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カールマルクスが渋谷に転生した件 38 ケンジ、めっちゃ調子にのる(後)
ケンジ、出戻る
「すみませんでした」
ケンジが深く頭を下げる。
「でもなんか、わかったことがあって...」
「黙れ」
マルクスの声は静かだが、重い。
「え?」
「君は」マルクスがゆっくりと立ち上がる。「我々の活動を『細々とした』と言った。『貧乏なユーチューバー』と。私は、そんな表層的な理由で君を責めたのではない」
「先生...」
「私が怒ったのは」
マルクスの目が鋭く光る。
「君が『影響力』という数字にしか価値を見出せなくなっていたからだ。まるでテレビ局の視聴率のように...」
「あ...」
ケンジの目が見開かれる。
「しかし」マルクスの声が少し和らぐ。「君は自分で気づいたようだな」
「はい」
ケンジが真剣な表情で言う。
「テレビ局で、僕は"感動物語"を作る仕事をしていました。貧困を美談に変えて、苦しみを視聴率に...」
「そうか」マルクスが静かに頷く。
「でも、それって結局、資本主義による搾取を隠蔽する...まさに先生の言う物神性そのものだったんです」
「Das Kapital TV、変えていきたいんです」
ケンジが力強く言う。
「ほう?」
「今までは先生の理論解説が中心でした。でも、これからは...」
ケンジがスマホを取り出し、新企画案を見せる。
『Labor Voice Project』
『ーあなたの声を、物語にしないー』
「視聴者から、労働現場の動画を募集する。でも美談にはしない。感動ポルノにもしない」
ケンジの声が熱を帯びる。
「ありのままの声を、理論と結びつけて発信していく」
「なるほど」マルクスの表情が柔らかくなる。
「理論と現実の弁証法的統一というわけか」
「テレビ局で学んだ編集技術は活かします。でも今度は...」
ケンジが少し照れたように笑う。
「現実を隠すんじゃなく、より鮮明に見せるために」
「しかし」さくらが心配そうに。「視聴者数は減るかもしれませんよ?」
「ああ」ケンジが頷く。「でも、僕もやっと気づいたんです。大切なのは数じゃない。一人の現実に、どれだけ誠実に向き合えるか...」
沈黙が流れる。
マルクス、意外と優しかった
「君は」
マルクスがゆっくりと言葉を選ぶ。
「私に大切なことを思い出させてくれた」
「え?」
「私は19世紀のロンドンで」
マルクスの声が遠くを見つめるように。
「工場で働く子供たちの声を聴いた。彼らの苦しみを、ただの統計や理論に還元してはいけないと誓った」
マルクスは立ち上がり、窓際に歩み寄る。
「しかし私は、時として理論に溺れすぎた。搾取を説明することに夢中で、搾取される人々の生の声を、十分に...」
「先生...」
「だから今度は」
マルクスが振り返る。
「君と共に、理論と現実の真の対話を作っていこう」
「具体的には」
ケンジがスマホを操作する。
「こんなイメージです」
画面には新しいYouTubeチャンネルのモックアップ。
メインチャンネルはマルクスの理論解説を続けながら、サブチャンネル『Labor Voice』で労働者たちの声を発信していく。
「両方のチャンネルをクロスさせて」
ケンジが説明を続ける。
「例えば、この倉庫作業員の方の告発動画に、先生の物神性の解説をリンクさせて。現場の声と理論が、互いに補強し合うように」
「ふむ」マルクスが考え込む。「しかし、そこにも落とし穴があるな」
「落とし穴?」
「理論が、人々の声を『説明』し過ぎてはいけない」
マルクスが静かに言う。
「時として沈黙にも、抵抗の声は宿る」
「あ...」ケンジの目が輝く。「編集の技術って、そういうことにも使えますよね。声を消して、ただ働く人の表情だけを...」
「そうそう!」さくらが声を上げる。「私、アルバイト先で撮った『レジ打ちの手の動き』の映像、まだ持ってます」
「おお」マルクスが髭を震わせる。「労働の身体性か...」
ケンジ、また調子に乗る
一週間後。
『Labor Voice #01 :コンビニの手』
再生回数:2,841回
画面には、レジを打つ手だけが映っている。
商品をスキャン、袋詰め、お釣りを渡す—その繰り返し。
ただそれだけの3分間。
音声はない。代わりに、淡々とした事実だけが字幕で流れる。
『時給:1,100円』
『一日の平均スキャン数:847点』
『休憩:6時間勤務で30分』
コメント欄:
『なんか、胸が詰まった』
『これ、私の日常だ』
『理論や解説がないのに、搾取の本質が見える』
「やっぱり」ケンジがモニターを見つめながら呟く。「数は少なくても...」
「ああ」マルクスが頷く。「この2,841人の目が、確かに現実を見つめている」
*
またその後日。
「よっしゃー!」
ケンジが突然立ち上がる。
「次はこれいきましょう!」
「おや?」マルクスが怪訝な表情。「随分と上機嫌だな」
「だって、考えてください!」
ケンジが両手を広げて話し始める。
「テレビ的な演出って、ある意味すごい"武器"じゃないですか。感情を揺さぶって、共感を引き出して...」
「しかし」マルクスが眉をひそめる。「それは君が否定したはずの...」
「違うんです!」
ケンジの目が輝く。
「今度は逆に使うんです。派手な演出で『感動ポルノ』を作ってる自分たちを撮影して、その裏側を暴露するドキュメンタリー。タイトルは...」
キーボードを叩く音。
『感動の作り方—メディアと搾取の物語』
「おお」さくらが目を丸くする。「メタですね」
「でしょ!?」ケンジがますます興奮気味に。
「テレビ局で学んだ技術を全部ぶち込んで。感動を作る過程を感動的に描いて、でもその『作られた感動』自体を批判して。しかも最後は...」
「待て待て」マルクスが思わず吹き出す。「その調子の良さ、戻ってきたな」
「えへへ」ケンジが頭を掻く。
「だって、もう迷わないっすから。誰のために、何のために映像を作るのか...」
「ほう?」
「さっきのコメント、見ました?」
ケンジが真剣な表情になる。
「『私の日常だ』って。たった一行のコメントなのに、その人の人生が見えるような気がして...」
「そうか」マルクスが静かに頷く。「映像は、時として理論より雄弁だということか」
「違います」
ケンジが首を振る。
「映像も理論も、結局は同じなんです。大切なのは...」
その時、スマホが再び震える。
今度は物流センターで働く女性からのメッセージ。
『私たちの職場の様子を、ありのままに伝えたくて...』
「よーし!」ケンジが拳を突き上げる。「次の企画、行きましょう!Das Kapital TV史上最高の視聴率、いや、違うな...」
ケンジは満面の笑みで言い直す。
「最高の"現実"を、撮らせてもらいましょう!」
マルクスは静かに微笑む。
かつて彼が『資本論』に込めた想い—
それは今、新しい形で、確実に受け継がれていた。