドまでもが...」
「まあ」ケンジが慌てて制する。「とりあえず座ってください」
「いや、これは重要だ」マルクスの髭が震える。「19世紀の産業資本主義とは、全く異なる蓄積の形態が...」
「分かりました」木下が真剣な面持ちでノートPCを開く。「では、その分析を動画にしましょう。現代の資本蓄積の仕組みについて」
「その前に、少し落ち着いて整理しませんか?」さくらが提案する。
窓の外では、夕暮れの渋谷の街に、次々と明かりが灯り始めていた。
マルクス、落ち着く
マルクスは少し落ち着きを取り戻し、決算資料を丁寧にめくり始めた。
「見よ」髭を指でたどりながら。「不動産開発による地価上昇を担保に、さらなる投資資金を調達する。その投資収益で再び不動産を...」
「まさに、雪だるま式ですね」木下が頷く。
「そう、しかしこれは」マルクスの声が低く響く。「19世紀のような工場建設や機械への投資とは全く異なる」
「どういうことですか?」
「工場や機械は、具体的な商品を生産する。しかし今や...」マルクスが窓の外の巨大ビルを指さす。「これらは単なる投資対象、いわば投機的な価値の器と化している」
「でも」さくらが首を傾げる。「オフィスや店舗として使われてるわけですよね?」
「ああ」マルクスが髭をひねる。「だがそれは副次的なものだ。本当の狙いは、地価の上昇を見込んだ投資対象としてのものだ」
「再開発のビルには、AIシステムが導入されるそうですよ」木下が補足する。「自動化された受付、無人のコンビニ、ロボットによる清掃...」
「AI?」マルクスが眉をひそめる。「それは何か新種の生産手段か?」
「人工知能です」さくらが説明を始める。「コンピュータが人間の代わりに...」
「待て!」マルクスの髭が逆立つ。「つまり、資本は人間の労働すら排除しようというのか!」
「効率化のためには必要な...」木下が言いかける。
「だからこそ!」マルクスが声を上げる。「これらの巨大ビルは二重の意味で資本の独裁を表している。不動産としての投機的価値と、人間不在の自動化された空間として」
「でも、新しい雇用も...」
「いや」マルクスが静かに、しかし力強く。「古い商店街では、人々が働き、交流し、生きていた。だが、この『スマート』な建物では、資本だけが増殖する」
***
「では、撮影を開始しよう」マルクスが姿勢を正す。「現代資本主義における価値の二重構造について、具体例を交えて説明しよう」
「あ」さくらが心配そうに。「でも、難しい理論は視聴者が...」
「大丈夫だ」マルクスが自信に満ちた表情で。「この渋谷という街自体が、最高の教材となる」
そうして始まったDas Kapital TV「現代の資本蓄積」回は、思わぬ反響を呼ぶことになる。特に、あの億り人、「クリプトキング」を刺激することになるとは、この時はまだ誰も予想していなかった。
マルクス、激昂する
「なに!?」マルクスが椅子から立ち上がる。「仮想通貨で億万長者になったなどという投機的成金を、私の番組に!?」
Das Kapital TV編集部として使っているさくらの祖母の離れで、緊急会議が開かれていた。
「でも」ケンジがスマホの画面を見せる。「クリプトキングのフォロワー、すごいんですよ。若い投資家から絶大な支持があって...」
「若者が投機にはまるのを煽っているだけだろう!」マルクスの髭が怒りに震える。「価値を生み出す労働を無視して、数字の上で金が金を生むなど、笑止千万な...」
「あの」木下が静かに切り出す。「でも、これって良いチャンスかもしれません」
「何が良い!」
「だって」木下が説明を続ける。「現代の資本蓄積の最前線で何が起きているのか。若者たちがなぜ投資に走るのか。その現実を知るには...」
「むむ」マルクスが髭をしごく。「確かに、実態を知ることは重要だが...」
「それに」さくらが加える。「渋急の投資事業の分析に続けて、現代の金融資本主義を批判的に分析する良い機会では?」
「ふむ」マルクスが考え込む。
「視聴者数も」ケンジが画面をスクロール。「クリプトキングのファンと、マルクスさんのファンが激突したら、とんでもない数字に...」
「ううむ…」マルクスが眉をひそめる。
「でも」さくらが真剣な表情で。「より多くの若者に、価値の本質について考えてもらうチャンスです。投機だけが富を生むわけじゃないって」
