建築家毒島建の毒舌紀行3 「ドームの驕り」ブルネレスキ
「ほう、これを"天才的な技術革新"とおっしゃいますか」
フィレンツェ大聖堂のドームを見上げながら、毒島建(45)は最初の毒を吐いた。
「要するに、できもしない建築を引き受けた、ただの世間知らずじゃないですか。当時世界最大のドーム?誰も作れなかったから誰も作らなかっただけでしょう」
助手の青木真理(25)が慌てて観光客たちに謝るような目配せをする。
「先生...1418年当時、このドームを作る技術なんて...」
「だから無謀なんです」
毒島は眼鏡を直しながら続ける。
「支保工も足場も組めない。資材を上げる技術もない。コンペで勝つために"できる"と言っただけ。まさに詐欺師の手口ですよ」
スケッチブックを取り出しながら、ドームの構造を細かく描き始める。
「しかも見てください。ライバルのギベルティを蹴落とすため、わざと模型を小さく作って。"ほら、これなら簡単です"なんてね。まったく、建築家の傲慢ってやつは」
その時、近くにいたイタリア人建築家らしき男性が怒りの表情で近づいてきた。
「なんと!ブルネレスキは我々の誇りだ!」
「ああ、そうでしょうね」
毒島はスケッチを続けながら、
「だってこの男、前代未聞の八角形ドームを、しかも二重殻構造で。職人たちに無理難題を押し付けて、レンガの積み方まで新しい工法を要求して...」
青木は、また始まったと小さくため息をつく。
「でもね」
毒島の声が急に低くなる。
「この"無謀な詐欺師"がいなければ、建築の歴史は変わっていなかった。見てください」
老眼鏡に持ち替えて、レンガの組み方を凝視する。
「ヘリンボーン積みですよ。当時誰も考えつかなかった工法を...」
「そもそも、このブルネレスキって男をご存知ですか?」
毒島は怒れるイタリア人建築家に向き直る。
「彼は最初、金細工職人だったんですよ。で、洗礼堂の扉のコンペに負けた。負けたくらいで拗ねて彫刻を捨てる。なんて子供みたいな...」
「先生...」
青木が制しようとするが、
「そのあと何をしたと思います?ローマまで行って古代建築を"研究"?冗談じゃない。要するに負け惜しみの放浪ですよ」
スケッチブックをパタンと閉じ、毒島は完全に講義モードに入る。
「帰ってきて大聖堂のコンペに参加。"できます"って言って勝った。でも工事が始まったら?支保工なしでドームを作るなんて無理に決まってる。そこで何を思いつくか...」
青木は、この調子を知っている。
「自分で機械を発明し始める。資材を上げる巻き上げ機?特許まで取っちゃう。前代未聞ですよ。建築家が特許なんて。挙句の果てには、工事現場に酒場まで作って...」
「それは作業効率を考えて...」
イタリア人建築家が反論しようとする。
「効率?違いますね」
毒島の声が冷たくなる。
「職人たちを監視したかっただけです。この男、自分の設計が漏れるのを極端に警戒した。だから図面も残さない。すべて口頭指示。まさに独裁者。これのどこが天才なんですか?」
その時、ドームの内部から人々の歓声が聞こえてきた。
「ああ、観光客が階段を上っているんでしょうね」
毒島は皮肉な笑みを浮かべる。
「この男、二重殻の間の階段も、わざと狭く急に作ったにに違いない。"簡単に上れちゃダメ"って。この傲慢さ。まるで...ん?」
突然、毒島の表情が変わる。双眼鏡を取り出し、ドームの縁を注視し始めた。
「これは...」
「ふん、なるほど」
双眼鏡を下ろした毒島の表情が、さらに皮肉めいていた。
「やっぱりこの男、最低の建築家ですよ。見てください、この構造。二重殻の間に鉄製のチェーンを入れて補強?木製の輪で引っ張って?普通の建築家なら、そんな危険な真似は...」
「でも先生、当時としては革新的な...」
「革新的どころの話じゃない」
毒島は遮る。
「これは狂気です。誰も信用しない。誰にも図面を見せない。すべてを自分で抱え込む。おまけに職人たちには、作業中も希釈ワインを飲ませる。妊婦に出すような薄めた酒をね。これって何かわかります?」
イタリア人建築家が首を傾げる。
「完全な独裁体制ですよ。自分の思い通りにならないと気が済まない。現場で職人と喧嘩して、石工ギルドに訴えられて、一時は投獄までされた。しかも出てきた後も、まったく反省しない」
毒島はスケッチブックを広げ、ドームの構造図を描き始める。手が微かに震えている。
「そしてこの断面を見てください。通常のゴシック建築なら、力の流れはこう...でも、この男は違う。すべての常識を覆した。なぜって、この男にとって建築とは...」
一瞬、言葉を詰まらせる。
「...すべてだったんです。プライドも、友情も、信用も、全部捨てた。この狂気の建築のために」
青木は黙って待つ。この調子なら...
「結果、何が起きたか」
毒島の声が低く響く。
「世界最大のドームが完成した。しかも足場なしで。当時の誰もが不可能だと言ったことを、この男は独りでやってのけた。なぜか?」
スケッチブックを閉じる音が、石造りの広場に響く。
「なぜって、この男にとって不可能なことなんてなかった。他人の評価?どうでもいい。技術的限界?知ったことか。この男は、自分の理想のためなら、世界中を敵に回すことも厭わなかった」
夕陽に照らされたドームが、深い影を広場に落としている。
「まったく、最低の人間です」
毒島は背を向けながら、最後の毒を吐く。
「だからこそ、最高の建築家になれたんでしょうね」
イタリア人建築家が青木に尋ねる。
「彼は...本当はブルネレスキを...?」
「ええ」
青木は遠ざかる毒島の背中を見つめながら答えた。
「建築家として最大の賛辞を贈ったんです。"最低の人間"という言葉で」
(完)
※本編における史実と創作の区別:
ブルネレスキの経歴、洗礼堂コンペの敗退、ローマ遊学は史実です
工事現場での酒場設置、作業効率化の工夫も史実です
図面を残さず口頭指示を多用したことも史実です
ドームの構造的特徴(二重殻構造、鉄製・木製チェーンによる補強)は史実です
職人への希釈ワイン支給、石工ギルドとの確執、投獄も史実です
図面を残さず、独自の工法を秘密にしたことも史実です
毒島建と青木真理の言動、イタリア人建築家とのやり取りは創作です。嫉妬してるだけなので許してください。