「なるほど」マルクスの表情が変わる。「つまり、この成金を論破することで、現代の若者たちに労働価値説を...」
「あー」木下が心配そうに。「論破というより、建設的な対話を...」
「よし!」マルクスが突然立ち上がる。「招待状を送れ!私が現代の投機的狂気の正体を暴いてやろうではないか!」
「はいはい」さくらが宥める。「その前に、企画会議しましょう」
離れの障子越しに、夕暮れの光が差し込む。マルクスの髭の影が、壁にゆらゆらと揺れていた。現代資本主義との対決の幕が、今まさに上がろうとしていた。
マルクス、以外とチョロい
「お待たせしました」
収録当日、渋谷のレンタルスタジオに現れたのは、意外にも控えめな様子の青年だった。パーカーにジーンズ姿で、首からはストラップ付きの暗号資産ウォレットをぶら下げている。
「クリプトキングです」
青年が深々と頭を下げる。「いや、凄いっすね。本物のマルクスさんと...」
「ふん」マルクスが冷ややかに髭をひねる。「で、君は実体のある労働もせず、画面の数字を操作して富を...」
「いえ」青年が真面目な表情で遮る。「元々、システムエンジニアとして働いていて。残業代も出ない中、プログラミングの勉強を重ねて、ブロックチェーンの仕組みを理解して...」
「ほう?」マルクスの表情が僅かに変わる。
「カメラ、回してますよ」ケンジの声。
「では」マルクスが姿勢を正す。「君の言う『労働』について、具体的に聞かせてもらおうか」
「はい」青年が熱心に説明を始める。「プログラミング言語の習得に3000時間、暗号理論の勉強に1000時間。それに市場分析の...」
「待て」マルクスが身を乗り出す。「その時間は、会社での労働時間とは別に?」
「そうです。だって会社じゃ、学べることはそんなに多くなくて」
「おお!」マルクスの目が輝く。「つまり君は、既存の賃労働から搾取される余剰価値を、自らの技術で取り返そうとしたというわけか!」
「え?」青年が困惑。「そこまで理論的には考えてなくいっすよ」
「いやいや」マルクスが興奮気味に。「これぞまさに現代の...」
「マルクスさん」さくらが制する。「専門用語が多くなってきました」
「むむ」マルクスが髭を落ち着かせる。「では、視聴者の皆さんにも分かりやすく説明しよう。君が投資で得た利益の源泉について」
「源泉?」
「そう」マルクスが真剣な眼差しで。「仮想通貨で値上がり益を得たとして、その価値はどこから生まれたと考える?」
「それは...」青年が考え込む。「需要と供給じゃないんっすか」
「違う!」マルクスが立ち上がりかける。
「座ってください」木下が慌てて制する。
「例を挙げよう」マルクスが興奮気味に続ける。「君はコーヒーを、どこで買う?」
「スタバとかっすかね」
「ふむ」マルクスが頷く。「では考えてみたまえ。そのコーヒー一杯に、どれだけの人々の労働が詰まっているか」
「まあ、やっぱ店員さんの働きのおかげっすよね」
「いや、それだけではない」マルクスの声が力強くなる。「コーヒー豆を育てた農家、豆を運んだ物流の労働者、カップを作った工場の労働者、店舗を建てた建設作業員...」
「なるほど」青年がつぶやく。「価値の源泉は、人々の労働なんですね」
「その通り!」マルクスの髭が誇らしげに震える。「そして君のプログラミングの勉強も、れっきとした労働だ。しかし...」
「しかし?」
「仮想通貨で儲かった100万円は、誰かの100万円の損失かもしれない」
スタジオが静まり返る。
「え...?」青年が困惑する。
「仮想通貨はゼロサムゲームだ。純粋な投機的な利益は、新しい価値を生むわけではない。誰かの労働で生まれた剰余価値が、別の誰かに移されているだけだ」
「でも」青年が反論する。「ブロックチェーンの技術とかは、新しい価値を...」
「うむ!」マルクスが再び興奮する。「そこが重要なポイントだ。技術開発という具体的な労働は、確かに新しい価値を生む。だがそれは、その技術を投機の対象とすることとは全く別の話なのだ」
その時、スタジオのモニターにはコメントが。
『なんか分かってきた。俺たちの労働が搾取されてるってこと?』
『投資も大事だけど、実際に価値を生む仕事の方が大切?』
『マルクス先生の髭が段々逆立ってきてる件』
続く